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コバルトブルーに魅せられて -前人未到のGaN p-n接合への挑戦-名城大学 / 名古屋大学 赤崎 勇

本記事は、OplusE2002年6月号掲載に掲載された記事になります。
OplusE2000年4月号に掲載されたカリフォルニア大学 サンタバーバラ校 中村教授の
記事はこちらからご覧いただけます。

真空管からトランジスタの時代へ

 現在は青色発光ダイオードやレーザーを研究していますが,スタートは真空管からでした。大学を卒業して神戸工業という会社に入りました。
 神戸工業という会社は,富士通に合併されて現在はありませんが,以前は川西機械製作所といいまして,真空管や飛行機などを作っていたそうです。この神戸工業には優れた人材が沢山いたことでも良く知られています。
 当時は,半導体が全盛期を迎える前で,真空管が主流の時代でした。真空管といいましても,いろいろな種類がありますが,私は明石工場でやっていた放送用の大型発信管を担当していました。そうこうするうちに,RCAというアメリカの名門メーカーが,現在の方式のカラーテレビを開発したのです。1952~53年頃,日本の電気メーカーもこれの国産化にやっきになっていました。私はそのブラウン管の蛍光面の開発を担当することになりました。  蛍光体は,Zn(Cd)S系の“多結晶粉末”で,フェースプレートへの塗布工程の再現性が悪く,また発光色の不均一性も厄介な問題でした。しかし,電子線励起発光(カソードルミネッセンス:CL)は電界発光(エレクトロルミネッセンス:EL)現象とともに,私の興味をそそりました。
 そのころ,神戸の本社技術部では,トランジスタの開発が本格化し,Geの単結晶作りや研究が進められていました。“粉末”(蛍光体)の再現性の悪さに悩まされていた私には,この“単結晶”は大変魅力的でした。ですから,神戸でトランジスタをやっていた人が羨ましかったのを憶えています。しかし,Geは光らないので,夢物語ではありますが,光る半導体であるジンクサルファイド(ZnS)の単結晶を作れないものか・・・と考えたこともありました。ZnSの単結晶薄膜で蛍光面が出来ると素晴らしいものになると思いました。
 このZnSというのは10年程度前に青色レーザーの候補として騒がれたジンクセレナイド(ZnSe)の兄弟分です。今考えると,この頃から青色発光ダイオードやレーザーなど,“光りもの”に縁があったのかもしれません。 <次ページへ続く>
赤崎 勇(あかさき・いさむ)

赤崎 勇(あかさき・いさむ)

1952年,京都大学理学部卒業。同年,神戸工業(株)入社。59年,名古屋大学工学部電子工学科助手,同講師,同教授を経て64年,松下電器産業(株)入社,東京研究所基礎第4研究室々長,同半導体部長等を歴任。81年,名古屋大学工学部電子工学科教授。92年,名古屋大学定年退官。同年,名城大学理工学部電気電子工学科教授,名古屋大学名誉教授。95?96年,北海道大学量子界面エレクトロニクス研究センター客員教授。96?2001年,日本学術振興会未来開拓学術研究推進事業プロジェクトリーダー。96年~,文部科学省 名城大学ハイテク・リサーチ・センタープロジェクトリーダー。2001年,名古屋大学赤崎記念研究センター(兼務),そして現在に至る。
工学博士,IEEE Fellow,日本フィンランドインスティチュート理事,フランス共和国モンペリエ市名誉市民,科学技術振興事業団 参与(02年~)など。 1995年,ハインリッヒ・ウェルカー金メダル。97年,紫綬褒章。98年,ローディス賞。98年,ジャック・A・モートン賞。99年,米国国体科学技術賞。2000年,東レ科学技術賞。01年,朝日賞。02年,第2回応用物理学会業績賞(研究業績)。02年,藤原賞など多数受賞。

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