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自分に合ったやり方で,モチベーションを維持できる方法を見つけてほしい東京大学 トム・ガリー

学問の世界を理想化し,挫折を経験して日本へ

聞き手:今までのご経歴と,大学での研究内容についてお教えください。

ガリー:1957年,私はアメリカのカリフォルニア州に生まれました。子どものときは,普通の家庭に育ちましたので,もちろん英語だけを話していました。高校になって外国語に興味が出てきて,ロシア語を勉強し,カリフォルニア大学に進学した後は中国語も勉強しました。大学の専攻は言語学でしたが,父がエンジニアで小さい頃から教えてくれたこともあり,算数が得意で数学に興味をもっていましたので,集合論や群論など理論的な数学も勉強しました。
 その後,シカゴ大学の大学院に進学して言語学の修士課程を修了し,次に同じ大学院の数学コースに転入しました。シカゴ大学は数学で有名な先生がいて,修士課程の授業は非常にレベルが高く,私にとっては準備が不足していました。大学という環境はすごく好きで,本を読むのが好きでしたので,大学院に入った時点では博士号を取り大学の先生になりたいと思っていました。しかし,言語学については,当時はノーム・チョムスキーの理論的な言語学が主流になっていましたが,私はそれについては強い疑問をもっていました。それで,言語学には進めないと感じていました。また,数学は非常に純粋で理想的でしたが,正直に言えば力が足りませんでした。1年間一生懸命勉強しましたが,学年の終わり頃には疲れてしまい,修士は取りましたが,博士課程には進学できませんでした。当時は,学問の世界を理想化していたところがあり,それが私にとっての失敗でした。
 そこで,就職を決意し,別の大学の事務員になりました。3年ほど働き,大学院からの疲れもある程度回復し,冒険的なことをしたいと思うようになり,どこかの外国に行こうと考えました。そのとき,たまたま大学の友人が日本に行って英会話の教師になっていて,「日本に来れば仕事がある」と言われ,1983年夏に,私は貯めていたお金で日本に行くことにしました。日本に着いた時点では,日本語はまったく勉強したことがありませんでした。英語を母語にする話者にとってはロシア語や中国語と同様に,日本語も難しい言語ですから,使い続けていないと忘れてしまいます。日本には1年くらい滞在した後,ほかの国に行くつもりでしたので,初めて日本の成田に着いたときには日本語を勉強するつもりはありませんでした。
 しかし,成田から間違えて京成の各駅停車に乗ってしまい,やっと京成上野に着いて東京を見た最初の日から,私は東京という大都市が面白くなりました。そこで,言葉を知らないと生活が不便なのもあり,1か月経たないうちに日本語学校に通い始めました。そして,夜は英会話学校の教師をしながら,6か月経ったころには,毎日3時間くらいの授業のある別の学校に移りました。

来日後日本語を勉強し,フリーの翻訳者になる

聞き手:日本語はどのように勉強されたのですか。コツはあったのですか。

ガリー:私はロシア語や中国語を勉強した経験があり,第二言語を学ぶ基礎はありました。ロシア語のリーディングの勉強の経験からわかったのは,完全に解読することを求めないほうがいいということです。高校のときにはある小説を読みたいというときに,1ページから読み始めて,知らない単語があれば辞書を引きます。知らない単語が出てくるたびに辞書を引いていましたが,その作業自体が面白くないので,飽きてしまいます。大学のときにロシア語の先生から受けたアドバイスは,まずはたくさん読むということです。わからなくてもそのままたくさん読むことを,私はロシア語を勉強するときに実践しました。たくさん読みながら,別に語彙を暗記したり,カードを作ったり,辞書を引いたりします。その両方をすると早く上達できます。ロシア語でうまく学べましたので,日本語でも,ひらがな,カタカナ,基礎の文法,200~300の漢字を覚えた時点で,毎日電車に乗っているときや図書館などで,新聞,雑誌,小説などをたくさん読みました。もちろん,最初はほとんどわかりませんでした。それでも,最初から最後まで全部に目を通し,日本語学校にも通いました。日本に住んでいたこともすごく役に立ちました。街では,いろいろな文字を目にします。それで,私はわりと早く読めるようになりました。日本語学校に2年間と少しのあいだ通って,一生懸命勉強しました。そして,翻訳の仕事ができるのではないかと自信が出てきて,1986年に日本語学校を修了してから,和英翻訳の仕事をするようになりました。
 60万円くらいのローンを組んで,Macとプリンター,それにファックスを買い,フリーランスで翻訳の仕事を始めました。今もそうですが,当時の日本から発信される英語の多くの場合は,日本語を母語にする話者が翻訳していましたが,PRするものやビデオの音声のようなものは,日本語の直訳では十分な宣伝効果が得られません。日本語が読めて英語を母語とする話者で,なおかつ正しいきれいな英語を書ける者は当時少なかったので,私にとって仕事は十分ありました。以来20年間,フリーランスで翻訳を中心に仕事をしてきました。
 いろいろなところから仕事を受けるようになりましたが,フリーランスの仕事は次にまた仕事が来るという保障はまったくありません。ですから,一つひとつの仕事において満足してもらえるように,一生懸命に取り組まなくてはいけません。私は大学や大学院のときには理想的な研究をしようと思い,力が足りず挫折しましたが,自分の才能を活かせるフリーランスの仕事を通して,自分の新しい考え方を見つけ,大学のときに感じていた感覚とずいぶん変わりました。
 私は翻訳の仕事を続けるうちに,翻訳するときには辞書が欠かせないのもあり,辞書に興味をもつようになり,1994年くらいから英和辞書の編集に携わるようになりました。日本語学習者のための本も何冊か書き,2002年からは『新和英大辞典』の編集委員となりました。

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Tom Gally

Tom Gally(トム・ガリー)

1978年 カリフォルニア大学サンタバーバラ校言語学専攻卒業 シカゴ大学大学院で言語学(1979年)と数学(1980年)の両修士課程修了 1983年 来日 1986年から2005年までは和英翻訳,英文コピーライティング,辞書編集などを本業にする。2005年 東京大学に常勤教員 2013年 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部教授
●専門分野
言語教育,翻訳論,辞書学
●主な著書
著書『Reading Japanese with a Smile』(2007)『英語のあや』(2010)など
訳書『名随筆で学ぶ英語表現 寺田寅彦 in English』(2021)など
辞書『研究社 英語の数量表現辞典』(2007)など

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