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自分に合ったやり方で,モチベーションを維持できる方法を見つけてほしい東京大学 トム・ガリー

東大の理系1年生全員が受講する英語授業に携わる

聞き手:東京大学教養学部の教授をされることになった経緯と,どのような授業をされているのか教えていただけますか。

ガリー:2002年頃,知り合いを通して,東京大学の理学部で英語のコースを教えてくれないかという依頼があったのが直接のきっかけです。非常勤で週3回,化学専攻の博士課程の学生たちに,私が自分でコースの内容を考え,理系のための英語を教えることになりました。2年半ほど続けているうちに,東京大学の教養学部からも声をかけられ,ライティング教育の開発を手伝うことになりました。そのとき,私も48歳になっていましたので,その時点でキャリアを変えることにして,20年間続けていたフリーの翻訳をやめました。そして,私は特任講師として教養学部1年生向けの授業を教えながら,理系1年生全員が受講する英語のライティングの授業のコースを開発して,プログラムの指導もしました。その後,私は准教授,教授になり,なおかつ大学院にも所属するようになりました。
 授業では,1つの学期で『Nature』などの学会誌に出るような英語の論文はどういうものであるのか,どういう構造をもつのかを教えます。学生たちは自分がデザインした実験に基づいて,1500ワード,数ページくらいの英語の論文を学期の終わりまでに仕上げます。2008年からそのコースは同じようなやり方をしています。
 今,英語教育で問題になっているのは,機械翻訳の進歩です。機械翻訳の考えは1950年代くらいからあり,1960年代にはアメリカを中心に,本格的な研究が始まりました。しかし,当時はコンピューターの能力が足りなくて,処理できるテキストの量も少なく,その後20年くらいは開発があまり進んでいませんでした。それが,1980年代の終わりになると,コンピューターの性能が上がり,電子テキストも増え,もとの表現とマッチングするものを統計的に分析して,それに基づいて翻訳を作ることがある程度可能になりました。1980年代後半から1990年代には,機械翻訳が進歩しているという新聞記事も出てくるようになりました。ただし,まだ意味をなさない文章が出力されることが多くありました。それは,当時のコンピューターには「意味」という感覚がなかったからです。単に単語を置き換えるだけでは良い翻訳はできません。良い翻訳をするには,まず原文の「意味」を把握することが重要です。AIも進歩してきていましたが,人間のように「意味」を理解して翻訳することはできませんでした。
 ですから,フリーランスで翻訳の仕事をしているときは,私はコンピューターに自分の仕事を奪われることはないと確信がありましたし,人間しか翻訳できないと思っていました。ところが,2016年にグーグルが無料で提供する機械翻訳の精度がいきなり上がったのです。あそこまで良い翻訳ができるとは思っていなかったので,私も試してみてびっくりしました。まさに,大学の授業でも,学生たちが使おうと思えば,簡単にグーグル翻訳を使えるようになったのです。

機械翻訳を英語学習にどのように取り入れていくか

聞き手:大学の英語教育では,機械翻訳の進歩をどのように捉えているのでしょうか。

ガリー:一部の学生たちは十分な英語力があるので,日本語から翻訳する必要はありません。しかし,平均的な学生は,自分で英語の文章を苦労して組み立てるよりも,まず言いたいことを日本語で書いて,それをグーグル翻訳をして,出力された結果を見て内容を確認したほうが,正しい英語が書けます。これは東大のライティングの授業だけの問題ではなく,日本の英語教育の大きな問題です。
 重要なのは,英語教育の目的が何かということです。英語教育が早く文章を作ることだけであれば,機械翻訳を授業に使えばいいし,英語の授業を廃止してもいいことになります。しかし,われわれがライティング中心の授業で期待しているのは,ライティング力だけではなく,総合的英語力の養成です。文章を書く練習をすることで,話すことも上手になるし,読解力も上がるのを期待しています。
 英語学習において機械翻訳を使った場合の総合的な英語力への影響は,いろいろな研究者が研究していますが,まだわかっていません。使い方によっては機械翻訳を有効に使える可能性がありますが,障害にもなりえます。もちろん,機械翻訳に頼って何も確認しなくなれば,英語力は下がります。しかし,機械翻訳の過程で自分が思いつかなかった表現が出てくることがあります。辞書を引くだけでは思いつかない表現を,覚えることができます。
 今は小学校から英語教育が始まっていますが,小学校,中学校,高校,大学の英語教育の中で,機械翻訳に対してどのように対応するか,議論は活発になってきています。もし,大学以上の研究者や企業に勤めている人で,機械翻訳を使ったことがないのであれば,自分で使ってみてください。そして,自分の求めている英語力は何かについて考えてみてください。自分にとって総合的な英語力がほしい。例えば,英語の文章が読め,英語の技術的な文章を書くだけではなく,自由に会話ができ,研究の発表ができ,外国の企業の人とビジネス交渉ができるような能力がほしい。そして,英語を使って,人間関係,信頼関係をつくりたいというのであれば,機械翻訳は向かないと思います。通訳のアプリはありますが,それでは真の人間関係はつくれません。政治家たちも通訳を使っていますが,本当に政治家の間の信頼関係をつくっているのは,共通の言語がある場合は多いのです。ビジネスの世界も同じです。自分が目指しているものが,総合的に英語でコミュニケーションできる能力であるならば,機械翻訳に頼り過ぎないようにして,有効に使えるところがあるなら使うということに注意してほしいと思います。

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Tom Gally

Tom Gally(トム・ガリー)

1978年 カリフォルニア大学サンタバーバラ校言語学専攻卒業 シカゴ大学大学院で言語学(1979年)と数学(1980年)の両修士課程修了 1983年 来日 1986年から2005年までは和英翻訳,英文コピーライティング,辞書編集などを本業にする。2005年 東京大学に常勤教員 2013年 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部教授
●専門分野
言語教育,翻訳論,辞書学
●主な著書
著書『Reading Japanese with a Smile』(2007)『英語のあや』(2010)など
訳書『名随筆で学ぶ英語表現 寺田寅彦 in English』(2021)など
辞書『研究社 英語の数量表現辞典』(2007)など

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