【重要】技術情報誌『O plus E』休刊のお知らせ

人は変えられなくても,自分自身は変えることができる東京都議会議員 福島 りえこ

強い目的意識をもった同級生に衝撃を受ける

聞き手:理工学分野に興味をもたれたきっかけについて教えていただけますか。

福島:福島りえこの“り”は理科の“理”と書きます。小学校の時間割で理科は“理”と書かれることから親近感を覚えたことに加え,特に算数は「わかると面白い」という感覚があり,理科や算数を得意分野として意識するようになりました。
 その後,高校の進路選択では,男子は理系,女子は文系という風潮に抗う気持ちもあって理系に進みました。とはいえ,高校受験までは勉強で苦労した覚えはなかったのですが,高校の授業では理系科目も難しくなってきて,大学受験では数学や物理の勉強に時間を費やし,克服したという印象が強いです。
 大学や専攻は職業をイメージして選んだわけではなく,共通一次試験の出来や偏差値などを勘案して決めました。そのような私だったので東北大学に入って衝撃を受けたのは,この大学に入りたい,さらには,この先生に学びたいなど,強い目的意識をもった同級生が多かったことです。そのために浪人までしてきた同級生もいて,私のような,いわゆる受験対策としての答えを出すための勉強ではなく現象を深く理解しているわけです。ですから,教養学部の授業で同級生からわからないところなどを教えてもらうことが多くありました。
 さらに私の価値観が変わったのは,4年で研究室に配属されてからです。有機物の光反応を含む合成について研究する研究室だったのですが,長時間の実験や合成プロセスのディスカッションなど,研究を心から楽しんでいるという先輩たちに出会ったのです。一方,私は,大学生になったら休みは長いし,授業への出席も気ままな感じだったので…。まだわかっていないことを調べ明らかにしていくことに情熱をもち,目的を持って生きることはすばらしい,私もそういう先輩たちのようになりたいと,就職志望から大学院進学へ進路を変更しました。
 他にも,進路に影響する出来事がありました。当初,就職希望だったこともあり,院に進むことを表明していた同級生たちとは与えられた研究テーマの質が違っていました。彼らは課題設定からスタートしていたのに,私の研究テーマはすでに体系化されていた指導教官の研究分野の一部を実験して確認するという内容だったのです。1年という限られた期間と卒業後の進路を考えると当然なのですが,当時は悔しい思いをしました。しかしそのおかげで,実質半年の研究機関ではありましたが,指導教官が論文として発表され,私の名前も入れていただきました。
 大学院では,量子効果が期待されるπ結合をもつナノメーターオーダーの結晶を作り評価するという研究をしていました。非線形光学という領域で,レーザーの波長変換などに使われます。実験で,次に評価しようと準備していた材料を間違って使ったら,研究対象にしていた材料よりサイズの揃ったキレイな結晶ができて,最初の材料とサイズが違うことを生かした評価を行い,論文を書くこともできました。

産休・育休後,裸眼3Dディスプレイ開発に参加

聞き手:大学院を出て東芝に就職されたわけですが,就職活動は苦労されたそうですね。

福島:私は1995年入社で,その前年に就職活動を行っていたのですが,いわゆる就職氷河期の初年度でした。面接を申し込んでも,今年は1人しか採用しないので女性は採用しない,と,面接さえしてもらえないこともありました。化学メーカーは採用決定時期が相対的に早く,そこで挫折を繰り返していたときに,同期の女の子から,すこし遅れて始まった総合電機メーカーの東芝の面接があると教えてもらったのです。面接会場ではグループワークなどがあったのですが,面接会を取りまとめていた責任者から名刺を渡され,すぐに本社面接に来るように言われました。必要とされたことがすごくうれしかったのを覚えています。
 電機メーカーで化学専攻の私ができることは液晶しか思いつかなかったので配属先として希望したところ,無事,社内の基礎研究を担う研究開発センターの液晶ディスプレイを研究開発する部門に配属されました。当時の液晶ディスプレイは,応答速度が遅かったり視野角が狭かったりで画面が大きくできないという問題がありました。解決のための切り口は様々ありましたが,私は強誘電液晶という自発分極を持つ液晶材料を使うことで視野角と応答速度の両方を解決するというテーマに配属され,そこで約6年研究を続けました。ただし,強誘電液晶材料には自発分極があるがために電流の消費量が多かったり不純物が焼き付きやすいなどの課題があり,これらを解決しようとすると構造が安定しないなど,今思い返してもすべてを満たす解はなかったように思います。実際に研究の存続が難しくなるなか,私は29歳で結婚,30歳で出産し,1年弱の産休・育休を取っている間にテーマが終了したという連絡がありました。
 8か月の子どもを保育所に預けて復職したときに新たに配属されたのが「裸眼3Dディスプレイの開発」のテーマでした。以前のチームは解体されて,当時のメンバーはそれぞれ強誘電性液晶の特徴を生かした新しい利用シーンを生み出すことをミッションとしていたのですが,復職した私だけが裸眼3Dディスプレイの開発にアサインされていました。学生時代の記憶がよみがえり,今回も私には自分で新しいことを生み出すことを期待されていないのかと落ち込みかけましたが,子どもの送迎などで出社できる時間も限られていたので,それであれば,与えられたミッションの中で最大のパフォーマンスを出そうと思いました。研究対象の裸眼3Dディスプレイの原理があり性能を上げていくという方向性が明確なので,時間に制約のある私にはこの方が集中して取り組みやすいと,考えを切り替えたのが良かったです。
 なによりもこれまでの研究と違ったのは,新しいテーマにおける私自身の役割です。裸眼3D液晶ディスプレイを完成させるためには,レンズアレイと液晶ディスプレイを貼り合わせ,そこに専用の映像を表示するための回路を組み合わせる必要がありました。そこでそれぞれの専門家が1人ずつ集められたのですが,当然ながら液晶ディスプレイの専門家は私1人だけです。前のテーマのときには,すでに研究が進んでいたところに私が最後に加わったこともあり,そこでオリジナリティを出すのは難しかったのですが,裸眼3D液晶ディスプレイの研究開発においては,私が最初から携わるなかで後からメンバーが補強されていったので原理原則の理解は深かったように思います。広い範囲できれいな3D映像を視聴できるようにする「視域最適化」など,東芝の3D液晶ディスプレイの特徴となるアイディアや特許もいくつか出すことができました。自宅に帰ると子どもの相手で手いっぱいになるので,電車の行き帰りが私にとっては物事を考える時間で,特許もその間に思いつきました。そのような研究を続けて5年目になる社内向け展示会で,当時の関連会社である東芝松下ディスプレイテクノロジー(株)が製品化に向けて協力するという話になりました。研究開発センターで研究する目的は事業化ですからすごくうれしかったのですが,そこから先が大変でした。
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福島 りえこ

福島 りえこ(ふくしま・りえこ)

1995年 東北大学大学院理学研究科修了 1995年 (株)東芝入社 研究開発センター配属 2017年 都民ファーストの会の公認で都議会議員選挙に世田谷区から出馬 トップ当選 2021年 再びトップ当選
●専門分野
裸眼3D液晶ディスプレイ
●主な受賞歴
2005年 第57回神奈川県発明考案展覧会/川崎市長賞
2005年 日本光学会/光設計優秀賞
2007年 映像情報メディア学会/技術振興賞 開発賞
2010年 発明協会/全国発明表彰21世紀発明賞(第二表彰区分)
2010年 映像メディア学会/丹羽高柳賞(業績賞)
2010年 ウーマン・オブ・ザ・イヤー2011/大賞
2011年 文部科学大臣表彰/科学技術賞(研究部門)
2011年 Women and the Economy Summit(APEC USA 2011)/APEC女性イノベーター賞
2013年 日本液晶学会賞/業績賞(開発部門)

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