【重要】技術情報誌『O plus E』休刊のお知らせ

若いうちに成果を出すことばかりを考え,焦りすぎないこと,自分を見失わないこと東京工業大学 宮本 智之

VCSEL発明者伊賀先生の元で材料開発に従事

聞き手:今までのご経歴と,光学・エレクトロニクスに進んだきっかけをお聞かせください。

宮本:父親が技術者であった影響で,小学生くらいから理系に興味をもっていました。中学生の頃は1980年代で,サイエンスではバイオ関係で遺伝子の新しいことがわかってきたり,宇宙関係ではボイジャーが火星に行ったり,科学技術ではビデオレコーダーやパソコンが家庭に入ってくるようになるなど,ワクワクする時代でした。父親がパソコンに興味をもっていたこともあり,早くからパソコンが家にあったので,中学の頃からマシン語でプログラミングをして基本的なプログラミングの技術はその頃に身につけました。ただし,残念ながらプログラミング能力はなかったので,大学は情報系ではなく,東京工業大学(東工大)の電気電子系に進みました。
 4年生の卒業研究では,伊賀健一先生の光関係の研究室を選びました。エレクトロニクスを学んでいるなかで,未知の部分が残っているところを選んでみたいと思ったのです。伊賀先生の研究室では,VCSEL(垂直共振器面発光レーザー)の研究をしていました。VCSELは伊賀先生の発明で,1977年に伊賀先生のメモ書きからスタートしたと言われています。しかし,そこから10年間くらいは世の中から注目されず,ほぼ世界で伊賀研究室だけが研究をしていました。1988年に,私の上司であり,今は教授をしている小山二三夫先生が助手として伊賀先生の元に来て,それまで蓄積されてきた技術を活用しながら,新たな技術を適用して同年に室温での連続動作を成功させました。それまでは液体窒素で冷却し,パルス電流で駆動していました。室温連続動作が可能になったことで,実用化のメドが立つようになり,世界でもようやく注目されるようになりました。
 私はVCSELが連続動作を実現した後の1990年に研究室に配属になりました。まだレーザーが動作したというだけですから,実際の応用に向けて性能を向上させていくという時期でした。私自身は,材料を作るところから関わっていました。今後,長距離の光通信に面発光レーザーを使う可能性があるということで,InPという材料の研究をしていました。化学ビーム成長法を用いると,原子一層レベルで非常に細かくコントロールすることができるのです。修士になり,材料のメドが経ち,面発光レーザーを作り研究をするようになりました。面発光レーザーを作るプロセスには1か月から1か月半くらいかかります。私も何度か挑戦しましたが,5回目までは途中で失敗するなど,なかなかうまくいきませんでした。しかし,6回目のチャレンジをしたときに,やっとレーザーが出たのを確認することができました。そのときはうれしかったですね。伊賀先生にも見せて喜んでもらいました。そのときのペンレコーダーでの測定のコピーは,今でも私の教室に飾ってあります。このことから,少しくらいであきらめてはいけないと思いますし,自分の研究者人生にとって大きな経験になりました。

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宮本 智之

宮本 智之(みやもと・ともゆき)

1996年 東京工業大学大学院 総合理工学研究科 博士課程修了
1996年 東京工業大学 精密工学研究所 助手
1998年 東京工業大学 量子効果エレクトロニクス研究センター 講師
2000年 東京工業大学 精密工学研究所 准教授
2004~2006年 文部科学省 研究振興局基礎基盤研究課材料開発推進室 学術調査官(兼務)
2016年 東京工業大学 科学技術創成研究院 未来産業技術研究所 准教授
●専門分野
光無線給電,光エレクトロニクス,半導体光デバイス

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