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コバルトブルーに魅せられて -前人未到のGaN p-n接合への挑戦-名城大学 / 名古屋大学 赤崎 勇

前人未踏のp型への挑戦

 こんなにきれいな高品質の結晶ができましたのでp型はすぐにできると思っていました。しかし,そう簡単ではありませんでした。亜鉛(Zn)は高価で,以前から青のルミネッセンスセンターとして知られており,n型不純物の少なくなったこの結晶にZnを入れればきっとp型になると考え,Znを使っていましたが,これだけ結晶がきれいになっているのに,毎日実験を繰り返しても,p型は出来ませんでした。しかし,p型ができないにもかかわらず,不思議にこれはもうダメだとあきらめませんでした。
 そんなある日,研究室で議論している時にマグネシウム(Mg)を使おうということになりました。しかし,MOCVD法ですから,不純物源(ドーパント)も有機金属Mgを使う必要があります。とおろが,その頃国内には,有機金属Mgはありません。それで急遽アメリカからジンクロペンタジエニールMg(CP2Mg)とメチルCP2Mg(MCP2Mg)を輸入しましてこれらの有機金属Mgを入手し,すぐに実験したところ,GaNに非常に制御性よくMgドープ出来たのですが,残念なことにp型にはならなかったのです。
 それでも研究を続けていたある日,これに電子線を当てて青色発光を調べている時,p型になっていることを見つけたのです。ホール効果も測定して,もう間違いなくp型になっているのを実証したのです。ついにGaNでp型を実現したのです。1989年のことでした。これはJ.B.Mullin教授によれば,“窒化物半導体におけるp型伝導の発見”であり,できないといわれていたそれまでの常識をくつがえしたのです。先に述べた高品質GaN単結晶の創製とともに,窒化物半導体研究における2つ目のブレークスルーでしょう。p型GaNができたので,早速世界初のGaNのp-n接合型青色発光ダイオードを実現しました。
 一方,n型伝導については,新たな問題が発生しました。それは,低温バッファー技術によって結晶の純度がよくなったため(n型の)抵抗が高くなったのです。実際のデバイスでは,n型の伝導度を低抵抗から高抵抗まで自由に変える必要があります。私たちは,低温バッファーで結晶をきれいにしておき,そこにシリコン(Si)を入れて,広い範囲にわたってn型の伝導度を制御することにも成功しました。やはり1989年です。こうして,GaN研究の閉塞状況は打破され,世界中の研究者に希望を与えることになりました。
 これらの成果が引き金となって世界中の研究者が窒化物研究に雪崩を打って参入し,研究が急速に活発になって来ました。当然論文数も指数関数的に急増し,また種々のデバイスが開発されてきました(図1)。
図11986年の高品質GaN単結晶の創製(低温堆積バッファー層による)や1989年における”p型伝導の発見”をはじめとするブレークスルー以降,論文数が指数関数的に増大していることが分かる。同時期に,種々のデバイスが実現され,また量子効果など,多くの材料科学的重要な成果が得られている。

図1
1986年の高品質GaN単結晶の創製(低温堆積バッファー層による)や1989年における”p型伝導の発見”をはじめとするブレークスルー以降,論文数が指数関数的に増大していることが分かる。同時期に,種々のデバイスが実現され,また量子効果など,多くの材料科学的重要な成果が得られている。

 一方,半導体レーザー実現のためには,p-n接合とともに,誘導放出を実現しなければなりません。GaNからの光励起による誘導放出は低温に限られていましたが,私達は,低温バッファー技術で高品質化した結晶で,1990年に世界ではじめて室温誘導放出を実現しました。
 先程お話したように,私達はすで(1989年)に,p-n接合青色発光ダイオードを実現していましたので,これと組み合わせて,青色半導体レーザーの可能性を示したわけです。
 あとは詰めの仕事が必要ですが,レーザー発振に必要なしきい値を私達は年々指数関数的に低減させ,ついに1995年9月に,量子井戸構造への電流注入により(ダイオード)室温誘導放出(短寿命ながら性質上,初の窒化物レーザーダイオード)を実現したのです。
 また,1996年には当時世界最短波長(376ナノメートル)の半導体レーザーも実現しました。 <次ページへ続く>
赤崎 勇(あかさき・いさむ)

赤崎 勇(あかさき・いさむ)

1952年,京都大学理学部卒業。同年,神戸工業(株)入社。59年,名古屋大学工学部電子工学科助手,同講師,同教授を経て64年,松下電器産業(株)入社,東京研究所基礎第4研究室々長,同半導体部長等を歴任。81年,名古屋大学工学部電子工学科教授。92年,名古屋大学定年退官。同年,名城大学理工学部電気電子工学科教授,名古屋大学名誉教授。95?96年,北海道大学量子界面エレクトロニクス研究センター客員教授。96?2001年,日本学術振興会未来開拓学術研究推進事業プロジェクトリーダー。96年~,文部科学省 名城大学ハイテク・リサーチ・センタープロジェクトリーダー。2001年,名古屋大学赤崎記念研究センター(兼務),そして現在に至る。
工学博士,IEEE Fellow,日本フィンランドインスティチュート理事,フランス共和国モンペリエ市名誉市民,科学技術振興事業団 参与(02年~)など。 1995年,ハインリッヒ・ウェルカー金メダル。97年,紫綬褒章。98年,ローディス賞。98年,ジャック・A・モートン賞。99年,米国国体科学技術賞。2000年,東レ科学技術賞。01年,朝日賞。02年,第2回応用物理学会業績賞(研究業績)。02年,藤原賞など多数受賞。

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