【重要】技術情報誌『O plus E』休刊のお知らせ

1つステップを超えるには大きな目標を一緒になって苦労を分かち合う仲間の存在が重要東京工業大学 大山 永昭

写真がきっかけで放射線を学び画像の電子保存へつながった

聞き手:まず,どうして,光学の分野に進まれたのか教えていただけますでしょうか。

大山:私は写真が好きで,学部の頃はSLの写真をよく撮っていました。高校生ぐらいの頃から撮っていたのですが,ボケたり露出不足でうまく撮れないときがしょっちゅうでした。そんな時,当時のテレビ番組や映画で,画像修正してきれいに直すシーンを見ました。それを見て,「あれはいいな」と思ったのです。なので,今の仕事に就いたきっかけは写真だったのです。
 学部時代に勉強していたのは,物理の放射線でした。放射線の知識を使って,もともと好きでやっていた画像とつなげると,自然と医療用の画像処理に入っていきました。
 そのため,私が取ったドクター論文の博士課程のテーマは,「放射線シングルフォトンCT」といって,核医学に関する内容でした。アイソトープを体の中に入れて,例えば病変部に集まる大きさや量を外から撮影して,がんの有無等を見るのです。今は,それがポジトロンCTに発展しています。
 私は一時期,アリゾナ大学の放射線科にいました。そこで,3次元CTの再構成の研究をやらせてもらいました。
 米国に行く数年前に,今の仕事につながってくるのですが,国立がんセンターの内視鏡部長で,池田茂人先生という方がいらっしゃいました。私の教授は辻内順平先生だったのですが,辻内先生から池田先生の仕事を手伝ように言われました。池田先生は,X線やCTの画像や検査データなどを,全部個人で集約するシステムを実現したいと考えており,そのシステム開発を手伝わせていただきました。
 当時,PHDRS,つまり,Personal Health Data Recording Systemというシステムを,ゼロから開発しました。32ビットのいわゆるミニコンピューターを使って,いろんな装置と接続して画像や検査データを個人用の可搬媒体に集約し,高解像のモニターに表示します。この試みは,医療用の画像としては初めてだったのではないでしょうか。
 それが,私が29歳ぐらいの頃でした。その後,私はアメリカに行って,33歳のときに日本に戻ってきました。辻内先生が退官になることもあり,帰ってきました。
 その後,助教授になったのをきっかけにして,それまで研究していたPHDRSを実用レベルにもっていこうと考えました。どのようにすれば良いかと考えていたときに,当時,日立中央研究所にいた角田さんという,光ディスク関係で有名な人がいまして,彼が応用物理学会誌に,光ディスクはできたけれどもコンテンツがないのが課題だと書いているのを見つけました。私はそれを読んで,すぐに彼に電話しました。
 そうして,光ディスクを使って,個人の医療情報を集約するプロジェクトがスタートしました。このプロジェクトは,光ディスク関連企業や医療関連企業の協力を得て,当時の通産省(旧 通商産業省。現 経済産業省)と厚生省(旧 厚生省。現 厚生労働省)が共管するMEDIS(医療情報システム開発センター)と一緒に,先ずは2年間の調査研究を進めました。その後,国立がんセンターをフィールドにして,実証実験を行いました。
 私がやった中で忘れられないのは,技術的な面からいうと,40センチ四方のX線フィルムをデジタル化するのに,画素数や濃度分解能がどれくらい必要かということでした。
 この調査研究を進める際に,当時の厚生省において医療情報関係を所管しているのは1グループしかありませんでした。その室長に,私が「個人健康管理システムを開発したい」と相談に行ったところ,「やりたいことは分かったので1つお願いがある」と言われました。それは,医師法で規定されていることですが,診療に用いたX線画像等には保存義務が課せられています。いわゆる,エビデンスのための領収書と同じように保存しておく義務が医療機関側にあるということです。ところが,大角サイズのフィルムは結構重く,さらに場所も取ります。大量の画像フィルムを管理・保管するために,当時は院内の倉庫に積まれ,場所代,管理費等の問題が指摘されていました。これらを電子化して保存できるようにすること,すなわち「法律上の保存義務を満たす電子保存の実現方策を研究してくれ」というのが厚生省からの依頼でした。それが35歳(1988年)ぐらいのときで,これはなかなか大変でした。
 保存義務を満たすためには,フィルムが持つ特性を維持することが望まれます。例えば,フィルムはどこへ持っていっても見えます。それも長期にわたって見られなければなりません。もちろん,画質の低下を避け,改ざん防止も必要です。さらに大量の画像が小さな媒体に入るので,盗まれても簡単に見られないようにすることが望まれます。このような条件を定義し,その基本要件を電子保存の3原則としてまとめ,厚生科研の報告書として提出しました。
 その後,経産省の支援による実証実験や画像データ等の記述方式の標準化と並行して,厚生省が研究費を出してくれました。それから数年間の準備期間があって,1994年に,厚生省健康政策局の局長から,前述した3原則を満たすことで電子保存を許可する旨の通知が出ました。この業績により,1995年の科学技術庁長官賞をもらいました。これには,光学の様々な知識が役立ちました。画像を使うシステム系の一般的な能力評価とか,改ざん防止をどうやるかといった知識です。
 今もそうですが,画像の保存義務は,患者ではなくて医療機関側にあります。ですから,訴訟が起きたら医療機関側が改ざんする可能性を否定できなくなります。だから,改ざん防止機能が必要です。画像の保存はできても,それだけでは,実用までいかなかったのです。個人の健康情報あるいは医療情報を紐付けするための具体的な方法は,今,やっとできあがってきています。すでに,30年の長い期間を要しています。
 当時は,ネットワークも普及していませんでした。電子保存という課題解決が,ITにより従来の規制を突破できる方法になったわけです。

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大山 永昭

大山 永昭(おおやま・ながあき)

1983年 東京工業大学 像情報工学研究施設 助手 1988年 東京工業大学 像情報工学研究施設 助教授 1993年 東京工業大学 像情報工学研究施設 教授 2000年 東京工業大学 フロンティア創造共同研究センター 教授 2005年 東京工業大学 像情報工学研究施設 教授 2010年 東京工業大学 像情報工学研究所教授 2016年 東京工業大学科学技術創成研究院教授 現在に至る
●研究分野
医用画像工学,光情報処理,社会情報流通システム
●主な活動・受賞歴等
1995年 科学技術庁長官賞 1997年 通商産業大臣表彰 2000年 郵政大臣表彰 2005年 総務大臣表彰 2010年 文部科学大臣表彰 科学技術賞(研究部門)

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