【重要】技術情報誌『O plus E』休刊のお知らせ

失敗を重ねながら良い方法を自分で見つけ出す訓練が後に活きる東北大学 波岡 武

時々の状況に応じてよいと思うことに全力を注ぐ

聞き手:先生はシカゴ大学の留学を含め,10年間海外で過ごされたと聞きましたが,海外で苦労されたことはありますか。また,どうやって乗り越えられましたか。

波岡:一番苦労したのは英語です。1955年,田中先生のご尽力でシカゴ大学大学院に入学し,当時分子研究分野の世界の中心だったProf. Mulliken が主宰するLaboratory of Molecular Structure and Spectroscopy(LMSS)で勉強することになりました。1952年,田中先生はMulliken先生の推薦で,AF Canbridge Research Laboratory(AFCRL)に新設された真空紫外分光学部門の部門長に就任されていらっしゃいました。
 私たちの年代の者にとっては,英語は敵性国語と言われ,授業時間数も少なく,話す聞くは無視されていました。読み書きは辞書を相手に時間をかければ何とかなりますが,私の会話力は今の中学生にも及ばない程度だったと思います。そこで田中先生が,Naval Research Laboratoryから物理学科の改革を目的にハワイ大学に赴任されていたProf. Watanabe(渡邊賢一)に,私のことを依頼してくださり,1955年6月に貨物船で2週間かけてホノルルへ行きました。そして,ワタナベ先生のもとで3か月間実験を手伝いながら,英語だけでなく米国式の生活様式を教えていただきました。
 10月からシカゴ大学での勉学生活が始まると,さっそく英語の壁にぶつかりました。先生が黒板に書く式から授業の内容はわかりますが,授業の終わりに必ず出る宿題は口頭で言われるだけなので,問題がわからなければ解けません。さいわい,同期入学で,州立イリノイ大学卒業生である,LMSSの理論志望の吉嶺恵さんに助けられました。彼は後に,IBMサンノゼ研究所でシカゴマフィアと呼ばれた分子構造計算グループの1人として知られています。
 あとは,赤ん坊と同じように,耳から入ったものをそのまま理解するように努めました。できるだけ多くの人と話をしたり,暇があれば何回も同じ映画を観たりしました。それが功を奏したかはわかりませんが,大体1年経ったころには何とかなるようになりました。
 その間に,毎日顔を合わせる質量分析法のProf. Inghramのグループの人たちと親しくなり,光イオン化の効率測定に使えるモノクロメーターがなくて困っているという話が出てきました。それで,入出射スリットを固定して回折格子を回すだけで波長走査ができる方法があると言ったのですが,誰にも私の言うことを信用してもらえませんでした。急遽,バラックセットを作り,水銀のスペクトルが回折格子を回して,次々に鮮鋭な像を結ぶのを見せたところ,みんな驚いて,採用してもらえました。実験は成功し,1957年には論文が発表され,以後,光化学反応実験に広く使用されました。同年,Jarrell-Ash社から私達のモノクロメーターを「瀬谷-波岡モノクロメーター」という名前で市販されるようになりました。
 多くの人に助けられながら博士課程に進み,Marilynというあだ名の6.4 mの真空分光器を使って順調に研究も進めていましたが,1957年の初夏に,健診で活性の肺結核と診断され,大学病院の医師から実験禁止を告げられました。それにはかなり悩みました。同時に,前々からなぜMarilynが,世界最高の分解能を示すのか疑問だったことに気づきました。Marilynのように入射スリットの中心点と写真乾板の中心線がローランド円の面の上下に対象的に配置されているoff-plane配置では,収差が大きくなり実用的でないと,ミシガン大学のProf. Sawyerの著書にも書かれていて,現実と矛盾するのです。実験禁止なら,紙とペンだけでこの矛盾を解決しうる凹面回折格子の理論を作ろうと決心しました。
 これが成功して, Marilynにまつわる矛盾を説明でき,しかも,Sawyerの説も,高分解能が得られる事実も,共に正しい理由を理論的に導出できました。これらの結果をまとめた凹面回折格子の理論と各種マウンティングへの応用がOpt. Soc. Am.に掲載されました。シカゴ大学の規定により,これらの掲載論文の別刷を提出し数回にわたる審査会を経て,1959年6月,Ph.D.を授与されました。


1957年シカゴ大学の6.4 m off-plane Eagle型真空分光器Marilynと波岡先生



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波岡 武

波岡 武(なみおか・たけし)

1950年 旧制東京文理科大学文理学部物理学科卒業 1953年 同科研究科前期3年終了 1953年 東京教育大学助手 1955年 シカゴ大学大学院入学 1959年 同校博士課程物理学専攻終了 Ph. D. in Physics 1959年 米国Kitt Peak National Observatory, Research Associate 1960年 米国AF Cambridge Research Laboratory Project Physicist 1965年 東京教育大学助教授 1977年 東北大学助教授 1980年 同校教授兼高エネルギー物理学研究所教授 1991年 東北大学名誉教授,米国Universities Space Research Association Senior Research Scientist, Center for X-Ray Optics, Lawrence Berkeley Laboratory Affliate Member, University of Maryland Adjunct Professor 1994-97年 米国Naval Research Asian Office Science Advisor 1998-2008年 日本原子力研究機構研究嘱託
●研究分野
真空紫外分光学,軟X線光学
●Optical Society of America Fellow, 日本分光学会名誉会員,日本放射光学会名誉会員

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