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常に1つのことを突き詰める,そして時々それを俯瞰し視点を変えて,新たなトライアルをしながら一貫して前進して行く東京大学 荒川 泰彦

実験で研究ができるというのはすごく意義がある

荒川:大学院では光通信路をモデルにしてそこにおける通信伝送理論等を研究していました。指導教官は,教授の瀧保夫先生でしたが,助教授の羽鳥光俊先生にもお世話になりました。大学院に進学した1971年ごろは,光ファイバー通信研究が米国ベル研究所を中心に本格的に始まったころでした。そういう中で,光通信を抽象化して,それを通信理論の体系の枠組みに組み込んだ理論を構築するというのが,私の目指した大学院時代の研究でした。これは純粋に理論の研究でした。
 特に光の量子性を考えた時に,通信路の情報論的性質がどうなるか,そこに通信路に整合した送受信のあり方などを数学的に体系化するとともに,新たな伝送符号の提案をするなどの研究を行ってきました。ですから「光」と付きながらも純粋に数学に立脚した通信理論を展開していたわけです。光通信路固有の雑音をノルムにした信号空間を考え,そこに情報の点や線を配置していくのです。博士3年の春,就職担当の教授に呼ばれて東大にポストがあるといわれました。ただし,光デバイスを研究することが付帯条件でした。
 その当時,東大の電気では,大学院生は採用されるとすぐに専任講師になるというシステムで,いきなり研究室を持つ形で生産技術研究所に採用されました。実は電電公社などからもいろいろ話があったりしていたのですが,やはりアカデミックな場所で研究を続けることに意義を感じていました。それで,専門の転換という要求を飲んで,といいますか,実はその当時,私自身も通信路にちょっと限界を感じていて,少し飽きていたこともあり,ちょうどよい機会と考え就職を決めたのです。
 実験で研究ができるというのは,すごく意義があると思いましたし,今までは数学としての研究でしたので,物理としての光の研究ができるというのは,研究者としての今後の展開にとって意義があると思いもあり,ポジティブに転向しました。
 そういう思いで光デバイスの研究に入りましたが,実際には,教科書としての量子力学はかなり理解していましたが,実験は全く未経験であり,いろいろと非常に戸惑ったことを覚えています。
 私が就職する直前の生産研究所には,齋藤成文先生,濱崎襄二先生,藤井陽一先生,それから榊裕之先生がおられて,斎藤・榊が「S」で,濱崎が「H」で,藤井が「F」で,研究グループ全体として「SHF(Super High Frequency)」と呼ばれていました。そんな中に私,「A」が入ってきて,形が崩れてしまい(笑),「SHFA」とか呼ばれたこともありました。
 ともかくそういうことで新たに研究室を立ち上げましたが,今申し上げたように右も左も分からないことだらけでした。濱崎先生から言われたのは,2年で自立しろと。1つの明確な成果を2年で何か見せないといけないよと言われ,かなりショックを受けたことを覚えています。直接の上司の藤井先生は広くゆったりと眺めて,あまり何も言われなかったですね。その当時,いわゆる光ファイバーや,三次元ディスプレイの研究といった,以前からのオプテックス,つまり電磁気学に立脚した光学が大きな分野を形成していました。私に期待されたのは,これらに近い光情報デバイス的な研究であったように思われます。
 そのころ通信波長帯半導体レーザーの研究が大変盛んでした。私の大学院時代の研究テーマだった通信理論は,雑音をベースにした世界なのです。もし雑音がなければすべての情報が誤りなく送れますので通信容量は無限大となります。そういう意味で,雑音という概念は非常に重要なのですが,これは物理に立脚しています。いうまでもなく,もっとも光デバイスで関係の深いのがレーザーであったわけです。ということで,アクティブデバイスである半導体レーザーに取り組むのが一番おもしろそうにみえました。
 後,専門を変えるなら徹底的に変えたいとも考えていました。量子論に基づくレーザーは,私にとって物理に立脚した電気工学の観点から満足させるものですし,材料の課題も入ってきます。ということで,新しい世界である半導体という世界に飛び込もうと決めました。
 とは言ってもその当時は通信波長帯のレーザーで,東京工業大学の末松安晴先生のグループが圧倒的に強かった。世界的にも通信用レーザーに非常に大きな流れがあり,少々戸惑うところがありました。学会に出ても誰も知らないわけです。知識は教科書や文献を読めば分かりますが,学会では人が分からないと交流もできませんから。そういうことでちょっと大変でした。一方,生研の中では,すぐ隣に榊研究室が活動されていました。
 榊先生は電子デバイスを中心に研究を行っていました。特に江崎玲於奈先生のところで量子効果の研究を本格的に始めて,私が就職したころにはMBE(分子線エキピタシー)法の装置を立ち上げて活発に研究を開始していました。榊先生に年齢が近いこともあり,それから先ほどの同じSHFグループということで,先生の実験室に出入りし,私にとって未知の世界であった半導体の取り扱いの体験を,場所を借りてやらせていただいたりと,いろいろお世話になりました。一応荒川研究室ということで自分の部屋はあてがわれたのですが,もちろん何も設備はありませんでした。
 その中で,半導体で何をやろうかと考えた時に,いろいろ論文を見ていると,量子井戸レーザーというのがちらちらと出ているのに気が付きました。主にイリノイ大学,あるいはベル研究所が中心でした。イリノイ大学のホロニャック先生が,その分野では非常に有名でした。フォノンが絡んだレーザー励起が起きているとか,いろんな議論もされていて,非常に興味がわきました。
 それに加え,その時点での半導体レーザーの研究の主流は通信用レーザーでしたが,これを研究するには,あまりにも大きな流れが既にあってどうにもならないという思いもありました。また,そういうこともあり量子効果を伴うレーザーに関心を持ち,それが大変意義があるということが次第に見えて気になってきました。
 電子の運動の自由度をもっと落としたら,レーザー特性はどうなるのだろうということを考え始め,そういう議論を榊先生としながら,実際に計算をしてみようかということで,量子ドットレーザーの研究がスタートしたのです。 <次ページへ続く>
荒川 泰彦(あらかわ・やすひこ)

荒川 泰彦(あらかわ・やすひこ)

1975年 東京大学工学部電子工学科卒業 1980年 東京大学工学系研究科電気工学専門課程修了 工学博士 1980年 東京大学生産技術研究所講師 1981年 東京大学生産技術研究所助教授 1984年から1986年 カリフォルニア工科大学客員研究員 1993年 東京大学生産技術研究所教授 1999年 東京大学先端科学技術研究センター教授(2008年まで) 2006年 東京大学ナノ量子情報エレクトロニクス研究機構長 2008年 21・22期日本学術会議会員 2012年 東京大学生産技術研究所・光電子融合研究センター長
●主な受賞
1991年 電子情報通信学会業績賞 1993年 服部報公賞 2002年 Quantum Devices賞 2004年 江崎玲於奈賞 2004年 IEEE/LEOS William Streifer賞 2007年 藤原賞 2007年 産学官連携功労者 内閣総理大臣賞 2009年 IEEE David Sarnoff 賞 2009年 紫綬褒章 2010年 C&C賞 2011年 Heinrich Welker賞 2011年 Nick Holonyak,Jr.賞 2012年 応用物理学会化合物半導体エレクトロニクス業績賞(赤崎勇賞) 2014年 応用物理学会業績賞

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