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常に1つのことを突き詰める,そして時々それを俯瞰し視点を変えて,新たなトライアルをしながら一貫して前進して行く東京大学 荒川 泰彦

特に注目されなかった「量子箱」

荒川:研究の体系として設定したのは,電子の閉じ込めの次元を変えた時に,半導体レーザーの特性に生じる変化を理論的に検討することでした。まず,電子の閉じ込めの次元と閾値電流との関係を明らかにしました。アイデアや基本的な計算自体は1980年の末にはできていて,1981年3月には,量子ドットレーザーについて応用物理学会春の講演会で発表しました。APLの論文は1982年春に出版されましたが,研究としての最初の公表という意味では81年の春ということになります。
 多次元量子閉じ込めに関する実験的検証として,磁場の実験も行いました。半導体レーザーを強磁場に入れると,電子の次元が2つ下がります。量子ドットを実現することはできませんでしたから,普通の半導体でもできる実験として磁場を用いることにしたのです。当時は東京大学の生産技術研究所と物性研究所が,同じ六本木のキャンパスに同居していましたので,超強磁場の研究をされていた三浦登先生のところで実験をやらせてもらいました。半導体レーザーについては,現在JST理事長で当時日立中研の中村道治さんやNTTの岡本紘さん(故人)にいただきました。強磁場発生装置における,サンプル空間は7ミリ程度で非常に狭くて,レーザーの配置や光の取り出しとか,そういうことに苦労しました。しかも,液体窒素に浸されているので,独立した真空の空間をつくる必要がありました。光は,当時出始めたバンドルファイバーが導入して取り出しました。あの狭い空間から光を取り出すなんていう実験は誰もやっていなかったので,光ファイバーを導入したのはわれわれが多分初めてじゃないかと思っています。温度制御もする必要がありました。サンプルホルダーの作製については,技官として荒川研究室に着任した西岡政雄君の工作力が重要でした。そういった苦労を経て実験を行い,温度特性の改善も観測できたので,実験結果も含めて1982年の5月に論文としてAPLに出版しました。
 1981年になってから,他の研究会でも量子ドットレーザーについて講演したりしていましたが,量子ドット,その当時は「量子箱」と言っていましたが,そんな構造は熱力学的に安定であるはずがない,といった批判も受けました。私自身も量子ドットをどう作ればいいかというのはもちろんわからなかったので,ごもっともなご意見,として受け入れざるを得ませんでした。
 その後も詳細な磁場の実験はしていましたが,1983年ごろに日本学術振興会が海外特別研究員という制度を始めました。毎年10人選んで海外に2年間派遣するというものでしたが,それはポストというよりは,むしろ大学に既に職を持っている人が出張の形で派遣されるものでした。選考は激戦でしたが,最初の採用者グループの1人として派遣を決めてもらいました。これが実に有り難かったですね。
 そこで在外研究を行った研究室が,米国カリフォルニア工科大学のアムノン・ヤリフ先生のところでした。最初はホロニャック先生に手紙を書いたのですが,外国人は受け入れないということで断られまして。それならヤリフ先生のところ,ということで,以前ヤリフ研でDFBレーザーの研究をされた,先ほどの中村さんらに推薦状を書いていただいて行くことになりました。結果的には,それが非常に良かったです。ヤリフ先生の研究室は,その当時はもう最盛期でした。当時,APLは,非常に薄い冊子で厳選された論文が掲載されるすごく良い雑誌でした。そこにほとんど毎号に1つは論文が出ているような,大変な研究グループでした。
 そこに1984年の2月1日から行きました。最初は何をやろうかとじっと考えていたのですが,ちょうどヤリフ先生のところに,今はナノ共振器やフォノン制御で非常に有名なったケリー・バハラ教授が大学院生としていまして,半導体レーザーの雑音理論を研究していました。私はこれを参考にしながら,量子効果と雑音特性の関係を明らかにする理論計算を始めました。量子井戸レーザーのみならず,量子細線レーザーや量子ドットレーザーを含む理論の論文を書きました。
 カリフォルニア工科大学に着いてから,およそ3ヶ月間でその計算をして,その論文がAPLに採択されました。それがアメリカに行っての最初の論文です。量子効果が雑音特性及び変調特性の改善に極めて有効であるということを示した論文なのですが,これが非常に受けまして,日本を含め世界中からかなり注目されました。
 ヤリフ研究室から出た論文というのも注目度を上げた要因の1つと思います。これに伴い,無名だった82年のAPL論文も少しずつ知られるようになりました。それから実際に量子井戸レーザーをヤリフ研で自分で作り,そのレーザーを,ボストンのMITのマグネットラボに持っていき,磁場の中に入れて変調実験や雑音特性を調べる実験などを行いました。2年間いて15件くらい論文を書きましてが,その当時としては数が多かったです。  そうして日本に戻って,まずは量子井戸レーザーについて,変調ダイナミックスや長短パルスとか,基本特性を解明するような実験をはじめました。でも,そのうちにやはり本当に量子ドットを作るべきだという思いがありましたので,自分で結晶成長をやりたいと考えるようになりました。
 当時,榊先生の研究室ではMBEの結晶成長装置を核にして研究室が非常にまとまってきたというのを横で見ていましたので,それなら私はMOCVD(有機金属気相成長)法でやってみようかなと考えたのですが,お金がとにかく要るわけです。はたと困ったわけですが,当時は大学に大型の予算が概算要求という形で出て付いたりしました。たまたま,今キヤノン副社長の生駒俊明先生が生研の若手教授で, 当時としては超大型の予算を文部省から獲得しましたので,その中からMOCVDを購入しても良いよということになりました。ただここでも条件が付きまして,少し普通とは違うこと,一工夫するようにと言われました。それで,電子線を当てながら局所的に結晶成長をさせて,量子ドットを形成するという電子線CVDを行うということでMOCVD装置を導入しました。ただ,反応室を2つに分けて,電子線CVDと併せて通常のMOCVDもできるようにしておきました。それが良かったのです。お金の工面は大変でした。当時だからできる資金繰りを行いました。電子線CVDによるナノ構造の形成は,現在,生研教授で,当時大学院生の高橋琢二君に取り組んでもらいました。MOCVDによる量子井戸レーザーのダイナミックスの研究は,現在NTT基礎研所長で当時大学院生の寒川哲臣君や西岡君が担当しました。
 MOCVDの研究を始めて, 量子ドットの本格的作製の研究を開始したのが1989年ごろです。1990年ぐらいに量子ドットを作り始め,それ以降は本格的にナノ技術としての結晶成長と,それからデバイス物理とその作るものを共有しながら研究開発を行ってきました。量子ドットや量子細線の作製については,当時大学院生で現在阿南高専教授の塚本史郎君や助手で現在産総研の永宗靖君の貢献が大きかったといえます。それ以来自分のところで半導体のナノ構造を作り,そして,自ら量子光学あるいは固体物理としての実験を行うスタイルになっています。
 量子ドットを作るとともに,微小共振器の作製にも取り組みました。1993年ごろにクローデ・バイスブーシュさんというフランスの非常に優れた半導体光物性屋さんが私の研究室に滞在し,いわゆる共振器ポラリトンの効果を見つけました。それができたのも,半導体の結晶成長装置の技術を確立していたというのが大変大きなことでした。ですから良い結晶成長技術,あるいはナノ技術を持つことは,新しい物理学を展開できるために大切なことなのです。共振器ポラトリンの研究は,まさにそのよい例だと思います。
 この発見はすごくインパクトがありました。量子ドットに関する最初の1982年のAPL論文は, 今では2,400回くらい引用されていますが,この成果を発表した1992年のPRLの論文も1,500回くらい引用されています。だからそういう意味では,この2つは私にとって基本的な論文となっています。
 94年ごろには富士通研究所やNECでも量子ドットレーザーの研究を開始していました。前者では向井剛輝さんが,後者では西研一さんが結晶成長に当時一生懸命取り組んでいることを思い出します。それからヨーロッパですとベルリン工科大学を中心に活発に研究が開始されました。だんだん量子ドットの研究が,少しずつですが高まってきたかなという気がししたが,それでも量子ドットレーザーは,物理の基礎としてのレーザーであり,実用には程遠いと思われていましたね。
 そのころGaN系半導体の研究も開始しました。1997年に現在工学系研究科教授で,有機エレクトロニクス研究で大変有名な染谷隆夫君が,大学院を卒業して最初は助手,その後講師,助教授として参加してくれましたので,一緒に相談しました。フォトニック結晶をやるかGaN系半導体をやるか,などの議論を経て,結局GaN系半導体で面発光レーザーを作ろうということになりました。その頃には,研究室に少しは予算がありましたので,GaAsの結晶成長に用いていた初代のMOCVD装置を大幅に改造して,GaN系半導体のMOCVD装置にしました。すごく難しい結晶成長でしたが,染谷さんが素晴らしい力量を発揮して面発光レーザーの発振をやり遂げました。なお,最近我々は単一量子ドットレーザーの実現に成功しNature Physicsに報告したのですが,このテーマも,染谷さんと話し合う中で,めざすべき究極の研究の一つと位置付けていました。ただ,すごく難しいね,というのが当時の感触でした。
 並行して,GaN半導体の量子ドットの形成の研究も開始しました。これは,現在東芝の当時大学院生であった橘浩一君が主として担当しました。このようにして,私の量子ドットの結晶成長は,以来,GaAs系量子ドットと,GaN系の量子ドットの二本立てとなりました。なお,フォトニック結晶については,染谷さんが本郷に移ったので,その後任として来てもらった,現在生研准教授の岩本敏君に取り組んでもらいました。ちなみに,彼は,当時生研の教授の黒田和男先生の学生さんでしたが,うちのMBE装置で研究をしていたので,よく議論していました。岩本さんは,素晴らしいパートナーとして,以来一緒に研究室を運営してきています。 <次ページへ続く>
荒川 泰彦(あらかわ・やすひこ)

荒川 泰彦(あらかわ・やすひこ)

1975年 東京大学工学部電子工学科卒業 1980年 東京大学工学系研究科電気工学専門課程修了 工学博士 1980年 東京大学生産技術研究所講師 1981年 東京大学生産技術研究所助教授 1984年から1986年 カリフォルニア工科大学客員研究員 1993年 東京大学生産技術研究所教授 1999年 東京大学先端科学技術研究センター教授(2008年まで) 2006年 東京大学ナノ量子情報エレクトロニクス研究機構長 2008年 21・22期日本学術会議会員 2012年 東京大学生産技術研究所・光電子融合研究センター長
●主な受賞
1991年 電子情報通信学会業績賞 1993年 服部報公賞 2002年 Quantum Devices賞 2004年 江崎玲於奈賞 2004年 IEEE/LEOS William Streifer賞 2007年 藤原賞 2007年 産学官連携功労者 内閣総理大臣賞 2009年 IEEE David Sarnoff 賞 2009年 紫綬褒章 2010年 C&C賞 2011年 Heinrich Welker賞 2011年 Nick Holonyak,Jr.賞 2012年 応用物理学会化合物半導体エレクトロニクス業績賞(赤崎勇賞) 2014年 応用物理学会業績賞

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