何か新しいものを作っておくと,誰かが面白い応用を考えるものです東京工業大学 学長 伊賀 健一
技術や環境の進展で予想を超えた「もの」が誕生する
聞き手:面発光レーザーは現在,ギガビットイーサネットへの活用が広がり,面発光レーザーを組み込んだモジュールなどが1兆円規模を超える産業になりつつあります。今後どのような展開になると予測されますか。伊賀:研究論文はたくさん出ましたが,まだ産業になっているとは言えません。インターネット自体は先ほどのDARPA(前身・ARPA)で1957年に発明されていましたが,使えるようになってきたのは1995年ごろからです。光通信の発展により,1990年ごろに海底ケーブルが光ケーブルとなって通信が大容量にできるようになり,1995年ごろからのパソコンの普及で,ようやくインターネットが使える環境になってきました。そこから4,5年たち1999年にインターネットが爆発し,大学や会社でLANの高速化が必要になり,面発光レーザーが使われるようになってきたのです。一方,1980年代半ば,IBMは通信に,ベル研究所はコンピューターに乗り出したいという思惑があったのですが,この当時,米国政府は独占禁止法の適用を厳しくしており,ロビー活動などもあったそうです。結局,ベル研究所は分割されることになりました。それでIBMでは,光ファイバーとCD用のレーザーを使ってLANを作ろうということになり,日本からCD用のレーザーを取り寄せるなどし,10年ぐらい研究をしていましたが,通信には室温より高い80℃以上の温度で長持ちしないと使えないという厳しい要求があり,CD用レーザーは使えないということになりました。そうこうするうちに,面発光レーザーの性能が上がり,インターネットの普及もあって,100Mbit/s以上の高速LANが必要とされ,ここに「面発光レーザーが使えないか」となってきたのです。また,LANの高速化に伴いストレージエリアが大きくなってきますから,ここにも面発光レーザーとファイバーを使った光の配線が使えるとして,1990年代にLANとSAN(storage area network)に面発光レーザーが大量に使われるようになりました。一方,西海岸のヒューレットパッカード(HP)も,面発光レーザーの研究を始めた矢先でした。ところが,HPも測定器部門とコンピューター部門に分割され,面発光レーザーの研究は中止となりましたが,ただ1つ,コンピューターのマウスに面発光レーザーが搭載されることになったのです。2012年冬の国際会議において,レーザーマウスは現在10億個ほど生産されていると発表があったそうです。
もう1つ,マイクロレンズの話をしなければいけません。棒状のファイバーで画像を伝えることを研究していましたが,レンズのアレイも同様に細長いものを切り,1つずつ磨いて整列しなければならず,何とか効率的な方法はないものかと思っていました。
ベル研究所に行っている最中にロチェスター大学で国際会議があり,私はプラスチックでファイバーを作った話をしたのですが,この時,ファイバーを使ったコピー機などの発表も聴きながら思いついたのがマイクロレンズアレイでした。ガラスの基板上にマスクをかけて小さな穴を開け,そこから屈折率が高いイオンをしみ込ませ拡散すると,椀状のレンズができるのではないかと,突如としてひらめいたのです。ベル研究所ではレーザーの研究をしていますから,すぐにはできません。1980年3月には派遣期間が切れますので,家族をニュージャージーに残したままいったん1人で帰国し,東工大の研究室で1週間ほどゼミを行い,「マイクロレンズを作ろう」と言い残して,再びベル研究所に戻りました。研究室に新しく入ってきた及川正尋君がマイクロレンズの研究を始めてくれ,プラスチックで作ったところ「ちゃんとレンズになった」と連絡をもらい,国内誌や米国の雑誌に論文を投稿しました。新しい用語として「microlens」と一続きで表記したのですが,必ず「micro-lens」とハイフンが入って返ってきました(笑)。ずいぶん抵抗して,1つの用語だと認識してもらったのはずいぶん後のことです。画像の伝送用に複数のファイバーを1本に収めたリボン・ファイバーも登場し,それを一括接続するようなレンズも必要になり,日本板硝子と共同研究を行ってマイクロレンズが実用化になるところまできました。1990年代ころだったと思いますが,このマイクロレンズアレイを液晶プロジェクターに搭載しようと日本板硝子とシャープ(株)が共同研究を始めました。3cm×4cmほどの液晶画面に光を当て画像を投影するわけですが,液晶の電極が張ってあり,全部に光を当てると半分ぐらい光が失われるのです。そこで,液晶の窓のところだけに光を通せば光の透過効率が相当良くなることが分かり,マイクロレンズアレイが液晶プロジェクターに搭載されたのです。その結果,真っ暗闇でないと見えなかった液晶プロジェクターが,割と明るい部屋でも使えるようになりました。実用化になり,「うまくいった」と思っていましたが,工業はいろいろな点で弁証法的に破壊的技術が必ず出てくるものです。型にはめて作る安価なマイクロレンズが量産されるようになり,拡散型のものはコスト的に引き合わず廃れていきました。しかし,そのマイクロレンズアレイの考えは今でも生きていて,液晶のプロジェクターに使われています。
その他にも,コピー機やプリンターにレーザーを使いポリゴンミラーを回転させてスキャンする技術が開発されてきました。米ゼロックス社が6000個ほどのレーザーアレイを並べた研究を,日本の富士ゼロックス(株)は,私の後継者である小山教授と共同で面発光レーザーを使ってレーザープリンターを高速化する研究を始めました。しかし,高速プリンターにするには,相当出力の高い単一モードのレーザーでなければならず,何とか1024個のレーザーアレイを作るところまできたのですが,プリンターは1個でもレーザーが欠けると線が入ってしまいますから,1000個以上のレーザーアレイを搭載するのは無理だとあきらめることになったのです。しかし,私が富士ゼロックスの小林陽太郎社長に,「何とか少人数でも,研究を続けてみてはいかがだろうか」と手紙を差し上げたこともあってか,研究が継続となり,その結果,4×8のレーザーアレイを搭載した大型レーザープリンターが2001年に完成したのです。日経新聞にも全面広告が出ました。小型機にもレーザーアレイが搭載されるようになり,最近キーテクノロジーになったと言ってもらいました。また,研究生だった佐藤俊一さんが開発したリコーのプリンターにも搭載されるなど,だんだん産業として広がってきています。
通信のカテゴリーで見ると,飛行場や駅などの大型ディスプレイに高精細の動画を映す際,コンピューターから転送する速度は10Gbit/sぐらいは必要ですから,10本ぐらいの光ファイバーでやることになります。そこに面発光レーザーが使われ始めています。韓国のベンチャーに,私の友人でもあるHyun-Kuk Shin社長が起こしたオプティシス(Opticis)というデジタルビデオインターフェースを手掛ける会社がありますが,すでに光ファイバーと面発光レーザーを活用した配信システムをソウルの地下鉄の駅に導入しています。
ライフの分野では,繊細な動きをするロボットを遠隔操作しながらの手術や,内視鏡を使った手術の際には大画面での確認が必要になってきます。このような場面での動画配信には,電気を介在せず,安全性の高い光通信が適していると言えます。
ディスプレイでも,レーザーを使ったものは3原色がうまくできれば色味や光沢なども非常にきれいに表現できるようになります。面発光レーザーは消費電力が小さいので,マイクロディスプレイなどの応用に適しているでしょう。面発光レーザーに限ると,赤は問題ありませんし,青はこれからやっと面発光レーザーができつつあるというところです。現在,台湾のS. C. Wang教授の研究室が青の発光レーザーではトップですが,UCサンタバーバラの中村修二教授のところでも性能がいい青色の面発光レーザーができたそうです。しかし,緑がなかなかできません。技術的に難しいものがあります。普通のレーザーでも難しいですね。しかし,いろいろな波長ができてくると,イノベーションが起きてくるのではないでしょうか。何か新しいものを作っておくと,誰かが面白いことを考えるものです。想像もできなかった応用が出てくるのが楽しみですね。 <次ページへ続く>
伊賀 健一(いが・けんいち)
1940年広島県出身。1963年東京工業大学理工学部電気工学課程卒業。1965年同大学院修士課程修了。1968年同博士課程を修了し工学博士に,同年精密工学研究所勤務。1973年同助教授に就任,同年米ベル研究所の客員研究員兼務(1980年9月まで)。1984年同大学の教授に就任。1995年同大学精密工学研究所の所長併任(1998年3月まで)。2000年同大学附属図書館長併任(2001年3月まで),同大学精密工学研究所附属マイクロシステム研究センター長併任(2001年3月まで)。2001年3月定年退職,同大学名誉教授。2001年4月日本学術振興会理事(2007年9月まで),工学院大学客員教授(2007年9月まで)。2007年10月東京工業大学学長就任,2012年9月末退任。●専門等:光エレクトロニクス。面発光レーザー,平板マイクロレンズを提案。高速光ファイバー通信網などインターネットの基礎技術,コンピューターマウス,レーザープリンターのレーザー光源などに展開される光エレクトロニクスの基礎を築く。応用物理学会・微小光学研究グループ代表。日本学術会議第19,20期会員,21期連携会員。町田フィルハーモニー交響楽団のコントラバス奏者,町田フィル・バロック合奏団の主宰者でもある。
●1998年朝日賞,2001年紫綬褒章,2002年ランク賞,2003年IEEEダニエル E. ノーブル賞,2003年藤原賞,2007年 C&C賞,2009年NHK放送文化賞ほか表彰・受賞。