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何か新しいものを作っておくと,誰かが面白い応用を考えるものです東京工業大学 学長 伊賀 健一

研究テーマが産業界を牽引20%は研究成果,80%は社会進歩

聞き手:この2つの研究は,その後,光エレクトロニクスの基礎を築くような研究テーマになりますが,この時,日本の産業界を牽引する技術になるかもしれないとの予測はあったのですか。

伊賀:「はい」が20%で,「よく分からない」が80%ぐらいでしょう。博士課程を修了したのち東工大の精密工学研究所の助手になりましたが,今までの研究と全く違う研究室に入ることになりました。そこで6年間ほど,ルビジウムの原子を使う周波数標準の研究をやっていました。1972~73年ごろに半導体レーザーと光ファイバーが世の中に出てきて,光通信への兆しが少し見えてきたのです。レーザーを初めて扱った1962年当時から10年近くたっており,世の中の光通信に関する動向,勢いが出てきた時代でした。
 國分泰雄君らと屈折率分布を利用して光を伝える研究をしていたのですが,その中で,画像がファイバー1本で送ることができると分かってきました。光が滑らかに蛇行しながらファイバーの中を伝わっていき,ある1点から出た光をある1点に画像として伝えることができるのです。ずっと以前,「一枚の写真」(1993年5月号)に載せてもらったことがあります。1968~70年にかけて,光が蛇行してレーザービームに伝わり画像ができるという研究が行われていました。日本電気(株)と日本板硝子(株)が開発したセルフォックというレンズやファイバーです。並列にしてコピー機に搭載し,スキャンした画像をファックスやコピー機の光検出器で電気信号に変えて伝えるという仕組みです。こういったファイバーを並べて画像の再生を行う研究も始まっていましたので,同じ光通信でも画像伝送の研究が面白いと考えたのです。研究には基礎というか根底にあるものが大事で,レーザーの共振器で光が行ったり来たりするというのは,光が遠くへ行くのと全く同じ原理なのです。レーザーと光伝送という根底があって,なおかつ光通信に少し曙が見えてきたということだと思います。自分の研究が将来の光エレクトロニクスの大きな発展になるかどうかという意味では20%ぐらいですが,よく分からないながらもそういうお日さまの光が見えてきたという80%ぐらいは世の中の発展によるものではないでしょうか。 <次ページへ続く>
伊賀 健一(いが・けんいち)

伊賀 健一(いが・けんいち)

1940年広島県出身。1963年東京工業大学理工学部電気工学課程卒業。1965年同大学院修士課程修了。1968年同博士課程を修了し工学博士に,同年精密工学研究所勤務。1973年同助教授に就任,同年米ベル研究所の客員研究員兼務(1980年9月まで)。1984年同大学の教授に就任。1995年同大学精密工学研究所の所長併任(1998年3月まで)。2000年同大学附属図書館長併任(2001年3月まで),同大学精密工学研究所附属マイクロシステム研究センター長併任(2001年3月まで)。2001年3月定年退職,同大学名誉教授。2001年4月日本学術振興会理事(2007年9月まで),工学院大学客員教授(2007年9月まで)。2007年10月東京工業大学学長就任,2012年9月末退任。
●専門等:光エレクトロニクス。面発光レーザー,平板マイクロレンズを提案。高速光ファイバー通信網などインターネットの基礎技術,コンピューターマウス,レーザープリンターのレーザー光源などに展開される光エレクトロニクスの基礎を築く。応用物理学会・微小光学研究グループ代表。日本学術会議第19,20期会員,21期連携会員。町田フィルハーモニー交響楽団のコントラバス奏者,町田フィル・バロック合奏団の主宰者でもある。
●1998年朝日賞,2001年紫綬褒章,2002年ランク賞,2003年IEEEダニエル E. ノーブル賞,2003年藤原賞,2007年 C&C賞,2009年NHK放送文化賞ほか表彰・受賞。

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