何か新しいものを作っておくと,誰かが面白い応用を考えるものです東京工業大学 学長 伊賀 健一
ものになると分かっていれば研究をやる必要はない
聞き手:1977年に伊賀先生が面発光レーザーを発案され,1988年に室温動作で連続達成し,これをきっかけに半導体レーザーに関する研究が世界中で加速します。それまでの10年間,研究している面発光レーザーが「ものになるのだろうか」と不安になることはなかったのでしょうか。伊賀:ものになるかどうかはっきりしていれば,それはやる必要はありません。研究の初期ではすべからく分かりません。この前,登山家の竹内洋岳さんが8000m以上の14峰を全踏破したというテレビのインタビューで「山に確実に登れることが分かっていたら,登る必要はない」と言っていました。登山家もそういう気持ちだと聞いて私も驚きましたが,研究にしても「これがものになる」と分かっていれば皆がやるわけで,逆に言えば,そうなればやる必要がありません。高い山があるかもしれないし,どういうものか分からないからやるんだ,と自分でイメージをつくって,それを実現しようというのが一番大事なことです。「もしできたら非常にいい」というイメージが必要です。先端研究なのか末梢研究なのかは結果論になります。
聞き手:1977年に面発光レーザーを発案され,これから研究に力を入れようという時にベル研究所にお出になり,面発光レーザーではなくエッチングレーザーの研究をされますよね。後ろ髪を引かれるというか,面発光レーザーの研究ができない焦りのようなものはありませんでしたか。
伊賀:焦りはあまり感じていませんでした。もちろん研究室を留守にしますから,できなくなるということはあります。しかし,面発光レーザーに関する限りはそれほど競争相手がいませんから(笑),ゆっくりやればいいと思っていました。すぐに成果を出したりしなければいけないなどの焦りや,競争しなければならないという切迫感はありませんでした。ゆっくり研究すればいいので,研究室の諸君で面発光レーザーの研究を続けてくれればよろしいと思っていました。
私もベル研究所で面発光レーザーを研究すればいいのですが,当時のベル研究所は光ファイバー通信の実用化に向けて必死で研究していました。この分野は日本が進んでいましたから,「日本に追いつけ」という時代でした。結晶成長とかレーザーを作る開発研究に重きを置き,マレイヒルという本部と私がいたホルムデルというところの2つの研究所で,一緒に議論しながら光通信の実用化を目指していたわけです。ベル研究所は研究室が独立して動いていますから,ビジティングスタッフで行った私には相部屋でしたが個室がありました。しかし,実験室がすぐにできるわけではありません。そこでベル研究所の研究者と共同でやることになります。
面発光レーザーは結晶成長の技術に加え,非常に高い反射率を持つ反射鏡を付けないと発振しません。そのため,多層膜の反射鏡を付ける技術と電流を小さいところに絞り込む,そういう加工する技術などが全部そろっていないとできないのです。長期間いるわけではないという約束で行っていますから,装置を一から立ち上げるわけにもいかず,面発光レーザーの研究をするのは難しいと判断しました。そこで,研究室でも少しやっていたエッチングでレーザーを作る研究をすることにしました。やはりモノリシックにレーザーができるもう1つの方法です。ベル研究所に少しでも貢献するために,結晶成長技術を急速に立ち上げなければと,午前中は相棒だったBarry I. Millerと結晶成長をし,私がレーザーを作り変更点などの条件出しをやる。午後は午前中できたもののテストを行い,次に日の午前中は前日に作ったウエハーを使ってエッチングレーザーを作る,そういうことを毎日やっていました。共同研究者以外の人たちとも一緒に論文を書いたりもしていましたから,研究や人脈の幅が広がりました。
聞き手:ベル研究所に到着した初日,ロープがつるされた絵が飾ってあったそうですね。
伊賀:あれはベル研究所のマニュアルです。昔カウボーイはロープが縛れないと馬が逃げてしまいますから,そのよりどころとなるロープの絵が描いてあるのです。研究所のマニュアルの最初に,「working hour(どれだけ働くか)」という項目があり,「24hours a day(1日24時間)」,「7days a weak(1週間に7日)」と表記され,「研究者たるものは四六時中研究していろ」ということが助言として書いてありました。
聞き手:伊賀先生がコーヒーメーカーのスイッチを入れ忘れた時にも,ロープの絵が張ってあったそうですが。
伊賀:コーヒー当番は,帰り際にコーヒー粉と水を入れ,翌朝にコーヒーができるようタイマーをセットすることになっていたのですが,ある朝,ロープの絵が黒板に書いてありました。私がコーヒー当番を忘れており,米国では最大の罰となる「縛り首」を意味するロープの絵が書いあったのです。冗談半分でしたが,当番がさぼるとみんなコーヒーが飲めませんから,すごく怒られました。hung on treeです(笑)。 <次ページへ続く>
伊賀 健一(いが・けんいち)
1940年広島県出身。1963年東京工業大学理工学部電気工学課程卒業。1965年同大学院修士課程修了。1968年同博士課程を修了し工学博士に,同年精密工学研究所勤務。1973年同助教授に就任,同年米ベル研究所の客員研究員兼務(1980年9月まで)。1984年同大学の教授に就任。1995年同大学精密工学研究所の所長併任(1998年3月まで)。2000年同大学附属図書館長併任(2001年3月まで),同大学精密工学研究所附属マイクロシステム研究センター長併任(2001年3月まで)。2001年3月定年退職,同大学名誉教授。2001年4月日本学術振興会理事(2007年9月まで),工学院大学客員教授(2007年9月まで)。2007年10月東京工業大学学長就任,2012年9月末退任。●専門等:光エレクトロニクス。面発光レーザー,平板マイクロレンズを提案。高速光ファイバー通信網などインターネットの基礎技術,コンピューターマウス,レーザープリンターのレーザー光源などに展開される光エレクトロニクスの基礎を築く。応用物理学会・微小光学研究グループ代表。日本学術会議第19,20期会員,21期連携会員。町田フィルハーモニー交響楽団のコントラバス奏者,町田フィル・バロック合奏団の主宰者でもある。
●1998年朝日賞,2001年紫綬褒章,2002年ランク賞,2003年IEEEダニエル E. ノーブル賞,2003年藤原賞,2007年 C&C賞,2009年NHK放送文化賞ほか表彰・受賞。