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撮る,見る,聞く。カメラは感性を表す道具(株)ニコン ニコンフェロー 映像カンパニー 後藤研究室長 後藤 哲朗

カメラと歩んで30年フィルムからデジタルの時代へ

聞き手:フィルム一眼レフ「F3」「F4」「F5」,デジタル一眼レフ「D3」などずっとカメラの設計・開発に携わられて約30年ですね。

後藤:最近はいろんな経験をさせてレベルアップさせるために数年でローテーションする事もありますから,同じ部署に30年もいるのはニコンでも珍しい方ですよ。ただ,すぐにローテーションされると,多くはそれまでの仕事の流れや勉強してきた専門性が止まってしまうこともありますし,マニュアルではとても伝えられない技術の伝承などが途切れてしまうといった弊害も懸念されます。さすがにデジカメの時代になりますと,フィルム時代の3倍以上の機種数と生産台数です。昔のように「背中を見てついてこい」ではとても修得できない技術や流れになっていますから,マニュアル化は絶対必要ですし,実際そうしています。ところが,写真機材のような趣味・嗜好(しこう)商品は,手で触れ,音を聞いて,振動を感じる,といった五感を活かした伝承が必要となってきます。例えばシャッターダイヤルを例にとっても,がさつに回っては困るカメラもあります。コクっと嬉しく感じるように回ることも必要です。こういった感覚は図面を見ても分からないですから,経験と勘,アナログ的な感覚を研いでやるしかありません。デジタル技術でいえば,画像センサーにしてもノイズを増やさずに増幅させるか,画像処理にしても言葉で言い表せない色の処理があるものです。プリントで見るかスクリーンで見るのかでも全然違います。数字には置き換えられない表現,Lab(Lab Color Space)空間で表現してもその心根までは表せないことがあるのですよね。特にコンパクトデジカメは国内外の電機メーカーとの競争が激化していますから,同じ土俵で真っ向から勝負する機材だけではなく,「外見も中身もアナログ的魅力,カメラの魅力が備わっている,それがニコンの存在価値だ」と伝えています。

聞き手:カメラは,その人がどういう絵を撮りたいか,どういった絵を見せたいか,五感を表す道具であると。

後藤:そうなんです,お客様が感性を表現する道具です。しかも絵画などと違って非常に自己表現しやすい便利な道具ですよね。だからこそ,カメラ人口を増やすために1万円以下の安価なカメラをコストダウンの得意な電機メーカーと闘うだけでなく,ところどころに「ニコンだね」というものをちりばめておかなければならないと思っています。

聞き手:フィルムカメラとデジカメでは,求められる機能や技術が違ってきますよね。

後藤:フィルムの時には,絵はフィルムメーカーと現像所にお任せで,それ以外の機能や技術,例えばいかに正しく素早くピントを合わせてシャッターを開くか,1秒間に何枚撮影できるか,分かりやすい操作感とは何か,などを考えていれば良かったわけです。けれどもデジカメは,その内部に現像所,さらに多種のフィルムが入っていることになります。感度も一コマごとに変えられるし,出てくる絵も後から自由に加工選択できるわけです。撮影シーンにしてもポートレート,風景などそれぞれで異なる味付けが必要ですから,ニコンのようなカメラしかやったことがなかったメーカーには大変なことですよ。でも幸いニコンには,昔から写真を知っていたり,電子画像に興味を持つメンバーや専門部門がありましたので,特許出願や写真電送機,D1やCOOLPIXを開発する時に功を奏しましたが,今後はそれ以降蓄積した技術で「何」を達成するかが問われます。例えばフィルム表現をデジカメで再現するという研究で言えば,どういう用途に使われ,求められていたものは何だったのか,どんな表現なのか,結果は本当に満足できるものだったのかなど,根元的なところから研究していかないと,フィルム表現を今後のデジカメでカバーすることには結びつかないわけです。

聞き手:すごく果てしない目標ですね。

後藤:一部には先頭を走っているメーカーもありますが先は長そうですね。正直言いますとデジカメはまだフィルムの表現に一部で追いついていません。専門家ではありませんので稚拙な表現をお許しいただきたいのですが,フィルムは多層の粒子で色を表現している一方,デジカメは平面に張ったRGB面ですから発色や深みなどが違う。これは印画紙でも違っていて,インクジェットはRGBを平面にベタッと置いていくだけ。本当にフィルムの良さをとことん突き詰めて印画紙で鑑賞している方からは「デジカメの画像はまだ駄目だね」とよく言われます。何しろフィルム文化には数百年と言う歴史で熟成された何かがありますから。

聞き手:報道用はほとんどデジカメに切り替わっている時代ですが?

後藤:報道写真のカメラマンにとってデジカメは非常に便利な機材です。求める機能は,決定的瞬間を逃さず,瞬時にピントを合わせて忠実にたくさん撮影できることです。用途によりますが,あとは必要な絵を拡大してトリミングすれば良い使い方もある。これらを実現するために,われわれメーカーは大変な苦労をしてきています。そうではない非常に微妙な作品づくりをされる方にとっては,迅速・便利をうたうデジカメの出番は少なく,まだまだフィルムカメラにはかなわないと聞いています。 <次ページへ続く>
後藤 哲朗(ごとう・てつろう)

後藤 哲朗(ごとう・てつろう)

1973年,千葉大学工学部電気工学科卒業。同年,日本光学工業株式会社(現?ニコン)入社,機器事業部(現インストルメンツカンパニー)でサーマルカメラ(赤外線カメラ)の開発に従事。1975年,カメラ設計部に異動,フィルム一眼レフカメラ「F3」で電気回路設計,「F4」では電気系リーダー,「F5」ではプロダクトリーダーを勤める。1997年,カメラ設計部ゼネラルマネージャーとして,フィルムカメラシステム全般を指揮。2004年,映像カンパニー開発本部長・執行役員に就任。「D3」などのデジタル一眼レフカメラ,交換レンズ群,コンパクトデジタルカメラ,アプリケーションソフトなど映像製品全般の開発を指揮。2007年,映像カンパニー副プレジデント就任。2009年より現職。

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