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いかに執着できるかに尽きる立命館大学 教授 小野 雄三

ガンマ線も光も同じ電磁波だから

聞き手:ご卒業後は日本電気(株)に入社されたのですね。

小野:はい,そうです。もともと,どこか電機メーカーに行きたいと思っていたので,NECに問い合わせたところ,「卒業見込みが出てから採用試験をします」と言ってくれたことが選択の理由にあったかもしれません。われわれの卒業見込みは,たぶん4年生の年末ごろに出たのではないかと思います。枠を残しておいてくれた感じでしょうね。
 また,小学校高学年ぐらいからいわゆる「ラジオ少年」だったということもあります。中学に入ってからはアマチュア無線をやり,送受信機をNECの真空管やトランジスタを使って作ったりしていたため,何となく親密感があったことも理由の一つかもしれません。

聞き手:入社後,中央研究所にご配属とのことですが,ご希望の研究分野があったのでしょうか?

小野:入社当初,何度かそういう希望調査のようなものがありました。わたし自身は本当は半導体の研究開発をやりかったのです。当時は,「これからの時代は半導体だ」と確信していましたので。トランジスタを使って送受信機を作ったりしたことも,そういう希望につながっています。
 NECの中研は面白い配属方法を採っていて,まず中研への配属に関しては本社が決めるのですが,配属が決まったら次に中研で面接を受けさせられます。中研に行くと全研究部門を見学させてくれて,各部長と面接をしました。その後,部長が集まってプロ野球のドラフト会議のような選考会議をするのです。そこでだいたい新入社員の配属が決まったようですね。

聞き手:新入社員からすると,希望はかなえられるものなのでしょうか?

小野:とにかく希望は出します。わたしも半導体部門に行きたいと言いました。でも結局,ダメでした。わたしは学卒でしたから……。研究所に配属される人はほとんどが修士なんですよ。それ以外はドクターと学部卒が若干。おそらく,修士やドクターは研究所に入る前から行き先が決まっていたのではないかという気がします。学卒は「いい人間がいたら採ろう」くらいの感じではなかったのでしょうか。
 同期で研究所に配属された中に数人,学卒の人間がいたのですが,彼らは必ずしも希望通りではなかったようでしたね。わたしが配属されたのは新しい部でした。「記憶研究部」というメモリーを扱う部署です。メモリーといっても半導体メモリーではなく,磁気メモリーを研究する部門でした。そこで,今でいう光磁気ディスクの走りとなる研究をやりました。まだ,「ディスクがいいかドラムがいいか」という議論があったころです。対象の物質はマンガン-ビスマス系で,レーザー光を絞って熱書き込みをします。キュリー温度まで温度を上げて磁化を反転して書き込むという仕組みです。読み出しは,ファラデー効果やカー効果を利用します。そういうところから研究生活を始めました。
 入ったときの部長代理が言うには,「ガンマ線も光も同じ電磁波だからこだわらずにやりなさい」と。ずいぶん荒っぽい話ですよね(笑)。入った時の所長は染谷勲さんという「シャノン・染谷の定理」で非常に有名な方で,日本電信電話公社からいらっしゃった人です。部長は植之原道行さんという米国ベル研究所出身の方です。当時の小林宏治社長に見込まれて来られた方でした。

聞き手:そうそうたるメンバーがそろっていたのですね。
小野 雄三(おの・ゆうぞう)

小野 雄三(おの・ゆうぞう)

1970年,東京工業大学 理学部応用物理学科卒業。同年,日本電気?に入社して中央研究所に配属。光磁気メモリー,ホログラフィックメモリー,高速レーザープリンター,ホログラフィックレーザー・スキャナー,POSスキャナー,CD-ROM用および光磁気用ホログラムヘッドなどの光情報機器,回折光学,光記録等の研究開発に従事。1999年,立命館大学理工学部教授に転出。ホログラフィックリソグラフィーによる3次元フォトニック結晶の形成と特性解析の研究に注力。現在に至る。工学博士(1985年 東京工業大学)。応用物理学会光学論文賞,新技術開発財団市村賞,科学技術庁長官賞(研究功績者表彰),経済産業省国際標準化貢献者表彰など受賞。応用物理学会フェロー,ISO TC 172/SC 9/WG 7 コンビーナー。

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