【重要】O plus E 隔月刊化と価格改定のお知らせ

いかに執着できるかに尽きる立命館大学 教授 小野 雄三

撤退の連続からようやく実用化へ

小野:わたしは染谷さんの偉大さなどは,そのころはまったく知りませんでした。そんなところからスタートして,研究のイロハを全部中研で教わった感じです。
 研究所では,光磁気メモリーの光の部分を担当していました。光学系などですね。4年くらいそうした研究を担当していましたが,当時,「メカ精度が足りない」という課題があり,それに対するアイデアを出しかけたところでプロジェクトが中止になってしまったのです。当時は,メインフレーム向けには磁気ディスクが主流でした。さらにメッキ磁気ディスクという高密度な媒体ができる可能性も出て来て,「光は10年先だよ」と磁気の研究者からいつも言われていました。結局,「ひとまずここで中止にしましょう」ということになったのです。
 しかし,それからしばらくすると,レーザーディスクやCDなどが台頭してきて,光ディスクメモリーの時代に移っていきましたよね。だからこれは,「開発がちょっと早過ぎてやめてしまった」というよくあるパターンだと思います。わたし自身は磁気部門を出て,今度は光をやっている部門に移りました。当時の名前で「量子装置研究部」というすごい名前の部署です。そこでホログラフィーの研究を始めました。時期的にはホログラムメモリーの研究開発ブームが終わるころのことです。当時,ホログラムメモリーというのは,光エレクトロニクスのさまざまな技術を集積する格好のターゲットだったのです。光源としてのレーザーや,光検出器,パターンジェネレーター,光偏向器など,あらゆる光エレクトロニクスのコンポーネントが必要で,それらを研究した集大成としてホログラムメモリーがあるというような位置付けでした。ほとんどの電機メーカーが手がけたテーマでしたが,「なんとなく」終焉してしまった研究ですね。わたしがそこに移ったのは,そうした終焉のころでした。
 そこでわたしは,音声応答メモリーという技術をやりました。新幹線のホームなどで「次はのぞみ何号,何々行きです」というアナウンスが流れますよね。あれはメモリーに入った「音の素片」があり,それを組み合わせて出しているわけです。その当時は半導体メモリーがまだ非常に高価で,なかなか大容量のメモリーが手に入らなかったので,それをホログラムメモリーでやろうという試みでした。例えば「今日は」とか「明日は」とか「のぞみ」という言葉を全部ホログラムメモリーに入れて,非常に高速に読み出せる利点を生かして1つのアナウンス文を作るというアプリケーションを考えました。しかし,だんだん半導体メモリーが安価になって多く使われるようになり,「ホログラムメモリーにそういう応用分野はない」という結論が出て,これも終わってしまいました。
 NECはこのほかにホログラム光学素子というものの研究もやっていました。当時,漢字入力装置という,今のようなキーボードではなく漢字タイプライターという文字を拾ってはハンマーでポンと打つという装置がありました。それを電子化する開発が完了していたのです。文字を探す部分に光ファイバーが付いていて,「今,どこを指し示しているか」という位置情報がそのファイバーで分かり,ファイバーの反対側にホログラムがあって,そこで漢字コードを発生するという装置です。漢字コードはバイナリコードとしてコンピューターに入力されます。これは実はNTTに試作品として納入して,NECでも社内文書の入力にずいぶん長いこと使っていたのです。でも,そのうちパソコンが出てきて,それも無くなってしまいました。

聞き手:なかなか思うようにいかない研究所生活のスタートだったのですね。何か転機となるような出来事はあったのでしょうか?

小野:わたしが入社した後,ポンドショックや第1次オイルショックがあって,景気が非常に悪くなった時期がありました。不況が長く続き,その結果,研究所の予算が削減されてしまいました。それで,植之原さんが「事業部受託方式」という制度を作られ,事業部から研究所にお金を付けて委託研究を出して,研究所ではそれを研究費にして研究するという,一種の請負みたいな研究方式が1975~76年ぐらいから始まりました。
 当時は,スーパーマーケットのPOSスキャナーが使われようとしている時代でした。そこで,事業部受託方式として最初に取り組んだのがバーコードリーダーの開発でした。バーコードリーダーをホログラムでやろうということで,上司が事業部から委託研究を取ってきたのです。そもそも赤字の事業部からの委託だったので非常に予算は少なかったのですが,所長からは「赤字の事業部がお金を出したということを考えて研究をしなさい」と言われたそうです。
 そのホログラムを使った光スキャナーは結果的に非常にうまくいきました。収差を補正する方法を考え出して±20度ぐらい角度が振れるものができ,バーコードリーダーに使えたのです。最初に作ったのはDPEのラボ向けです。比較的小さなバーコードスキャナーをホログラムで作りました。そして次にPOS向けを手がけました。
 収差補正をして性能を上げたこととともに,量産技術も開発しました。ホログラムの格子は表面の凹凸でできています。それを「表面レリーフ格子」といいますが,そのための金型を電鋳方式で作り,熱プレスで樹脂上に形成していくという量産性の高い技術です。ただ,この方式だと回折効率が低くて光パワーの利用効率が少し落ちるというデメリットがありますが,それよりもホログラムを使うメリットの方が大きいので,表面レリーフ型でやっていくことになりました。レーザーの干渉縞を記録して原盤を作り,そこからレジストに転写して表面の凹凸を形成します。あとはメッキをして,そこから金型を起こします。金型ができれば,プレス機で表面レリーフ格子を量産できます。
 ところが事業部では,干渉縞を記録することができなかったのです。事業部門が干渉記録をするデリケートな装置をメンテナンスして保有するということが難しかったからです。結局,その部分だけは移管できなくて,ずっと研究所に残ったままになってしまいました。そういうブラックボックスがあると他社からまねされないというメリットもあるのですが,研究所からすれば全部移管してスッキリさせたいという気持ちもあります。後にホログラムピックアップというものを作ったのですが,その時はこの経験を生かして完全に移管できるような技術に仕上げました。ただ一方で,今度はまねされやすくなるというジレンマも出てくるのですが。
小野 雄三(おの・ゆうぞう)

小野 雄三(おの・ゆうぞう)

1970年,東京工業大学 理学部応用物理学科卒業。同年,日本電気?に入社して中央研究所に配属。光磁気メモリー,ホログラフィックメモリー,高速レーザープリンター,ホログラフィックレーザー・スキャナー,POSスキャナー,CD-ROM用および光磁気用ホログラムヘッドなどの光情報機器,回折光学,光記録等の研究開発に従事。1999年,立命館大学理工学部教授に転出。ホログラフィックリソグラフィーによる3次元フォトニック結晶の形成と特性解析の研究に注力。現在に至る。工学博士(1985年 東京工業大学)。応用物理学会光学論文賞,新技術開発財団市村賞,科学技術庁長官賞(研究功績者表彰),経済産業省国際標準化貢献者表彰など受賞。応用物理学会フェロー,ISO TC 172/SC 9/WG 7 コンビーナー。

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