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第6回 特別企画 山本和彦・輿水大和『エール的対談』

輿水
 ありがとうございます。
 良きタイミングなのでそろそろ次の話題「若者と連れ立ってどこへ」に移ります。IAIPのサマーセミナーやSSIIなどの学会行事はすべて,若者が魅力を感じられなくなった瞬間に未来がないと言えます。この(2023年)6月,僕がSSIIの懇親会(リストランテ・アッティモ)で乾杯ご挨拶した時に,中島真人先生が「(参加者は)輿水先生のことを知らない人ばかり」とおっしゃったのです。その時僕が思ったのは,わたしもふくめてこの学会の諸老輩のことを知らずにSSIIに魅力を感じて集まった若い人が8~9割なら,彼ら自身が創作する未来が膨らむ可能性がたかまった証左なのかも知れず,これは悪くないということです。本心は,恥ずかしくももう少しは僕のことを知っていてほしかったんですけどね(笑)。
 余談はさておき,そこで山本先生から頂いたキーワードに 「若者と連れ立ってどこへ」(若者のゆらぎを最大限に生かす秘訣)とありました。
 2023年のSSIIは現地とオンラインのハイブリッド開催で2000人近くの参加者がありました。若者たちというのは,年齢だけでなく学術的なパラダイムの中で新しい価値感を持たなければと考える先輩たちも若者たちの仲間に含めたらよいと思います。DL技術でその若い研究者たちが画像処理技術に対して情熱を傾ける姿を,私たちは現実に目の当たりにしています。
 先生が「若者たち」と言うときに思い出すのは,ご縁の深い岐阜大学やソフトピアジャパンの山本研の多くの若い人たちです。佐藤雄隆先生や林純一郎先生,加藤邦人先生,飛谷先生,相澤先生など多くの方を育てられたことを思い出しました。「若者のゆらぎを最大限に生かす」ことは大変興味深い視点かと思いますので,そこに焦点を当ててお話しをお願いします。

山本
 はい,その前に一つお話ししたいと思います。SSIIに輿水先生のことを知らない世代が増えたのは素晴らしいことです。規模が大きく広がったということだからです。木に例えれば,大木になって中心となる木の幹も枝も見えなくなるくらい若者という葉っぱが青々とまわりを取り囲んでいるということです。
 もう一つだけ余計なこと言わせてもらいます。
 ロートルが若者にエールを贈るなんて,という冷めた見方も当然あるでしょうが,少し考えていただきたいのです。木々に幹や枝葉がなかったら,それは草むらです。
 少し話がずれますが,植物は,草むらから進化して枝や幹を使い縦に向かって生き延びようとして大木になりました。木の幹を分解すると,幹はほとんどが材木のような固形物で,表面だけが葉っぱなどに栄養や水を与えるために動いています。大木になる過程で,自らは年輪を重ねた固形物に代わるのです。われわれはそういう役割とも思っています。

輿水
 この連載のエールの趣旨は, いつまで経ってもノービス(初心者)である自分がドングリの背比べの若きノービスにエールを贈っているにすぎず,決して大上段から若者に教訓をたれることではないと,理解していただければと思います。
 さて,先生にバトンをお返しします。研究を進めるうえで肝心なことは若者と連れ立っていくことという,先生のお考えについて,より具体的なお話しをお願いします。

山本
 まず「若者を連れて行くのはどこか」からお話しします。その前提として,若者が委縮することを一切しないことです。若者のゆらぎ,自由度というものを大切にして,できるだけ自由な発想が大事だとまず若者に意識させます。次にどこに行くかですが,実は我々にも本当の行き先は分からない。これは非常に大事なことです。
 若者と一緒に行く場所は3つと私は考えます。分かりやすいほうから順に挙げると,まず1番目は,研究分野のど真ん中。2番目が最先端の未知の領域ですが,なにせ未知ですから実は我々にも何が最適かが分からない。
 そこで3番目として,既知と未知の境界付近,分かることと分からないことの境目が挙げられます。既知と未知の広大な領域との境界(エッジ),ある意味レアな領域に価値があると言えるでしょう。具体的には,まずざっくりと興味分野の論文を読んだら,一度閉じて自分ならどうするか考える。そこで再度論文を読むと行間に,言及していない問題や解決すべき問題が見えてきます。

輿水
 まず大前提として,課題こそ若者と一緒に共有することが大切ということですね。その時の中心は枝葉ではなく,基本問題のようなところから問いと課題を若者と一緒に共有したら,あとは若者の個性のゆらぎ,ゆらぎを言い換えれば多様性,これを100%生かすことですね。問題も何もかも自分で発見し解決する,なんてことは考えずに,若者と一緒に歩くことが本質であるとお聞きしました。
 課題を共有したら本人の得意な部分,多様性を生かす心持ちで若者との研究を心がける。これがメッセージとして伝えたいことと私は受け止められるように感じています。

山本
 エッジのいいところは,半分は未知という点です。円が大きければ大きいほど半分以上は未知で,誰も知らない世界です。自分たちで何かができるのは,あくまでも既知の部分だけです。未知の部分については私は知らないことですが,若者にはやってみたら面白いかもとまでは言える。そして既知のことなら,経験からこのようにやったらいいよと言える。エッジ部分に若者と一緒に行くと,個性豊かなゆらぎがあり,発想力も様々な若者が生きてきます。そうでないと,がちがちに固い考えに若者を引きずり込み,例えばDLもAIもすでにやることがないとか,何か新しいことないですか,なんて老人のようなことをいうようになってしまいます。
 しかし未知な部分では,そんなことはいえない。エッジには誰も知らない未知があるがゆえに,ゆらぎ,多様性,ダイバーシティがあることが最大の価値です。それを受け入れて生き残るのが社会なり学会なり,学術の世界であり最終的に産業界へ行き,一般の人に受け入れられていく。
 しかしその出発点は,ゴロゴロとした石ころのような無味乾燥なエッジかもしれません。若者の発想力で方向が定まり,その発想をもとに,その若者が生きていけるように支え,行き詰まったら新たな輝きの兆しが見えるまで,エッジのところにとどまるように励ましつづけます。

輿水
 ありがとうございます。先生の強いメッセージに改めて励まされました。次は「なぜ富士山は美しいか」のお話をお願いいたします。

山本
 登らぬバカ,2度上るバカといわれる富士山ですが,実際に富士山に行くとほとんど草もなく,石がゴロゴロしたがれきの山です。私も足場が怪しい道を,富士山が美しいなんてよく言うわ,などと難儀しながら登りました。これが富士山の現実です。山ですから,どこから見るかによってすべて稜線の場所が違ってきます。遠くから見た稜線も接近してきたら見え方が変わるのもエッジの理論かもしれません。俯瞰で全体を見ることで浮かびあがる美しさがある。産業界のためになるのは個々の石が稜線を作ったように,個々の技術が現場にまで届き広大な市場を形成する連環が生まれていくことが大事だということです。


写真4 山頂逆さ富士の富士

輿水
 富士山が美しいこととは少し違うかもしれませんが,富士山の裾野の景勝地で,非常にきれいな伏流水が湧いている忍野八海のことを関連して思い出しました。
 誰も見たことのない本当の課題に出会うのはエッジであると山本先生は先ほどおっしゃいました。富士山でいえばきれいな伏流水,湧水に出会えるのは広く拡がる富士の現地でしかない。本物の学術・技術テーマが見つかるような現場を設えていてくれる。石ころだらけの富士山のエッジ忍野八海が湧水を恵贈しているかのごとく…。学術界のだれも見たことのないような課題がノービスの僕らにも見つけることができるのですね。
 つまり,アカデミアの湧水のような知にエッジという名の現場から乖離したら何も出て来ないという自覚をもちましょうということを,富士山が美しいことから気付いてほしいというお声かけを山本先生が率先してすすめておられた。改めて噛みしめたいと思いました。ありがとうございました。

<次ページへ続く>

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