【重要】技術情報誌『O plus E』休刊のお知らせ

サイエンスをテクノロジーに変えるにはありとあらゆる工夫をして目的を達成することシチズン時計株式会社 橋本 信幸

工学基礎実験で初めて作成したホログラムに感動

聞き手:光学に興味を持たれたきっかけをお聞かせください。

橋本:私は高校のときから理系が志望で,それで早稲田大学応用物理学科に行きました。1977年に入学したのですが,当時はエレクトロニクスが華やかな時期でした。世の中で光エレクトロニクスがちょうど出始めた頃で,確か80年ぐらいに半導体レーザーが実用化したと思います。それから,コンパクトディスクプレーヤーが市販されたのも同じ頃だったと思います。ですから,私が大学に入学した頃は,光を使ったエレクトロニクス,オプトエレクトロニクスが盛んで,これからは光だと聞くようになってきていました。
 大学2年生のときの工学基礎実験で,ホログラフィの撮影がありました。当時としてはすごく珍しいものでした。初めてレーザーを使ったフレネル型ホログラムをグループで撮影しました。ホログラムの撮影というのはちょっとした振動とかがあると撮れないので,すごく苦労しました。みんなで暗闇の中,光学系をセットして息を潜めてやりました。完成して,変哲もないフィルムにレーザーを照射すると,ホログラム越しに立体像が闇にぱっと浮かんだのを見て,すごく感動しましたし,光学は面白いと思うようになりました。
 ただ,光学は,完成された物理学なので,教科書とかを読んでも難しいです。大学の先生の講義を受けてもすごく難しくて,よく分からない数式がいっぱい出てきます。光というのは面白いしこれから大切だけれども,すごく難しい学問だなと思っていました。
 実は大学のときには,電子工学の研究室に行きたいと思っていました。ですが,ホログラフィを見て感動したとのと,これからは光の時代だし,光学の研究室に入れば,きっと勉強しなくても光学がある程度分かるようになるだろうと思って,大頭先生の研究室に入りました。それ以後ずっと光に関わることをやってきた流れになります。

聞き手:光学の研究室に進まれて何について研究されたのでしょうか。

橋本:ホログラフィはすでにいろいろなところで研究が終わっていて研究テーマはあまりないよと言われていたのですけれども,私は大学の研究室でもホログラフィの研究をやりたいと思って,ホログラフィメモリーの研究をしました。これも70年代から盛んにやられていたのですけれども,私は,サーモプラスチックホログラムというものを使った,可逆で記録できる材料を使って,ホログラムのメモリーの基礎的な研究をやっていました。
 早稲田の理工学部では,今でも理工展という理工学部の学園祭があります。理工学部の応用物理学科の中に学生会があって,私は学生会の委員をやっていました。それで応用物理学科の学生会で技術発表というか技術展示みたいなことをやるのです。
 それで私はホログラフィをやりたいと思って,技術職員の方に相談したり,大頭先生の研究室を訪ねて,ホログラフィの研究発表をやりたいので,どういうところでできるかを相談しました。
 そうしたら,当時の富士写真光機,今の富士フイルムの一部になっていると思いますが,そこに,鈴木正根さんという,もう亡くなられた方ですけれども,ホログラフィ計測で非常に活躍された有名な方がいらっしゃいました。鈴木さんは偉い方だったのですが,若手の山足陽一さんというホログラフィカメラとかホログラフィ計測をやっている方を紹介していただき,ホログラフィスタジオを使わせていただいて,学園祭に向けていろんなホログラムを撮らせていただきました。  ディスプレイホログラムという,今でもあまり目にしないですけれども,それが電気通信科学館で展示できる機会があって,自分が作ったのが博物館にも展示されるのはとてもうれしい体験でした。確か大学2年か3年生のときだったと思います。
 ちょうどその頃,早稲田にレーザーディスプレイ研究会という,大学間をまたいでできていた組織があって,早稲田でも活躍している方がいて,ホログラフィとか,今のレーザースキャニングですね,レーザースキャンして絵を描いたりとかやっている研究グループがあって,そこの人ともたまたま知り合いになって,レーザーディスプレイ研究会が電気通信科学館で展示会を開くことになったときに「橋本さんの作品も展示したい」と言われて,一緒に展示していただきました。ですから,光学ホログラフィをやるのが,自分の中の流れになっていました。思ったことがどんどん形になっていきました。
 ただ,卒論,修論と両方ともホログラフィをやったのですけれども,結構苦労しました。オリジナリティのある研究テーマがなかなか出せませんでした。60年代70年代にホログラフィは非常に注目されて,そこでほとんどの研究がされていたからです。
 研究テーマは,富士写真光機さんでお世話になったときにサーモプラスチックホログラムシステムというものを作っていたので,それを使わせてもらって,ホログラフィックメモリーの基礎的な研究をやりました。
 その後,修士に進んで大学院を卒業した後,今のシチズン時計に入りました。同期とか先輩は,光関係,カメラメーカーだとかが多かったですし,最初は光学関係のところに行こうかなと思っていました。就職すると,よその会社はあまり見ることができないだろうと思って,学生のうちにいろいろなところを見ておきたくて,近くにあるシチズンの研究所に見学に行きました。そのときに,大学の応用物理学科の諸川という先輩が,当時部長で液晶テレビの開発をやっていたのです。
 当時の時計メーカー……,シチズン,セイコー,カシオとも,液晶テレビの開発を先行してやっていたのです。デジタル時計で液晶を使っていましたよね。シチズンは世界で最初に液晶時計を開発して世の中に出しているので,その液晶技術を使ったディスプレイの開発をやっていました。諸川部長という先輩に案内してもらって液晶のディスプレイの試作品を見せてもらったときに,結構それが面白かったです。ただ,そのときは,自分は光学の会社に行きたいなと思っていたので,あまり就職するつもりはなかったのですが,その後,当時の技術研究所の顧問だった北川さんという方がいらして,諸川先輩もユニークな人でしたが,北川さんも非常にユニークで,馬が合ってかわいがっていただきました。
 それで,「もう今からうちの会社の研究所に遊びに来い。いろいろなやりたい道具が転がっているぞ。卒業する前から来ていいから,好きに遊んでいけ」と言われて,面白いところだなと思いました。それまでは,会社では決まったテーマの下に時間だけ費やされていくようなイメージがあったのですけれども,諸川さんを見ていても北川さんを見ていても,楽しんで物を作る,楽しんで世の中に出そうとしていて,希望していた中では一番行かない可能性の高い会社でしたけれども,結局行くことにしました。修論で忙しかったので,通う暇はなかったですけれども,定期的には話を聞きに行ったりしていました。
 入社後,シチズンは多角化で時計以外にもいろいろなことをやっていたのですが,研究所で液晶の開発をやる,北川さんと諸川さんの部署に配属されました。当時,2インチとか3インチぐらいのポータブルテレビの開発を行っていたのです。私が入ったときは白黒の液晶テレビの開発の,そろそろ終わりぐらいの時期で,1年間ぐらいその開発を手伝いました。
 液晶というのは後ろから照明をするバックライト系というか,これも光学技術で,いかに光を効率良く,導光するのかが必要です。私はバックライトの駆動回路の設計もして,なおかつ製品にしなければいけないので,プリント基板上にエレクトロニクスを実装するためにCADを使ってプリント基板の設計もしてと,一通り全部やらせてもらえたという感じです。
 自分がやったものが製品として世の中に出ていく前提でやっているので,非常に面白かったです。自分の頭の中で考えていたことが形になって,さらにその形になったものが世の中に出ていくという,そこですね。

聞き手:世の中に出るまでの期間というのは結構長いイメージがあるのですが,いかがでしょうか。

橋本:一般的には長いですけれども,私は運が良かったのです。当時は液晶が次の産業として世の中が注目していたときで,シチズンのもつ液晶技術で新しい分野に参入しようというときでした。私の見る限り,会社というのは10年に1回ぐらいは,社運を賭けて大規模な開発をすることがあります。私はその中に入れたというのは運が良かったです。
 白黒のテレビの開発が終わりにくる時期に来ていたので,私のやっていたものは1年間ぐらいで製品化されました。
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橋本 信幸

橋本 信幸(はしもと のぶゆき)

1958年 東京都生まれ。 1983年 早稲田大学大学院理工学研究科応用物理学専攻修士課程修了。同年,シチズン時計(株)入社。技術研究所に配属。白黒およびカラー液晶TV ,レーザープリンター,光ディスク,液晶プロジェクター,電子ビューファインダー,液晶光学素子とその情報光学応用等の研究開発に従事。91年に世界初の液晶空間光変調器を用いたホログラフィ TV装置を開発。2000年よりDVD ,BD用の液晶収差補正素子を量産化。現在は,同社研究開発センターで液晶光学素子とそのバイオイメージング,計算光学,加工応用等の研究開発に従事。上席研究員。博士(工学)。
●主な活動
日本学術振興会第130委員会,同179委員会委員 日本設計工学会研究調査部会委員 3Dフォーラム幹事 科学技術・学術政策研究所(NISTEP)科学技術予測センター専門調査員 IDW(International display workshop)コア委員 OSA fellow OSA fellow member committee SPIE Photonics West プログラム委員 SPIE ,日本光学会元幹事,応用物理学会,日本時計学会会員,日本光学会ホログラフィックディスプレイ研究会前会長。
●受賞歴
三次元映像のフォーラム優秀論文賞(1996) HODIC鈴木・岡田賞(2005)(日本光学会ホログラフィックディスプレイ研究会) 光設計奨励賞(2010)(日本光学会 光設計研究グループ) 青木賞(2012)(日本時計学会)
●研究分野
液晶光学素子及びそれを用いた光波面制御,バイオーメージング,光情報機器への応用。

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