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サイエンスをテクノロジーに変えるにはありとあらゆる工夫をして目的を達成することシチズン時計株式会社 橋本 信幸

 私もそのときかなり考えたのですが,大学に移るには,今までやった研究をまとめて学位を取ろうと思って,99年に学位論文を書き始めたのです。
 そのときに,もう一つ運が良かったことがありました。私としては,大学で研究できるのなら大学に行ってもよかったのですけれども,自分で考えたものを形にして世の中に出すことをやりたかったので,会社で自分の研究を実用化させることには非常に未練が残っていました。
 当時,DVDプレーヤーが98年ぐらいから,ちょうど世の中に出始めの頃だったのです。DVDプレーヤーは,光エレクトロニクスの機器で,当時は花形産業です。大手の世界中のメーカーが開発にしのぎを削って規格を争ったものです。そしてDVDプレーヤーの中に補償光学,アダプティブ・オプティクスを適用する研究が行われていました。DVDというのはレーザーの光をDVDの対物レンズを使って1ミクロン以下のスポットに絞って,それでディスク基板に書かれている1ミクロン以下の非常に小さなパターンを小さいスポットで読むという技術なわけです。そのときにレーザーの波面が乱れてしまうと,フォーカス点のスポットが崩れてしまって読めなくなるのです。ああいうのは,大抵はディスクが反ったとか,ちょっとゆがんだとか,そこに入ってくるレーザーの光がゆがんだディスクでにじんでしまって,それで読めなくなるというのが原因なのです。

DVD用液晶補償光学素子(2000年)


 そのときにアダプティブ・オプティクスというのは,ゆがみを検出して,それと逆のゆがみをレーザーの光に与えて,ゆがみをキャンセルさせるという技術なのです。その技術を光ディスクに使いたいと,我々のやっている液晶波面制御技術に世の中が目を付けたのです。
 私はそのとき実は新しい研究テーマで,液晶を使った超解像技術をやっていて,非常に面白かったのです。私にとっては,波面制御はホログラフィのときにさんざんやっていたので,できて当たり前の技術でした。ですからテーマとしてはあまりやりたくなかったのですが,長年やってきた研究をやめるか製品化するかどちらかにしろという話と,自分自身も製品化したかったので,対応することにしました。それで,99年から,パイオニアさんと一緒にDVD用のアクティブな収差補正素子の開発をスタートさせたのです。
 私はそのとき,博士論文を書き始めながら,なおかつ自分のやっていた技術を製品化することになりました。その5年前に結婚していた私に,その年に子どもが生まれて,と,3つが重なったので大変でした。ただ,子どもを育てることも,自分がやっていることを製品化することも,それから博士論文を書くことも,それぞれが希望に満ちたことなので充実していました。
 時間的にはものすごく大変でしたね。妻も大学の教員だったので,子どもを保育所に預けて,保育所の送り迎えは私が全部やりました。夕方になると急いで家に帰って子どもを迎えに行って,近くに住む実家の両親に子どもを預けて,それでまた会社に帰ってという生活でした。出張のときには,妻の実家の両親にも来てもらって対応しましたね。あと超解像技術の研究の学会発表とか招待講演とかもあって海外にも行っていたので,本当に忙しかったです。ただ,今にして思うと,大変だったという記憶はないのです。
 私はパイオニアさんと一緒にDVD用の液晶収差補正素子を開発するときに,「量産はサイエンスだ」という思いを強く持ちました。パイオニアさんにしろ,我々にしろ,液晶収差補正素子を量産化するのは初めてのことだったのに,結果的に1年で立ち上がったのです。
 研究だったら1個作って,1個が動いて1個が最高の性能を出せばいいわけですよね。でも,量産は100万個作って,100万個がある一定の性能を出さなければ量産とは言えないわけです。それが結果的には非常にうまくいったのです。それはなぜかと言うと,2つ理由があります。
 1つは,私のやる基礎研究は,企業としては珍しく本当にピュアな基礎的な研究でした。ですから液晶で光を波面制御するときに,どんな物理現象が起きているのか,理論と実際とを10年間の間に知り尽くしていました。だから,私にとっては量産できるのは当たり前であまり興味がなかったのです。あともう一つが,これは日本の強みだと思うのですけれども,現場の人たちが非常に職人かたぎで,新しいものに対してチャレンジしてくれるというところです。
 実際に量産するのは私ではなくて,工場の現場の人たちが量産してくれるので,その人たちが非常に優れていたということです。あと,開発するにあたっては,周りの人たち,興味のある人たちを巻き込んで,その人たちが協力してくれたことです。
 当時,我々は,携帯電話用の液晶パネルを作っていて,非常に売り上げ的に良かったのです。その中で液晶光学素子というパイオニアさん向けに新たに立ち上げた液晶というのは,そこから見るとまだ海のものとも山のものとも分からないもので,それよりは携帯電話の液晶が結構人気で売れ筋だったので,普通だったらなかなか手伝ってくれる人はいなかったと思うのです。けれども,量産現場の人たちが新しいことに対して興味を示してくれたというのがあって,それを製品化するのにチャレンジしてくれる人たちが出てきたおかげで,結果的に1年間で量産までこぎ着けられました。
 でも,そこには結構苦労したこともありました。というのは,実はそのパイオニアさんと一緒に共同開発したものは,確かトヨタさん向けの車載用のDVDだったのでパイオニアさんから納める場所が決まっていたのです。
 普通,民生品として世の中に出すのなら,開発が遅れて多少出荷が遅れてもさほど大ごとにはならないですよね。けれども,次のお客さんがいて,トヨタさんがカーナビゲーションとして,そのDVD-ROMを積むわけですから,生産計画を遅らせるわけには絶対にいかないですよね。ですから,絶対に開発しないといけないわけです。  そのときに心配だったのが,品質保証をどうするかということでした。車載向けなので品質スペックは厳しいのです。これまで世界で出したことがないものでしたしね。ただ,私は物理現象は理解していたので,そういう意味ではある種,絶対の自信がありました。
 今も印象に残っているのですけれども,当時パイオニアさんの光ディスク事業部の開発責任者をやっている方と,自動車の量産日程までに品質保証できるかどうか,お互いに議論したときがありました。そのときに,今でも印象に残っているのは,パイオニアさんの責任者の方が,「我々は橋本さんたちと心中します」と言ってくださったのです。全面的に信用してもらえたというのでしょうか。その後,ブルーレイディスクとかにも使われて,累計で1億個以上生産したのです。けれども,光学的な性能や品質に対するクレームはまったくなかったのです。
 そのとき私が思ったのは,量産はサイエンスだということです。それ以後,私がいつも信念としているのは,「物理現象が分からないものは量産しない」ということです。というのは,何かトラブルがあったときにものすごく苦労するのです。いわゆる「じゅうたん爆撃」と当時よく言われていたのですけれども,何かトラブルがあると実験条件を変えてありとあらゆる実験をして調べることです。そうすると,人も時間も物もものすごくお金がかかって大変なのです。みんな徹夜するような勢いで,大勢の人たちがたくさんの実験でデータを解析していって,そこからしらみつぶしにやっていくのです。もちろんそれも必要ですが,物理現象が分かっていればどこを押さえればいいかが分かるので,そこをピンポイントで調べればいいのです。
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橋本 信幸

シチズン時計株式会社 研究開発センター 橋本 信幸

●橋本 信幸(はしもと・のぶゆき)氏のご経歴
1958年 東京都生まれ。 1983年 早稲田大学大学院理工学研究科応用物理学専攻修士課程修了。同年,シチズン時計(株)入社。技術研究所に配属。白黒およびカラー液晶TV ,レーザープリンター,光ディスク,液晶プロジェクター,電子ビューファインダー,液晶光学素子とその情報光学応用等の研究開発に従事。91年に世界初の液晶空間光変調器を用いたホログラフィ TV装置を開発。2000年よりDVD ,BD用の液晶収差補正素子を量産化。現在は,同社研究開発センターで液晶光学素子とそのバイオイメージング,計算光学,加工応用等の研究開発に従事。上席研究員。博士(工学)。
●主な活動
日本学術振興会第130委員会,同179委員会委員 日本設計工学会研究調査部会委員 3Dフォーラム幹事 科学技術・学術政策研究所(NISTEP)科学技術予測センター専門調査員 IDW(International display workshop)コア委員 OSA fellow OSA fellow member committee SPIE Photonics West プログラム委員 SPIE ,日本光学会元幹事,応用物理学会,日本時計学会会員,日本光学会ホログラフィックディスプレイ研究会前会長。
●受賞歴
三次元映像のフォーラム優秀論文賞(1996) HODIC鈴木・岡田賞(2005)(日本光学会ホログラフィックディスプレイ研究会) 光設計奨励賞(2010)(日本光学会 光設計研究グループ) 青木賞(2012)(日本時計学会)
●研究分野
液晶光学素子及びそれを用いた光波面制御,バイオーメージング,光情報機器への応用。

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