【重要】技術情報誌『O plus E』休刊のお知らせ

いろいろな経験を積むためにも学生にはできるだけ海外で洗礼を受けさせる早稲田大学 教授 中島 啓幾

大変ラッキーだったのは,会社の中に最も信頼できるユーザーがいた

中島:富士通の伝送事業はすごくアグレッシブで,しかも,差別化ということで,半導体レーザーはもちろん,その他の光コンポーネントに対して垂直統合で開発を進めていました。かなり厳しいことをいろいろ要求されましたが,それに何とか応えていくようにしていました。
 上役の人に,研究テーマやプロジェクトの存続の意義を説明,あるいは説得する厳しさだけは鍛えられたと思います。ネガティブなことを言ってくれた上司のほうが,結果的には,われわれに前進の意欲を与えてくれたような気がします。また,大変ラッキーだったのは,会社の中に最も信頼できるユーザーがいたということです。これは,そうそうあることではないかもしれません。まず,そのユーザーのために動くものを用意すること。動くというのは,可動部分があるということではなく,動作テストのためのサンプルを用意するという意味で実は大変なことなのです。
 LN外部光変調器の研究開発に関する理論的な根拠について,社内にバックデータはたくさんあったのですが,時間が限られている偉い人にいちいち説得できるわけではないので,理論的な裏付けは小山先生,伊賀先生の論文が大変よいサポートになりました。
 今でも思い出に残っているのは,1986年のECOC後に,伊賀先生から,光増幅でEDFAが本命であるようだとのお話を伺いました。1987年に富士通研究所のグループがECOCで,当時としては驚異的な伝送特性を達成しました。そのときは10ギガまではいっていませんでしたが,それから2年後の1989年に,IOOCという,今ではなくなってしまった会議が神戸のポートピアで開催されました。そのとき,私はプログラム委員をやり,招待講演もさせていただきました。そこには端局送信をLN変調器で,中継をEDFAでという組み合わせでと世界中からドドドッと大量のペーパーが出て,10ギガ時代の幕開けになったのです。実際に初めて商用化されたのは,90年代前半のNTTからでした。 <次ページへ続く>
中島 啓幾(なかじま・ひろちか)

中島 啓幾(なかじま・ひろちか)

1948年 東京都生まれ 1966年 麻布高校卒 1970年 早稲田大学理工学部応用物理学科卒 1972年 早稲田大学大学院理工学研究科修了 1972年~1996年 (株)富士通研究所 1984年~1996年 早稲田大学 非常勤講師 1996年 早稲田大学 教授(現在に至る) 1998年 ボストン大学 客員教授 2001年~2014年 応用物理学会日本光学会微小光学研究グループ 実行委員長 2002年~2014年 日本女子大学 非常勤講師 2003年~2005年 科学技術振興機構(JST)研究開発センタ出向 シニアフェロー 2011年~2013年 応用物理学会 理事(総務担当) 2012年 応用物理学会 春季学術講演会 現地実行委員長
●研究分野
酸化物単結晶を用いた微小光学,光導波路デバイス,光集積回路と応用
●主な活動・受賞歴等
第9回光産業技術振興協会桜井賞受賞(1993年)
第2回応用物理学会フェロー表彰(2007年)
応用物理学会微小光学研究会運営委員長(2015年~)

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