【重要】技術情報誌『O plus E』休刊のお知らせ

着想力が豊かで,実行力が速く失敗を財産とできる前向きな志向の人材を育んでほしいナノサイエンスラボ 代表 門田 和也

日本半導体の最も活発な時期に,先導的な役目を果たした

聞き手:門田さまは,日立製作所で半導体のご研究をされ,ご定年後に産総研,東北大学,そして今はご自分の会社,ナノサイエンスラボと,半導体産業に長年携わっていらっしゃいますが,門田さまが半導体の世界に入るきっかけをお聞かせください。

門田:当時の大学院では,まだ高集積半導体(VLSI)の黎明期であり,研究設備・環境・資金などが不充分であったため,材料の基礎研究(結晶と非晶質の分子構造)を広く行いました。また,大学紛争で荒れていたので,国立研究所(現産総研)でもテーマを設定し,徹夜の実験や沈思黙考(遊び心,Fact Finding)など,自由に研究を重ねていました。この非常に恵まれた数年間の経験が,後に非常に役立ちました。
 企業(日立)へは,「学位を得た者は,産業界に貢献すべき」だともともと考えていて,基礎研究よりは応用開発に魅力を感じていたので,各社・先輩の勧誘の中から応じました。エレクトロニクスは,既に産業になっていましたが,まだ,6桁電卓位であり,高度エレクトロニクス(VLSI)時代の到来に初期から携わることができました。
 今で言う「人・モノ・金」が三拍子そろった環境は,大学ではなかなか実現できない時代でしたが,70年台後半から,官民共同で超LSI開発を行う組合ができ,幸運にも私の出番がやってきました。産業界では,重厚長大から軽薄短小の高度エレクトロニクス産業を目指していたので,私の人生構想にピタリと合ったわけです。 remark64_2  当時は,2~3μm世代でしたが,DRAM,SRAMを中心に大型計算機(メインフレーム)に搭載する産業目標が明確にあり,しかも,その性能向上を図るために2~3年ごとに約70%のチップシュリンク(主に微細加工技術の採用で)を行うことが必須であったため,湯水のごとく「人・モノ・金」をつぎ込む状況でした。この分野は,日本の電気各社が競争する領域でもありましたので,昼夜休日を分かたず遮二無二傾注し,若い人たちの毎月の残業が200時間になるのはザラでした。土曜日も出るし,日曜日も場合によっては出ていました。まぁ,良かったとは思わないですが,女房からは母子家庭だとかいろいろ言われていました(笑)。
 この恵まれた開発環境の中で,次々と微細加工技術を発展させるためには「設計・EDA・マスク・露光・デバイス・プロセス・検査」を一連の統括的仕様で進めることが求められ,上流のデザインルールの策定から,デバイス性能,生産歩留,河口の信頼性・品質までを,組織的に効率よくフィードバック,フィードフォワードする体制を完成させました。プロセスステップの難易度に応じて,デザインルールを微細層マスク,簡易層マスクに2区分し,露光機もこれを満たす様に,ステッパーとプロジェクションの2機種で構成するハイブリッド式製造工程を作り上げたのも,この時期です。当然,走りながら並行して必要な技術を完成させ,タイミングに合わせて採用しなければならず,技術未完・仕様未達な領域も多々ありました。例えば,マスク上のシステム欠陥(致命欠陥)の検査・修復,プロセス上のランダム欠陥(電気的歩留,物理的歩留)の検査・冗長救済,等々の設計視点,デバイス視点,品質視点からの対応,判断などに繁忙を極めました。このころは,技術がどんどん,パラダイムシフトと言うと大げさですが,ガサッガサッと変わった時代でした。
 また,同時に,採用したい各種技術,装置,材料も多岐に亘り,多くの国内外候補を公正に評価しつつ,数年先の状況も踏まえ,投資効果(ROI)を考慮し,各社との協業体制を敷く必要がありました。もちろん,屁理屈(原理)は立派でも,でき損ないも多々ありました。野球でたとえると,ベンチウォーマや,一塁まで行けない選手も多くいましたし,満塁ホームランを打ったが,次の試合には力尽きて消える様な選手も多くいました。監督解任劇,チーム降格なども年中行事でした。当時は結構激しかったですね。もちろん今も激しいけど,ただ,今と違うのは,次の仕事が次々にあるから,首になってもお役目御免じゃなくて,別の仕事に担当替えになっていますね。産業界的な部分で言うと,やることはもう山ほど,とても1人で背負えないくらい,3倍か5倍ぐらいありました。私なんかは,廊下ですれ違った幹部が「何か欲しい物があるか」とか言ってくるのですが,いつも「人と金を下さい」と言っていました(笑)。
 今,好意的に振り返ると,このVLSI黎明期から1990年中程までの約20年間が日本半導体の最も活発な時期であり,公私共に充実し,産業界の先導的な役目を果たせたのではないかと自負しております。この時期の広く深い経験,自信,協業,人脈が,私の生涯の大きな財産になっていると感謝しています。 <次ページへ続く>
門田 和也(かどた・かずや)

門田 和也(かどた・かずや)

1943年 神奈川県生まれ 1972年 東京工業大学 大学院理工学研究科 卒業 工学博士 1974年 日立製作所入社 2003年 定年退職後,産総研,東北大学を経て,ナノサイエンスラボ代表
●研究分野
半導体設計
●主な活動・受賞歴等
半導体メモリ開発(特に微細加工技術を中心)

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