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「これなら,俺は,やりたい」と思えるようなものをつかまえさせるのが教師の役目小柴 昌俊

物理に進んだのは「こんちくしょう」と思ったから

聞き手:小柴先生が物理の道に進まれたきっかけをお教えください。

小柴:私は大体,大学の理学部物理学科に入ろうなんてことは夢にも思っていませんでした。それなのに,なぜ物理学科を受けて入ったか。
 私がいた高等学校は全寮制で風呂なんてありませんでしたので,生徒の委員が戦争の焼け跡を走り回って,焼け残った変圧器を見つけて持ち帰ってきて,その電熱で電気風呂を作りました。だから,先生とか先生の家族も,その風呂に入りに寮に来ていました。
 その頃はガラスが割れたからといってもすぐ直せません。外の寒い風が,ふうっと入ってくると,白い湯気がたって,その向こうは全然見えなくなります。そうしたら,その蒸気の中から声が聞こえてきたのです。「先生。小柴のやつは寮の副委員長をやったりアルバイトで忙しいとか言って学校へも出てこないけれども,あいつは一体どこへ行くのでしょうね。」どうやら一高で物理を教えていた3人のうちの1人の先生が,教え子の1人に質問されているようでした。先生は「どこへ行くかは知らんけれども,あいつの成績じゃあ,物理なんて受けたって受かるはずはないから,無試験のインド哲学か何かへ行くんじゃないのか」と,えらくばかにした発言でした。  それで,私は腹が立ちました。試験まであと1カ月あったので,「よし。それじゃあ,もう何としてでも物理へ入ってやる」と決めました。そのころ,東京大学理学部物理を受験するには,一高の理科甲類というところの1割以内に入っていなければ,受けても落ちると言われていました。ところが,私は理科甲類ではあるけれど,190人中半分の九十何番でした。だから,受かるはずはありません。けれども,「こんちくしょう」と思いましたから,何としてでも入ってやろうと思いました。僕と同じ部屋で暮らしていた,朽津耕三(現東大名誉教授)という,飛び切りの秀才がいまして,彼は私と一緒に理学部に行きましたが,物理ではなくて化学へ入って,今は化学の名誉教授になっています。その彼がものすごい秀才で,私は「おい,朽津。俺は物理を受けることにした。1カ月間,おまえは俺の専属の家庭教師になれ」と言いました。彼が私に付きっきりでいろんなことを教えてくれたおかげで物理学科に入りました。
 入ったのはいいのですが,もともと物理をやりたいと思って入ったわけではないし,それから稼がなければならないという事情は依然として変わらないわけです。というのは,おやじが職業軍人で,戦争に負けてから職がなくなり,両親と兄弟4人の,合わせて6人の飯を何とか稼がねばならなくて,姉と私とでありとあらゆる仕事をしました。家庭教師は幾つもやりましたし,稼ぐのに一生懸命だったわけです。だから,物理学科の授業にはほとんど出ませんでしたし,卒業成績もみじめなものでした。
 卒業してどこかへ就職を考えるかといっても,戦争が終わってすぐの時代です。特に私は小児まひという病気で体が不自由ですから,普通の職には就けなかったのです。しかも,東大理学部の学生という身分がなくなると,家庭教師の口がなくなってしまうわけです。それでは困るから,大学院に入ろうと思いました。ありがたいことに,その頃,大学院は入学試験がなくて,教授が「俺の研究室へ来て勉強してもいいよ」と言ってくだされば,大学院生になれました。それで,同じ高等学校の先輩だった,理論物理の山内恭彦先生に,「先生の研究室へ入れてくれませんか」と言ったら,「ああ,いいよ」と言っていただき,大学院生になりました。
 けれども,物理の勉強をするわけではなくて,「大学院生」という肩書きを使って家庭教師をやっていたわけです(笑)。だから,物理を一生の仕事にしようなんてことは夢にも考えていませんでした。 <次ページへ続く>
小柴 昌俊(こしば・まさとし)

小柴 昌俊(こしば・まさとし)

1926年 愛知県生まれ 1951年 東京大学理学部物理学科卒業 1955年 ロチェスター大学大学院修了(Doctor of Philosophy) 1958年 東京大学助教授(原子核研究所) 1963年 東京大学助教授(理学部) 1967年 東京大学理学博士取得 1970年 東京大学教授(理学部) 1974年 東京大学理学部附属 高エネルギー物理学実験施設長 1977年 東京大学理学部附属 素粒子物理国際協力施設長 1984年 東京大学理学部附属 素粒子物理国際研究センター長 1987年 東京大学名誉教授 1987年8月?1997年3月 東海大学理学部教授 1994年 東京大学素粒子物理国際研究センター参与 2002年 日本学士院会員 2003年 財団法人平成基礎科学財団設立 理事長就任 2005年 東京大学特別栄誉教授 2011年 公益財団法人平成基礎科学財団へ移行 理事長就任
●研究分野 素粒子物理学
●主な活動・受賞歴等
1985年 ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章 1987年 仁科記念賞 1988年 朝日賞 1988年 文化功労者 1989年 日本学士院賞 1997年 藤原賞 1997年 文化勲章 2000年 Wolf賞 2002年 ノーベル物理学賞 2003年 ベンジャミンフランクリンメダル 2003年 勲一等旭日大綬章 2007年 Erice賞

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