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「これなら,俺は,やりたい」と思えるようなものをつかまえさせるのが教師の役目小柴 昌俊

陽子崩壊を何とかつかまえたい

聞き手:ロチェスター大学で原子核乾板の研究からどのようにニュートリノの計測にまで進んだのでしょうか。

小柴:ニュートリノまでは,まだなかなか行かないですよ(笑)。ニュートリノへ行くのは,もっとずっと後なんです。
 ロチェスターでは原子核乾板の仕事をやりました。高い空に風船で原子核乾板を露出して,降り注いでくる宇宙線をできるだけ生の形でつかまえて,その元素組成がどうなっているかを調べる実験をやっていました。それをずっと続けていたから,うちの学生にも乾板の仕事しか与えられませんでした。乾板の仕事だけだと教え子に学位を取らせても就職が難しいから,エレクトロニクスを使った実験も始めることにしました。  そして,年月が過ぎて,新しい物理の理論というのが提案されました。その新しい理論が本当だとすると,今まで無限に安定だと思っていた陽子という粒子がひとりでに崩壊してしまう,という結論が出てきました。「そんなことが起きたら,これは大変なことだ。でも,何とかそれを測りたい」と思いました。日本で測ろうとするには,できるだけ安くして文部省にお金を出してもらいたいので,一番安くそれを測るにはどうしたらいいだろうというのを考えました。  そこで,雑音の少ない,地下の深い所へ水をためて,水の中にはたくさん入っている,陽子が崩壊すると,必ず陽電子が一方へびゅっと走りだして,反対側には中性パイ中間子がびゅっと飛び出すのですね。ご存じだと思いますが,中性パイ中間子というのはすぐガンマ線2つに変わるわけです。ハイエナジーなガンマ線がこちらへ出てくると,それが水の中だと,陽電子・電子のペアをつくって,カスケードシャワーというのをばっとつくるんです。このハイエナジーの陽電子の方もカスケードシャワーをばっとつくります。そうすると,両側にチェレンコフ光が,ぱっと出るわけです。だから,水をためて周りに光をつかまえる玉を置いておけば,反対方向に同じくらいの強度のチェレンコフ光が,ぱっと出たという現象をつかまえれば,間違いなく陽子崩壊がつかまえられると考えました。だから,これはいい手なんです。
 私がそれを文部省に提案して,ようやく1億3,000万円の予算を約束してもらいました。その当時,世界で一番感度のいい,光をつかまえる玉というのは,直径20センチの,5インチの玉で,1つが13万円でしたので,それを1,000個取り付けると1億3,000万円かかるのです。
 さて始めようかなと思ったら,私の古い友達で,アメリカのフレッド・ライナスという,彼は後に,原子炉からニュートリノが出ていることを実験で確かめてノーベル賞をもらった男なんですけれども,彼から知らせが来て,「アメリカで陽子をつかまえる実験を計画している。できるだけ安く上げるには水を使うのが一番いい」と,僕と同じことを言っていました。彼は,水を5,000トンぐらいためて,周りを取り巻く光をつかまえる玉も5,000個使う,と。金があるからできるのですね。私は1,000個だった。それぞれが,周りの壁に1平米に1個ずつ付けているわけです。向こうはそれだけでかいから,玉の数も多いです。だけれども,感度は同じなわけです。
 そういう状況で陽子の崩壊を発見する実験をそのまま続けても,ライナスの方が勝つに決まっています。ライナスが「あ,2~3個見つけた。」と言ったときに,日本の神岡の実験が「うちでも1つ見つかりました」なんて,こんな情けない後追い実験をするために, 国民の税金1億3,000万円を使っていいのかと,私はものすごく悩んだんです。このままでは負けるに決まっているので放っておくわけにはいかないです。
 それで,浜松ホトニクスという会社の社長を呼び出して,「俺は,どうしても,直径50センチのでっかい玉が欲しいんだ。これを新しく開発しよう。」と強談判をしました。彼はなかなか「うん」と言わなかったですね(笑)。結局,うちの学生や助手を送り込んで浜松ホトニクスの技術者3人と共同でその開発に当たらせることにしました。そして,一年足らずのうちに,でっかくていい玉ができました。「ああ,しめた」と,それを1,000個,取り付けました。 <次ページへ続く>
小柴 昌俊(こしば・まさとし)

小柴 昌俊(こしば・まさとし)

1926年 愛知県生まれ 1951年 東京大学理学部物理学科卒業 1955年 ロチェスター大学大学院修了(Doctor of Philosophy) 1958年 東京大学助教授(原子核研究所) 1963年 東京大学助教授(理学部) 1967年 東京大学理学博士取得 1970年 東京大学教授(理学部) 1974年 東京大学理学部附属 高エネルギー物理学実験施設長 1977年 東京大学理学部附属 素粒子物理国際協力施設長 1984年 東京大学理学部附属 素粒子物理国際研究センター長 1987年 東京大学名誉教授 1987年8月?1997年3月 東海大学理学部教授 1994年 東京大学素粒子物理国際研究センター参与 2002年 日本学士院会員 2003年 財団法人平成基礎科学財団設立 理事長就任 2005年 東京大学特別栄誉教授 2011年 公益財団法人平成基礎科学財団へ移行 理事長就任
●研究分野 素粒子物理学
●主な活動・受賞歴等
1985年 ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章 1987年 仁科記念賞 1988年 朝日賞 1988年 文化功労者 1989年 日本学士院賞 1997年 藤原賞 1997年 文化勲章 2000年 Wolf賞 2002年 ノーベル物理学賞 2003年 ベンジャミンフランクリンメダル 2003年 勲一等旭日大綬章 2007年 Erice賞

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