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社員が成長しなければ会社は成長しません(株)日本レーザー 代表取締役社長 近藤 宣之

独立して社員全員が株主の会社を作る

近藤:その後,日本レーザーは日本電子から独立するのですが,その経緯をお話しします。独立した理由の一つとして,1989年に日本電子が6割,日本レーザーが4割出資して作ったレーザー顕微鏡の製造会社である日本電子ライオソニックの存在があります。レーザービームを半導体の回路に当てると電流が流れ,その流れ方を見ることによって欠陥があるかどうかを判断する半導体の欠陥検査装置を作っていました。日本レーザーも,海外から輸入するだけだと商権が失われるようなこともあって不安定だから,国内に自分たちのメーカーを作ろうということで出資しました。ところが,そのレーザー顕微鏡は,一時期の半導体ブームが去った途端に売れなくなってしまったのです。最終的に債務超過になり,業績悪化で破たん処理することになりました。2003年にその会社は清算されましたが,日本レーザーが出資した1,200万円はいろいろあって戻ってきませんでした。それを契機に,日本電子はレーザー関係の仕事から一切手を引くことになりました。そうなると,日本レーザーを子会社として持つ事業上のメリットがなくなってしまったのですね。
 一方,日本レーザー側にも,子会社という立場でやむを得ないのですが,人事や財務面での制約があり,迅速な経営判断や社員のモチベーション上,障害となることが多くありました。そのため,2003年ごろから親会社の制約の少ないIPO(株式公開)やM&Aを検討していました。
 親会社の経営トップとしてはもう一つ,「近藤のおかげで業績が良くなって,従業員も増えてきているが,企業文化が全く違うところに近藤の後任を送るのは難しい」という親会社の判断があったと思います。後任が置けないとなると,社長を替えることもできません。しかし,ほかの子会社の手前,日本レーザーだけ特別扱いするわけにもいかず,「やはりこれは独立させるしかない」という判断があったのでしょう。そのような経緯で,「独立を考えてほしい」と当時の日本電子の社長に言われました。2006年ぐらいのことでしょうか。
 IPOを断念し,マネジメントバイアウト(MBO)やマネジメントエンプロイーバイアウト(MEBO)*を検討している時に,主力銀行から「持株会社設立によるMEBOでの独立はどうか」という話が出て来ました。独立は銀行にもメリットがあったからです。日本レーザーが独立すれば,社債の発行や,為替の予約――親会社のしがらみがないので金額や期間の自由度が高い――が新たに発生しますからね。独立によって社員のモチベーションを高められるし,さらにそれを継続していくこともできます。経営の自由度を確保するという面でもメリットがあるし,親会社にしてみれば自分の持っている株を売ることができるわけです。唯一のデメリットは,「自己責任経営」ということです。銀行からお金を借りる時に,今度は本社が保証してくれません。それと,何かあった時に誰も助けてくれないということもあります。その覚悟がないと独立はできません。

聞き手:背水の陣を敷いたわけですね。

近藤:はい。そんなデメリットがあるけれど,わたしは社員にいつも「チャンス&チャレンジ」ということを言っているので,独立を経営としてのチャンスととらえて,チャレンジしようじゃないかということになりました。2006年12月の年末も迫ったころに筋書きが出来上がったので,年明けの2007年早々に「これでやりたい」と本社に持っていきました。そうしたら,本社も賛成してくれたのです。そして,その年の6月に独立しました。

聞き手:独立の具体的な内容を教えていただけますか?

近藤:日本レーザーの株は当時,日本電子が7割,残り3割が個人持ちという出資比率ですが,その上にわたしが個人で「JLCホールディングス株式会社」という会社を作りました。資本金は5,000万円です。作るにあたって,社員に「出資を希望すれば額面で譲渡する」と言っておきました。元親会社の日本電子は14.9%の出資とし――グローバルにブランド力のある日本電子の名前は信用の証しでもあるので――,残り85.1%は社員に持ってもらうことにしました。ただし,経営の責任上,そのうち50%以上は役員が持つ必要があるので,全体の32%は社員が保有できるという枠だけ決め,希望を募りました。そうしたら何と,社員枠の2.4倍ぐらいの応募が来ました。しょうがないので,希望の半分以下の株数にしてもらって,全員が株主の会社ができたというわけです。そして今度は,その全員が株主の会社が日本レーザーの株を全部買うというスキームでした。
 MEBOが終わった2007年7月の段階では,日本レーザーは100% JLCホールディングスの子会社になりました。JLCホールディングスの株主構成は,日本レーザーの役員が半分以上,社員が1/3弱,14.9%が元親会社の日本電子という形になりました。さらにわたしが個人で持っていた株を社員に額面で譲渡して個人株主になってもらったのを,今度は再度それを供出してもらって,持株会にしました。だから結局,社員持株会と役員持株会,日本電子という,たった3人しか株主はいなくなったのです。その方が総会をやっても簡単ですからね。
 2008年以降に入社した社員にも,新たに株主になれるチャンスを作ろうというので,「第2従業員持株会」というのを作りました。MEBOをしたときより業績が良くなっているので,当時と同じ金額で1株は買えませんが,「それでもいいから買いたい」と多くの新入社員が言ってくれました。その年に入った女性でボーナスがまだ10万円しかないような人でも50万円払い込んでくれたり,中にはお金がないから親から借金して買うという人もいて,本当に驚くべきことだと思いました。結局,2008~2010年に入った社員もみんな株主になりましたね。

聞き手:社員全員が株主の会社ですか。日本ではまだ少ないケースですね。

近藤:今日現在,JLCホールディングスという日本レーザーの親会社は,パートや派遣社員以外,全員株主です。嘱託も株主になっています。定年再雇用者も株主。今年の1月と5月に入ってきた新入社員もここで株主になりました。要は,ここで働いている人間は全員株主なのです。よく,「近藤さんの会社の社員はモチベーションが非常に高い」と言われますが,それは,働いたら働いた分だけ給料やボーナスが増えるというのもあるけれど,会社が利益を上げると5~10%の配当金が出るということが大きいのです。これは銀行の利回りの50~100倍に相当しますよね。「それはモチベーションも上がりますね」と言われますが,わたしは「それは逆でしょう」といつも言っています。もともとモチベーションが高いからそういうことができたわけですから。

聞き手:会社の業績はすべて社員のモチベーションにつながっているのですね。

近藤:はい。社員のモチベーションを上げるための工夫は散々やってきました。その延長線で社員の成長は企業の成長ということになります。さらに,「株――すなわち会社は,誰のものか」ということになりますね。日本レーザーでは「会社は社員のもの」ということになっています。そういう仕組みによってさらにモチベーションが高くなるという循環が生まれています。結果としてこの10年間,実質的な離職率はゼロなんです。また,身障者の雇用率が2.5%を超えていますし,70歳まで働ける。既婚の女性社員が4人いて,4年間で4回,産休・育休を取っています。1年程度の育休を取ってもちゃんと復職できます。
 頑張った人には頑張っただけの待遇をします。雇用は保障します。本給も下げません。だけど,手当は能力に対する手当だから,変動します。職責手当や部課長の手当も実績で変わります。ある面で社員は大変居心地がいいのですが,同時に業績に対してはとてもシビアな会社といえますね。
近藤 宣之(こんどう・のぶゆき)

近藤 宣之(こんどう・のぶゆき)

1968年3月,慶應義塾大学 工学部電気工学科卒業。同年4月,日本電子株式会社に入社。電子顕微鏡部門応用研究室に勤務。1970年5月?12月,当時のソビエト連邦レニングラードとモスクワに駐在。1972年9月,全国金属産業労働組合同盟(ゼンキン同盟)日本電子労組執行委員長,東京地方金属副執行委員長,ゼンキン同盟中央執行委員兼任。組合役員退任後,経営管理課長,総合企画室次長等を歴任後,1984年11月に米国法人副支配人に就任。1987年4月,米国法人総支配人。1989年6月,日本電子取締役兼米国法人支配人。1993年1月,同社取締役営業副担当。1994年5月,株式会社日本レーザー代表取締役社長に就任,現在に至る。1995年6月に日本電子株式会社取締役退任後,日本レーザー社長専任。1999年2月,日本レーザー輸入振興協会会長,現在に至る。2007年6月,JLCホールディングス株式会社設立。代表取締役社長に就任,現在に至る。同時にマネジメントエンプロイーバイアウトにより日本電子株式会社より独立。2011年5月,第1回「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞,中小企業長官賞を受賞。

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2020.03.25

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東京工業大学 松谷 晃宏