【重要】技術情報誌『O plus E』休刊のお知らせ

光学部の人たちが取り組んでいる課題を自分ならどうするだろうという立ち位置で考えたり議論することができたのは,結果的に「光学一筋」だったせいだと言えるかもしれません(後編)元(株)ニコン 鶴田 匡夫

本音で話せる人の輪を拡げていくのに国籍や所属の区別はいらない

聞き手:ここまでのお話は主に会社の外部の機関や人々に関するものでしたが,会社勤めが長かったお立場で社外の機関や人々とのお付き合いのこつのようなものがあったら話して下さい。

鶴田:私は転職の経験は勿論のこと,子会社への出向や国の内外への留学もしたことがありませんでした。勤務時間の内外とも付き合いの大半は社内の人々に限られた典型的な会社人間でした。引退して20年近くになりますが,昔の仲間との付き合いは今も続いています。その間,上下の関係を慮って言いたいことも言わなかったことは殆んど無かったように感じています。恵まれた環境だったと思います。しかしその中にどっぷり浸っていたのでは会社が私に期待している役割を十分には果たせないだろうし,それよりも何よりも自分の科学技術者になる夢を自ら摘み取ることになりかねないと考えたことも事実でした。社外活動の中で会社の承認が必要だったのは学会関連の役職,具体的には日本光学会幹事長や文献抄録委員長への就任など,また会社から正式に命じられたのはISO/TC172(光学および光学器械に関する技術委員会)国内委員会の委員長くらいだったと思います。その他は,例えば『光の鉛筆』の連載などは,上司の了承を得た上でその内容は私の自由裁量に任されていました。しかし,それだからこそ自分に課したいくつかの条件がありました。それらを列挙してみましょう。学会やその関連委員会や研究会には会議に欠席してもその後に開かれる懇親会には必ず出席する。お世話になった先生方の受賞記念や退官パーティーに出席するときも同様。いずれも会費は自前,などの他,

 (1)懇親会などの会場の椅子には座らない。さしでは話さない。まわりに第3者がいて,
   彼または彼らには聞こえるような配置で しゃべること。
 (2)帰社しても直接的なニュースソースを明かさない。どこでこの人がこんな話をしてい
   たといったことは話さない。
 (3)2次会には原則参加しない。酔っ払うと何をしゃべったか思い出せない(笑)。
 (4)約束したこと,例えば公表された資料などの送付を忘れない。アルコールが入ってい
   るのでメモの用意をする。
 (5)会社が会員の会合,例えば研究組合の委員会などでは自分が担当することになる作業
   をむしろ積極的に引き受けるが会社にはバランス上仕方なしに引き受けたことにする。
   また人事や総務から頼まれる対外活動には多忙を理由に断ったりしない。

等々挙げればきりがありませんが,これらがきっかけになって社外の人たちとの長いお付き合いが始まった例が多かったと思います。  ISO活動では国内メーカーの間や国と国の間に利害が相反する場合があり苦労も多かったのですが,その両方に共通して事務局を巻き込んで落とし所を探るという作業が大いに役に立ったのは貴重な経験でした。要するに本音で話せる人の輪を拡げていくのに,日本人と外国人,自分が所属する機関の内外の区別はあまり意識しなくていいようです。国際光学会議(ICO) の会長(1981~84)としてふたつの中国問題をはじめさまざまな国際的な難題を処理したことで知られる辻内順平先生がある時,「共犯者をつくっておくことだね」とおっしゃったことがありました。言い得て妙というか,エスプリのきいた,いかにも辻内さんらしい表現です。

文献を正確に理解するには語学力が必要である

聞き手:お話は尽きませんが,最後に光学のプロを目指す若い研究者や技術者に「贈る言葉」があったらお聞かせ下さい。

鶴田:私が生きた時代は,ここでは触れなかった嫌なこと,困ったことも少なくありませんでしたが,全体としては私に対してとても親切だったと思います。公私とも「俺は賛成できないが止めろとまでは言わない」という懐の深さに助けられて来たと思います。しかし今は,生活の物質的レベルは格段に向上しましたが,生きづらく先の見えないしかも不寛容な傾向が社会のさまざまな場所で顕著になっている時代です。研究や技術開発の分野でも「短期的な成果主義」という妖怪が幅を利かせているように見えます。そんな中で,引退して20年にもなる老人が,会ったこともない若い人に助言や示唆ができる筈もありません。だから,「独りごと」をほんのひとつだけ。
 国際的な競争の中で,日本人の研究者や技術者にとって決定的に不利なのは語学力です。日本人の語学力は明治維新以来単調に低下し続けているという説がありますが,その通りかも知れません。森鴎外が軍医総監時代に帰宅してからゲーテのファウストの我国初の完訳を木下杢太郎に口述筆記させたという伝説があるそうです。
 仕事上必要な論文や特許明細書を読んだり,マイルストーン的な古典的文献から著者の思考の跡を辿ろうとする場合,内容を正確に理解するには,大きな辞書を丹念に調べるだけでは不十分で,時間をかけて文章と睨めっこすることが大切でしょう。参照文献もできるだけ実物に当たる必要があるでしょう。時には今読んでいる資料よりそちらの方がためになる場合もあるでしょう。「王将」で知られる,目に一丁字なかった関西の将棋名人坂田三吉が数学者岡潔に語ったといわれる言葉,「起きている間だけ考えていてはダメ。寝ても覚めても考える。すると,よい知恵がパッと出る」,「思案はタケノコみたいなもので,大部分は土の中に埋もれている」はこの場合にも当てはまると思います。要するに,勝れた文献や資料は自分を啓発するためにこそ価値があるということです。
 しかも困ったことに,精読したい資料は英語で書かれたものだけではありません。私が光学に足を踏み込んだ1950年代後半にすでに語り草になっていたのが,F. Abelèsが1950年に発表した,合計122ページに及ぶ「4端子網理論を応用した多層薄膜の研究」の2篇の論文でした*。これで光学薄膜の理論でやることはなくなったとして研究テーマを変えた人が何人も出たという話が伝わっています。しかし,まずフランス語の勉強から始めなければ話にならないという訳で,メーカーで反射防止膜を担当する技術者も含めた沢山の研究機関の人々が旧制高校時代の仏語テキストや仏和辞典を埃を払ってめくったり,神田のアテネフランセに通い出したりしたそうです。今だったら引用回数が格段に多いからAbelèsだって英文誌に投稿したろうと言ってフランス語不用論を唱えるのは短兵急というものでしょう。ドイツ語についても同様でしょう。1960年代から第2外国語にスペイン語,ロシア語,中国語などを選ぶ人が増えたようですが,光学に関してこれまで役に立った例は少ないでしょう。しかし,これからどうなるかは誰にも分からない。
 論文の前に付けてその全体を概括するシノプシス(概要)には,ふつうその目的と得られた結果が書いてあるだけで,結論に至る過程や推論には触れていません。しかし,こちらこそがその論文から学び取ることのできる最もためになる情報でしょう。それらを本文中から探し出し,あるパラグラフとその前後の文章とを睨めっこして著者の真意を読み取った(と感じた)上で日本語で表現するのが,私の『光の鉛筆』執筆の中で最も時間がかかった作業でした。その間私が精読した外国語論文の数の割合は大雑把にいって,英語5, ドイツ語2, フランス語1くらいでした。しかし,睨めっこに要した時間の方は各論文の平均で1:3:6位だったと思います。
 現在最先端の研究成果の大部分が英語で書かれているのは事実です。しかし,重要な論文が参照文献に挙げる論文まですべて英語で書かれている訳ではありません。まして,過去に出版された英文以外の教科書や専門書(モノグラフ)が今やすべて不要とは言えないでしょう。例えば名著の誉れが高く難解なP. M. Duffieux: L’integrale de Fourier et ses applications a l’optiqueは辻内先生の翻訳:フーリエ変換とその光学への応用(1977)があって初めて私達が読めるという幸運に恵まれましたが,これは極めて希有な例です。
 私は教養課程の第2外国語にドイツ語を選びましたが,旧制高校で3年間みっちりしごかれたのとは雲泥の差で,いきなり当時ドイツで発行されていたOptikの論文を読めるレベルではありませんでした。またフランス語にいたっては講義や実験が終わってからアテネフランセなどに通う時間もお金もありませんでした。これではいけないと感じたのは,前回述べた光学懇話会の文献抄録委員に推薦された時でした。OptikもRev. d’optiqueも読めなくては話にならないと考えて,大きな辞書と文法書を揃えて自習を始めた次第です。リンガフォンを買ったり日仏学院に通ったりしてどうやら,習うより慣れろのお蔭で,時間さえかければ,明晰な文章で書かれたパラグラフの真意をつかめたと感じられるようになれたというわけです。
 やりたいことが山ほどあつて,そんな投資対効果(ROI)がはっきりしないことはやりたくないという方は次の詩片**をどうぞ。

  「この言葉を習いおおせたら,
  これで地球の上で
  俺と話の通じる奴が
  また何億かふえる。」
  なにさ,習い出して
  まだ三日目の文法書。

 外国語の習得はこういう魔力―今の言葉では異文化理解の魅力―に嵌る可能性を秘めていると思います。しかし,これは長丁場で根気がいる,しかも終わることのない作業です。日常の仕事にこれが加われば,どこかで手を抜かねばならないでしょう。これをうまく避けるにはさまざまな工夫が必要でしょう。誤解され易くしかし実に真実をついた,「君,勉強ほど体に悪いものはないよ」という名言を吐いたのは,私が敬愛する小瀬輝次先生(東大名誉教授,1923~2001)でした。

*F. Abelès, Ann. de Phys. 5, pp. 596-

**平川祐弘:ルネサンスの詩, 内田老鶴圃(1961)
鶴田 匡夫

鶴田 匡夫(つるた・ただお)

1933年 群馬県北甘楽郡富岡町(現 富岡市)生れ 1956年 東京大学理学部物理学科卒 同年 日本光学工業 (現 ニコン)に入社 1967年 工学博士 1987年 取締役 1993年 常務取締役開発本部長 1997年 取締役副社長 2001年 退任
●専門分野
応用光学
●主な受賞歴
1964年 第5回応用物理学会光学論文賞
2004年 第4回応用物理学会業績賞(教育業績)
2019年 第3回光工学功績賞(高野榮一賞)
●著書
『光の鉛筆』11冊シリーズ
『応用光学Ⅰ』(1990) 『応用光学Ⅱ』(1990)

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