制約のないものはない。 制約を楽しむ気持ちを持ち,最適化を求め過ぎず,スピードを大切にして欲しい東京大学大学院 廣瀬 通孝
アナログからデジタルへ VRは平成とともに生まれ 今年30歳
聞き手:VRの技術に創成期から関わってこられて,VRの変化をどのように感じていますか?廣瀬:実は,VRは平成と同い年なのです。1989年1月平成が始まりましたが,VRは同じ年の6月7日,VPLという会社でジャロン・ラニアがVRという技術を売り始めたのが,最初なのです。ちなみに,そのとき発表したVR製品の名称は,アイ・フォン(Eye Phone)でした。もちろん,当時は学会など存在していませんでしたが,その後すぐにMIT(マサチューセッツ工科大学)のスタッフが中心となって国際会議を始めていきました。僕自身,幸せだったのは,その現場に居合わせた,数少ない日本人だったことでしょうか。日本でも自然に学会を作る形になっていきました。
ですから,VRは30歳です。平成という時代を振り返ると,入口はアナログで,出口はデジタルだったと言えます。僕らの講演も,最初はビデオテープとスライドでしたが,今ではパワーポイントで,ラップトップのPCの中に動画まで全部入っています。アナログから始まったのが,デジタル化して完全に完了するまで30年かかったということです。
第2世代に向けての変化は,2014年にフェイスブックがVR企業のオキュラスを買収したあたりから起こってきました。オキュラスという会社は安価な高性能HMDを作った会社です。HMDは90年半ば頃にいったん死滅しました。われわれもHMDは実用にならないし,解像度も十分でないから,プロジェクターで行こうと,博物館やデジタルミュージアムでは,全天周型のディスプレイを使うようになりました。プロジェクターだと解像度が高く,ハイビジョンやスーパーハイビジョンのクオリティが出てきたからです。みんながその方向に向かっていました。
しかし,2014~2015年くらいに,うちの学生が,「先生こういうおもしろいものがあります」と持ってきたものがありました。それがHMDだったのです。HMDはわれわれが昔,さんざん取り組んできたので,「学生はモノを知らないな」「何でこんなものをおもしろいと思うんだ」と,まわりの先生方の反応は冷淡でした。しかし,現実は学生のほうが正しく,新しいHMDが1つのブームになっていきました。昔のHMDを知らない人たちによって代替わりが起こったのかもしれません。僕らは,ヘッドマウンテッドディスプレイと言いますが,最近はヘッドマウントディスプレイと言っているようです(笑)。時代は繰り返すということです。
今では,HMDは数万円で手に入るようになりました。ソニーのプレステVRは2K相当の解像度があります。費用対効果からみると,格段に使いやすくなりました。予想すらしていなかったのが,スマホの流行です。今では100円ショップでVRレンズが売られています。スマホにはめると,HMDになります。スマホには加速度センサーなど各種センサーがついていますから,気がつけばポケットにHMDが入っているという時代になってきているのです。また,リコーが全天周型カメラTHETAを発売しましたが,360度の動画を簡単に撮れるようになっています。このように,様々な技術が,VRの周りにつながり始めてきています。
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廣瀬 通孝(ひろせ・みちたか)
1977年 東京大学工学部産業機械工学科卒業 1979年 同大学大学院修士課程修了 1982年 同大学大学院博士課程修了 同年 東京大学工学部産業機械工学科専任講師 1983年 同大学助教授 1999年 同大学大学院工学系研究科機械情報工学専攻教授 同年 同大学先端科学技術研究センター教授 2006年 同大学大学院情報理工学系研究科知能機械情報学専攻教授,現在に至る。●研究分野
システム工学,ヒューマンインターフェイス,バーチャルリアリティ
●主な活動・受賞歴等
日本バーチャルリアリティ学会特別顧問 東京テクノフォーラムゴールドメダル賞,電気通信普及財団賞などを授賞。主な著書は,『技術はどこまで人間に近づくか』(PHP研究所),『バーチャル・リアリティー』(産業図書),『バーチャルリアリティー』(オーム社),『電脳都市の誕生』(PHP研究所)など。