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国民を喜ばせ,国民に夢を与えたというのが一番の褒め言葉国立天文台 台長 林 正彦

実は小学校のころから天文学者になるのが夢だった

:私は岐阜県のすごく山の中の,1学年1クラスしかない小さな小学校・中学校の出身でした。すばる望遠鏡の所長としてハワイに住んでいた時に,その母校の中学校の校長先生から「日本に来る機会があったら,ちょっと講演をしてください」と言われました。「もちろん。すばる望遠鏡の話をします」と言って引き受けたのですが,ある時,講演依頼が送られてきて「進路講話」と書いてありました。進路講話なので,中学生が将来何をやるか,これからどういう道を進むかの話をしてくれというわけです。
 それで「私は天文学の話をすると言っていたので,進路の講話なんかできません。先生でもないし,生徒の将来のことなんか話せません」と言ったら「いや,すばるの話で結構ですから」と言われたのです。それで「そうですか。すばるの話ならできますから」と言って話を用意して,すばる望遠鏡で撮れたきれいな写真を中学校に持っていって全校生徒100人足らずを相手にお話をしました。
 話し終わったら,校長先生が「生徒が今日のお礼に歌います」と言って,みんなで歌を歌ってくれました。その後,生徒会長がお礼の言葉ということで出てきたのです。その生徒会長が私の前で紙を広げて,「僕の夢」と言うのです。「僕の夢か,なかなかいいことを話すな」と思いました。その後,「林正彦」と言ったのです。「ちょっと待て,林正彦は私の名前で,そこは生徒会長の,あなたの名前を言うべきだろう」と思わず言いそうになったのです。でも,その生徒会長は全く無視して「僕の夢,林正彦」と続けました。生徒会長はどんどん読んでいくわけです。しばらく聞いていて,「あれ?」と。どこかで聞き覚えのある内容なのです。途中で,これは私が小学校か中学校の時に書いた,将来の夢に関する作文だということが分かりました。後から校長先生から種明かしされたところによると,その生徒会長のお母さんは,私の同級生で,小学校5年の時に書いた文集を子どもに見せたのか知りませんが,私が子どものころにこういう夢を作文に書いていることを教えたらしく,その生徒会長はそれをそのまま持ってきて,私の名前で読み上げたのです。
びっくりしたことに,その作文の最後に「僕は天文学者になりたい」と書いてあったのです。そんなことを私は完璧に忘れていて,なぜそんなことを思ったのかさえも記憶にまったくなかったのです。
すばる望遠鏡は,ハワイ島マウナケア山頂にある有効口径8.2mの大型光学赤外線望遠鏡。すばる望遠鏡公式サイト↓http://subarutelescope.org/j_index.html

すばる望遠鏡は,ハワイ島マウナケア山頂にある有効口径8.2mの大型光学赤外線望遠鏡。
すばる望遠鏡公式サイト↓
http://subarutelescope.org/j_index.html

 私の父親は数学と理科の先生でした。岐阜県の田舎でしたから,周りには人工の明かりが全くないのです。夜,父親とたまに外に出るようなことがあると,「あれがオリオン座だ」「あれははくちょう座だ」と星座を教わりました。理科の先生なので,もうちょっと深いことまで教わるわけです。でも,何を教わったのかは,さっぱり覚えていません。親が買ってくれた『宇宙と天文の図鑑』が一番好きで,小学校の小さいころから見ていました。宇宙にある星も,実はものすごい速さで動いているのだとかたくさん書いてあり,今思えば,そのころからだんだん興味を持っていたのだと思います。どうも潜在意識の中では,小学校のころから天文学者になりたいと思っていたらしく,作文に書いたみたいです。
 校長先生がどんな意図で依頼したかと言えば,私は小学校の時に抱いた夢を,大きくなって実現した,それがまさに進路講話だったというわけです。その策略に全然知らずにひっかかってしまいました。 <次ページへ続く>
林 正彦(はやし・まさひこ)

林 正彦(はやし・まさひこ)

1959年:岐阜県生まれ
1986年:東京大学大学院理学系研究科博士課程終了,理学博士
1986年:日本学術振興会特別研究員
1987年:東京大学助手
1994年:国立天文台助教授
1998年:国立天文台教授
2010年:東京大学大学院理学系研究科教授
2012年:国立天文台台長
●研究分野
電波天文学,赤外線天文学

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