【重要】技術情報誌『O plus E』休刊のお知らせ

苦労して,問題に真面目に向き合って解決した人たちというのは強くなる東京工業大学栄誉教授 末松 安晴

私のプリンシプルは「この世の中にないものを創る」そして「原理を理解する」

聞き手:末松先生には, 1982年11月号のO plus E「私の発言」にご登場いただき,お話をお伺いしております。ますは,動的単一モードレーザーの実現までの経緯を簡単にお聞かせください。

末松:私は「本格的な光ファイバー通信を実現するにはどうすればよいか」ということを考えていました。実際に光通信の研究をはじめたのは1961年ごろからですが,初期のころは,いろいろなものがそろっていませんでした。そろっていないというよりは,光そのものが大変未熟な技術でしたが,可能性は非常に高いと考えていました。
 1970年ごろから光ファイバーも損失が下がり,半導体レーザーも室温連続で動くようになり,だんだん絞られてと言いますか,研究がやりやすくなりました。
 最初のころは,研究費が少なくて主に理論を中心にしていました。理論は少しの研究費でできますから。
 ただ私のプリンシプルに「この世の中にないものを創る」というものがあります。私はもともと理論が好きでしたが,ないものを創ることと,創ったものの「原理を理解」し,きちんと系統的に明らかにしておく,この2つが大学にいる研究者の使命だと考えていました。  1967年からの1年間,私は文部省の在外研究員としてアメリカのオハイオ州立大学に滞在しましたが,そこでもそう考えていて共感しました。
 大容量長距離の本格的な光ファイバー通信を実現するのが「この世にないものを創る」挑戦でした。光源としては,1967年に高速変調が可能なことを見いだしていた半導体レーザーの,安定な単一モード動作や波長の可変性,低損失波長帯の開拓などでした。こうした機能を併せ持つ,後に動的単一モードレーザーと呼ぶようになった半導体レーザーの創出が必要になりました。1972年に屈折率導波路による横モードの安定化を提案し,1974年に二つの分布反射鏡から成る単一モードレーザーを理論的に提示しました。次いで,1974年の後半にアルミニウムガリウムヒ素で集積レーザーを実現し,1975年に発表しました。これは世界で初めてでした。伝送路に関しては,低損失光ファイバー製造技術の開発が企業で鋭意行われるようになりました。
 その後,光ファイバーの最低損失波長帯が長波長帯にあることが示唆されて,長波長帯レーザーの研究に専念しました。最低損失波長帯が絞り込まれてゆく中で,波長 1.5ミクロンのレーザーが1978年ごろからできるようになり,極低損失光ファイバーの最低損失波長帯が1979年にそのあたりで確定しました。1979年には波長1.5ミクロン帯レーザの室温連続動作に成功しました。そして,1980年の暮れに,1.5ミクロン帯の光ファイバーの最低損失波長帯で,集積レーザーによって単一波長反射器を一体集積し,高速で変調しても安定に単一波長で動作する動的単一モードレーザーを実現しました。波長は温度で可変できます。それを発表したのが1981年でした。その年に連続発振もできるようになり,温度波長可変ながら,動的単一モードレーザーのモデルができたのです。
 この考えは早速国内の公的研究所において,片方に反射端面を持つ一様DFBレーザーの形で実用化されて,翌年には,高速伝送実験が行われるようになりました。そして,その動きが世界に広がりました。当時は,それ1個で自動車1台分ぐらいの値段でしたので,製造のイールドについてはあまり問題にされませんでした。ところが,だんだんコストが下がり,さらにレーザーのアレーを作るようになると,最初に提案した原理で開拓した位相シフトDFBレーザーが歩留まりがよくて広く使われるようになり,今ではこれが長距離通信用の標準のレーザーになっています。
 集積レーザーに固執していたのは,光集積回路の開拓の魅力もありましたが,他の光回路を一体集積化をして,そこに電気的に波長を変えるエレメントを導入するためでした。こうして創られた波長可変レーザーは,最近になって,省電力化の観点から広く用いられるようになりました。
 私がレーザーを研究していたのは,先に述べたように,本格的な光ファイバー通信システムを実現するための中核技術としてでした。そうしているうちに,光ファイバー製造技術や光源の商用化や変調方式が進歩し,分波回路や合波回路等の光回路が開拓され,直接変調から外部変調,ドライバ用の電子回などが発展し,大容量長距離光ファイバー通信の商用化が達成されました。その後,光増幅器や集積化が進み,ずっと進歩しているわけです。そのような発展の中で,先生方や各種の分野の研究仲間たち,学生たちに助けてもらいながらやらせていただいたという感じです。
 光通信の展開に歩調を合わせたように,インターネットの基本になったTPC・IPプロトコルが1973年ごろに発表された。動的単一モードレーザーの着想が1972年ですから, スタート時点は同じころです。そうして1.5ミクロン帯の大容量長距離光ファイバー通信が1980年代の後半ごろから商用化されました。その後10年ほどして,初期のころに比べたら一本の光ファイバーの伝送容量は4桁以上も大きくなり,伝送のコストが逆比例で低下しました。そうした環境の下で,ネット企業であるGoogleや楽天,Amazonが出現しています。 <次ページへ続く>
末松 安晴(すえまつ・やすはる)

末松 安晴(すえまつ・やすはる)

1932年 岐阜県生まれ 1951年 岐阜県立中津高校卒業 1955年 東京工業大学理工学部電気工学コ?ス卒業 1960年 東京工業大学大学院理工学研究科修了(工学博士) 1960年 東京工業大学理工学部電気工学科助手 1961年 東京工業大学理工学部電気工学科助教授 1967年-1968年 オハイオ州立大学 文部省在外研究員 1973年 東京工業大学工学部電子物理工学科教授 1989年 東京工業大学学長に就任 1997年-2001年 高知工科大学学長に就任 2001年-2005年 国立情報学研究所所長に就任 2010年 高柳健次郎財団理事長 2011年 東京工業大学栄誉教授
●研究分野
光通信技術,レーザーデバイス
●主な受賞歴等
1983年 ワルデマー・ポールセン金メダル 1983年 コミュニケーション功労者内閣総理大臣表彰 1986年 デビット・サーノフ賞 1989年 東レ科学技術賞 1994年 ジョン・チンダル賞 1994年 C&C賞 C&C財団 1994年 放送文化賞(日本放送協会) 1996年 紫綬褒章 1997年 エドワード・ライン賞 2003年 IEEEメダル(ジェームス・マリガンJr. エヂュケーション) 2003年 文化功労者 2006年 瑞宝重光章 2014年 日本国際賞

私の発言 新着もっと見る

色覚の研究,私の場合。
色覚の研究,私の場合。...(9/26) 立命館大学,チュラロンコーン大学 池田 光男
テクノロジーで古い業界の生産性を上げ,さらにその先へ
テクノロジーで古い業界の生産性を上げ,さらにその先へ...(8/7) 株式会社スマテン 代表取締役社長 都築 啓一

本誌にて好評連載中

私の発言もっと見る

一枚の写真もっと見る