【重要】技術情報誌『O plus E』休刊のお知らせ

CD-R事業での最大の山場は,“CDと完全互換”という開発の方向付けと市場の創出でした。名古屋工業大学 浜田 恵美子

名古屋工業大学へ

聞き手:先生が名古屋工業大学に移られたのはどのような理由からですか?

浜田:2003年に記録メディア事業の担当から離れることになり,新しいことをやるというのも一つ選択肢でした。これまでやってきた「事業化」という仕事を一度見つめ直そうと思い模索した結果,学校へ行くことにしたのです。英国国立ウェールズ大学のMBAに2005年から2年間行ったのですが,これが直接的なきっかけかもしれません。
 それで,2008年に,CD-Rに関する私の特許が切れるので,「もう特許がらみの裁判もそうないだろうし,私が会社を辞めても迷惑がかからないかな」と思い,当時上司だった副社長に相談しました。すると,「いいよ,戻りたくなれば戻ればいいし,やってみたらいいのじゃないか」と言ってくださったので,皆さんに送っていただいて名古屋工業大学に移ったということです。

聞き手:先生は現在,産学官連携ということでお仕事をなさっていらっしゃいますが,先生の考える産学官連携というのはどのようなものですか。

浜田:はい。日本の企業には,優秀な研究者がたくさんいて,ものすごく悩みながら研究していますが,なかなかいいアウトプットが出せないでいます。それは企業の中にたくさんの問題があるのだと思うのです。一方大学でも,いろいろな研究をしており,企業と大学で研究している場所は違うのだけれども,研究者として見ればまったく同じで,すごくいいものをやっています。ですから,それらがもうちょっと良いコラボレートをして,さらに,マネジメントといいますか,経営判断のような部分がうまく回れば,絶対に面白い研究ができるのにと,すごく思うわけです。そのようなことで,私のこれまでの経験がお役に立てばと思ってやっています。

聞き手:確かに,異なる組織の人間が共同で何かをする場合,マネジメントは非常に重要ですね。日本はこの辺の技術が弱い気がします。
本日は,非常に興味深いお話をありがとうございました。(おわり)

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