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CD-R事業での最大の山場は,“CDと完全互換”という開発の方向付けと市場の創出でした。名古屋工業大学 浜田 恵美子

開発と事業化

聞き手:ところで,CD-Rを開発・事業化する上で,かなりの苦労があったと思いますが,そのあたりはいかがでしたか。

浜田:はい。実は,CD-Rというのは私たちが名前をつけたのですが,開発においての一つの山は,「CDと完全な互換性を持たせる」という方向付けでした。この方向性は非常に重要でした。
そして二つめの山は,実際に製品化し市場を新たに作っていかなければいけないことでした。大きく言えば,苦労というのはこの二つだったと思います。
 私がかかわったのは,主に技術開発のほうですけれども,実際に製品にするにはプロセスも生産ラインに向くように作らなければいけません。試作品1点作るのと量産品の製品を作るのは全然意味合いが違いますので,その辺の技術確立も半ば手探りのような感じで進めて行きました。この開発の初期に取った特許は2008年に期限が切れましたが,20年間無事にもったというだけでも,ちゃんとしたいい特許を出したという自負はあります。
 そのような技術的な問題を何とか解決し,1989年にソニーと合弁で「スタート・ラボ」という会社を作ってCD-Rの販売を開始しましたが,最初は市販のレコーダーもなければ世の中の誰も認知していないわけです。ですからCD-Rが普及するまでには,それにかかわった人たち全員が大変な思いをしているのです。

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