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第21回 ベントン先生のこと

はじめまして


 1979年秋,その日はひどい時差ボケ状態でダラダラ過ごしていた。1ヶ月のブラジル滞在の後,ニューヨーク経由で前日に帰国したばかりだったからだ。電話が鳴った。受話器をとると岩田藤郎氏(当時凸版印刷総合研究所)からで,「今ベントン氏が東京に来ていて今日これから上野の芸大で彼を囲んで歓迎会があるようだ。もし興味があるなら出かけてはどうか?」との連絡で,いっぺんに目が覚めた。え? あのベントンに会える? 即「ぜひ同行させてください。」と返事して,身だしなみを整える暇もなく,とるものもとりあえず大急ぎで上野に向かった。当時,辻内研究室と凸版は共同研究を進めていて,研究生であった私も凸版の研究所に出入りさせていただいていたこともあって,この貴重な情報を知ることができたのである。
 ホログラフィーを初めて学ぶ者は,まず重要な5人の名前を知ることになる。デニス・ガボール(ハンガリー,ホログラフィーの発明),エミット・リースとユリ・ウパトニクス(アメリカ,レーザー光による鮮明なホログラムの記録と再生に成功),ユリ・デニシューク(旧ソ連時代,ワンステップの反射型ホログラムの発明),そしてスティーブ・ベントン(アメリカ,レインボウホログラム・白色再生透過型ホログラムの発明)。特にベントンのことはよく耳にしていたので,新参者の私にも早々に直接本人に会える機会が巡ってきたと大感激であった。アートへの応用を志していた私にとって,ベントン型ホログラムは特別なものだった。彼が開発し制作したホログラムの技術とイメージはどれもアートマインドに溢れた素晴らしいものだった。彼の初期の作品(図1,図2,図3,図4)はどれも世に広く知られている。Crystal beginning(図2)を初めて見たときもそうであったが,Rind(図3)を見たとき,まるでエッシャーの世界の実空間への具現化のようで,ホログラフィーならではの面白さが十分に伝わるイメージにただ驚き感心させられた。機関車(4×5in)(図1)は後に多く再制作されギフトとして用いられていたようで,私の大事なコレクションの1つにもなっている。Aphrodite(図4)はアクロマチックホログラムで,透過型ホログラムであるがレインボウには色変化せず,イメージは白色に再生される。オリジナルの被写体に大理石像を選んだのもなかなかにくいアイディアだと感心させられた。
 ところで,サイエンス分野のベントン博士の歓迎会がなぜ芸大だったのか少し不思議な気もしたが,それはさておきこじんまりしたパーティーは知らぬ人ばかりであったが,ワイワイおしゃべりが進み,フレンドリーで楽しい会であった。彼の人柄がそうさせたのかもしれない。ベントン先生と記念撮影(図5)。しゃんとした写真が見つからず…(笑)。会場でベントン氏の傍らで特に親しげに話していた人が堀内道夫氏(当時 大日本印刷(株)中央研究所,現在光と風の研究所主催)だった。後に聞いた話だが,ベントン氏が日本に来たのは三菱のロゴマークの大型ホログラム制作プロジェクトのためで,堀内氏の仲立ちで実現したのだそうだ。彼はニューヨーク駐在から帰国したばかりであったが,滞在中にホログラフィー研究への関心もあって,ベントン氏とは親しく交流があったそうだ。これ以後ベントン氏はたびたび日本を訪れるが,その都度彼をダシにプライベートの歓迎会がひらかれ,私も参加するようになった。ファミリーと一緒の訪日は数えるほどもなく,ほとんどは単身のビジネストリップだったようだ。ある時パーティー当日がちょうど彼の誕生日だった時があった。家族から離れての1人さびしい誕生日では気の毒だと,大きな自動車型のバースデイケーキ(お子様用の面白いケーキを見つけてきて)を準備した(図6)。またある時は,デニシューク氏とベントン氏が偶然にも同時期に訪日した時があった。ホログラフィーの両巨頭がそろった内輪の歓迎会のスナップである(図7(a)(b)。
 1980年代は日本が経済的に非常に元気で活発な時代で,多くの企業が海外に進出したり投資をしていた。ベントン氏はポラロイドの研究所からMITメディアラボに移行する時期で,日本への旅は寄付講座や共同研究の資金調達のためもあったのかもしれない。 <次ページへ続く>

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