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第11回 キルギスにて

風のいたずら


 講演会が始まる前,数の少なくなったホログラムのオブジェを,予定していた小さな人工池に設置作業していた時のことだ(図6)。天気は快晴,グレーティングは鮮やかな虹色に分光していた。突然,ネイティブな英語で「これはホログラムですね」と話しかけてきた若者がいた。私は予期せぬ観客に驚き,少しうれしくなった。聞くと,アメリカから宣教師として,キルギスにファミリーでやってきて,ちょうど今休暇でイシク・クル湖に来たのだという。私は,このインスタレーションは,本来はもっと数が多い予定だったが,昨夜2個が湖に流され失くしてしまったことを話した。
 講演会が始まっても,昨日の件で気分がおさまらない私は,関係した人物たちにまったく無視する行動をとっていた。ところが,最初のコーヒーブレイクの時,問題の彼らが近づいてきて,昨日は申し訳なかったと詫びを入れてきた。言いわけは,酒に少々酔っていたので失礼したというのだ。いずれにしてもホログラムはあの広い湖のどこかに流されてしまったことに変わりはないが,一応一件落着とすることした。
 ところが,このオブジェについてはまだ続きのストーリーがあった。
 この日の午後はエクスカーションで,湖を船で観光することになった。昼過ぎ,集合場所の船着き場に向かう途中,私は砂浜に広げられたあるパラソルの下に,太陽光で色鮮やかに輝くオブジェが置かれているのを発見した。急いで近づき,パラソルの中で休んでいた見知らぬ女性に声をかけた。その人は,今朝,作品を設置している時に話しかけてきた宣教師のファミリーで,ボートで湖に出たらこのオブジェを発見し,回収してここに保管していたのだという。こんなこともあるものだと驚いた。
 そして,観光船でツアーが始まった(図7)。20 mを越えるという深い透明度の水の美しさを私は堪能していた。陸から離れしばらくして,湖底が見えなくなるころ,初めて視線をあげて湖の周囲の風景に目をやった。すると,鮮やかな色彩の光が突然目に飛び込んできた。湖畔に打ち上げられたオブジェが,太陽の下で輝いているではないか! つまり,流されたはずの2個のオブジェは両方とも,その翌日,無事に私の手元に戻ってきたのだった。こんな結末になろうとは誰が想像できたであろう? 夜間は対岸に向かって吹く風に流されたオブジェが,翌朝は此方の湖畔に向かう風に押し戻され帰ってきたのである。イシク・クル湖の風に翻弄された,忘れがたい出来事であった。
 キルギスでは,人々も自然も実にインパクトのある体験であった。そして,またいつか訪れたいと思った。
 帰路もモスクワ経由。成田到着予定は早朝であったが,運悪く空港は台風に見舞われていた。幸い無事に着陸したものの,電車のアクセスが不通で,数時間エアポートで足止めされた。やっと家にたどり着いたときには,すでに夕刻になっていた。その夜,ホッと一息して久しぶりのテレビをぼんやりと眺めていた時,突然,あのNYの貿易センタービルの衝撃映像に切り替わった。2001年9月11日,キルギスから戻った日は忘れられない日となった。その後,イスラム文化圏への旅は足が遠のき,再びこの国を訪れるのは,それから10年以上も経た後となった。

図6 インスタレーションの設置を手伝ってくれた女性研究者たち


図7 イシク・クル湖の船上にて

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