【重要】技術情報誌『O plus E』休刊のお知らせ

光学は中核になる人間の技術力をどう上げるかが鍵株式会社ユーカリ光学研究所 代表取締役 油 大作

立ち上げたおかげで本当の「下請けの世界」が分かってきた

聞き手:どうして東京光学をやめて,ユーカリ光学を立ち上げられたのでしょうか。

:立ち上げのきっかけについて非常によく聞かれます。東京光学がこのまま立ち行かなくなるぞという状況で,東芝が建て直しをやったときに徹底的に組織変更があって,完全に東京光学は東芝の系列に入ったのです。すると,上から全部天下りで役員が来ますから,私が入ったときには,社長は洗濯機の技術屋で家電事業部長をしていた方でした。東京光学は精密機械をやっていたので,家電と精密機械とはまるきり文化が違うのですよ。開発ではなくて,家電の電気洗濯機を量産するということで,発想の原点がそもそも違うわけです。ですから,試作の検討会といったときに,使う材料からして違うので,「これはもう大変だ」となるのですが,頭を切り替えられないのです。
 私はわりに,研究組合での講習会とか,セミナーとか,学会の発表とかに出ていまして,外との接点がいろいろあったのですね。そうすると,社長にいろいろと情報が入ってきていたようで,「油君,君は外へ行って,うちの会社の技術を喋っているそうだね。」と言われたのが,私があそこを飛び出す決定打でした。「いやあ,これはやっぱり発想が違う。何とかして,ここから逃げなければいけない」と思いました。ですから,周りからは「言うことを聞いてじっとしていればいい」とか「もう少し我慢すれば,ポストも空くだろう」とか言われました。けれども,私は板橋区の地場産業の活性化に少しは役に立つことをやりたいという思いが非常に強かったので,パッと辞めてしまったのですね。案外スッキリとしました。そのときは退職金を全部会社の資本金に充てましたね。それが43歳のときでした。
 大手の企業の中にいると,単なる一介の技術屋が外部の下請けと直接接触することは非常に少ないです。ほとんど資材とか購買とかいう人たちが見つけてきて,図面さえ出せばその物ができてくる時代だったのです。自分でやり出すようになると,直接下請けさんと話をして,そこに頼んで試作を作ってもらわなければいけません。そうすると,本当の「下請けの世界」が分かってくるのですね。こうして,中小企業との接触が多かったことが,ほかの方と若干違う,私の人生後半の大きな「キャリア」になっています。

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油 大

油 大作(あぶら・だいさく)

1936年 石川県出身
1959年 金沢大学理学部物理学科卒業
1959年 (株)三協精機製作所入社
1964年 (株)保谷硝子入社
1967年 東京光学機械(株)入社
1980年 (株)ユーカリ光学研究所を設立

●(株)ユーカリ光学研究所について
(株)ユーカリ光学研究所は1980年創業。光学機器の試作開発会社として,35年の長きにわたり,カメラ,望遠鏡,顕微鏡,赤外線,紫外線,可視光線と,用途や大きさの大小にかかわらず,さまざまな試作・開発に携わった経験をいかし,専業メーカにはない独自のノウハウを保有している。本質は光学専門のコンサルティングとしているが,商品開発から設計,試作まで自社一貫作業が可能であり,凸レンズ1枚から衛星搭載用光学装置まで対応可能な「受託開発」をはじめ,「試作サービス」「測定サービス」「設計サービス」のほか光学技術,開発コンサルティングや光学技術者受託教育も可能な「出張セミナー」など多彩なサービスを提供している。
webサイト http://yucaly.com/

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