セミナーレポート

― 「感性・技能を測る画像センシング」その解題と展望 ―中京大学大学院 輿水 大和

本記事は、画像センシング展2011にて開催された特別招待講演を記事化したものになります。

4. 展望と心構え ― 学問としての画像センシング ―

 このように,画像センシング技術の性質,真性が見えたのではないであろうか。物質科学技術の粋を徹底的に追求する努力の方法は知っているものとして,それなら,「感覚・感性にしても技能にしてもそれらをいかに計測するか?」「このような非物質的出来事を物質計測の手段を借りて計測できるか?」「これに代わる方法論としての新機軸が要るのではないか?」この議題が本章のテーマである。

4.1 ココロ計測の方法のこと(議題)

 近代物質科学の発展を支えた物質計測の方法は,物質の性質とそれらの間の関係の綿密な記録を徹底的に残すことに極まる。そうだとするなら,ココロ計測の方法においては,ココロの現象の性質とそれらの間の関係を綿密に記録しこの記録をひたすら積み重ね上げることが正攻法である。これは,ココロ計測の『第一種接近法』と呼びうる。S.フロイトが『夢判断』の研究に費やした方法論は,言葉と対話による意識の計測,それらの綿密な照合の記録集とでも言い得て,この第一種接近法へ多くを示唆しているようである。
 一方,H.ベルクソン(『意識の直接的与件論』)は,憤怒の感情や意識は全身の筋肉の硬直を伴うというような身体・脳組織という物質の現象と意識などのココロの現象との間の関係について,極めて根源的な考察と精査を行っている。身体という物質の出来事と心中の出来事は,互いに還元し得ない二元的関係を認めつつも,ベルクソンがそのような不可分な深い関係があることを忘れないでおきたい。このことは,ココロ計測の方法論を展望する上で,『第二種接近法』とでも言うべき科学の方法論の可能性を哲学的地平から督励するものであるからである。
図9 検査ロボットとワーク/部品画像(部分)/共起度数画像(CFI)。(a)ロボットアーム,照明,カメラと検査部品。(b)取得画像例。(c)レアな領域(欠陥は低発生頻度の領域)

図9 検査ロボットとワーク/部品画像(部分)/共起度数画像(CFI)。(a)ロボットアーム,照明,カメラと検査部品。(b)取得画像例。(c)レアな領域(欠陥は低発生頻度の領域)

 このような次第で,この半千年紀を経て熟成されてきた物質科学を成立させしめてきた物質的計測法をココロ計測に適用することをいたずらに退け排除する理由はない。それどころか,徹底的にそれらの適用可能性を極めるというベルクソンの姿勢は重大である。ココロ現象(心理尺度,努力尺度,注意尺度)と身体的物質諸現象の諸指標との間のおびただしい照合関係に注目し,それらの精度と品質を向上させるための精緻な計画を立て直すことには,大きな期待が持てそうである。
 この視点から二つだけ,第二種接近法の事例を示す。

(1) 視覚心理学の成果,錯視の利用

 似顔絵生成システムにおいて,いずこを特徴だと思って関心を寄せているか,またどれ程に関心を寄せているか,これが計測できなくては,似顔絵における省略や誇張は成立しない。そこで,似顔絵PICASSOシステム開発において,広く知られているヒトの視覚特性は大いに利用できそうである。
  • アイカメラの分析の精度を上げて,注視,注意の大きさ,関心の量を測る,デフォルメの量を決める試みは筋がよさそうである。
  • これとは逆に,心理学における錯視(visual illusion)という視覚に生じるココロ(非物理的)の現象は顔印象に深く関係しているであろう。ポンゾ図形は顔輪郭と部品配置に効くミューラーリヤー錯視は目尻の小じわと切れ長の目に効く。この着想は,一種の視覚的印象の計測に相当していて,間接的ながら,ココロ計測科学の第二種接近法であると位置づけることができる。

(2) H.ベルクソンの発明,造語『筋肉努力』

   集中,注意の意識の大きさを物質的に身体的に計測する,その計測問題への手掛かりを考察している。H.ベルクソンの『時間と自由』(p. 34)に興味深い心身観察の話題がある。キーワードは,「筋肉努力(muscleeffort)」である。
 H.ベルクソンが,ココロ・精神は脳という物質に局在するものでないとし,ココロと身体との非常に綿密にこれらの間の関係を省察しており,その印象深い省察の一例がこれである。筋肉緊張が体表面積に次第に広がり,これに対する交感神経系的な知覚量が次第に増える。このダイナミズムを,努力,集中,注意という意識の大きさであるとのベルクソンの指摘が,ココロ・感性・意識のための第二種計測を構築するには哲学的に根拠があるのであり,単なる思いつきでもなければ,苦し紛れな計測法ではないと明言していることを看過してはいけない。そもそも,人という生命体自体が,物質系と意識神経系からなる二重のシステムが破綻なく運用されているからである。記憶,形なきもの,空間を占めないものや出来事の程度や大きさを計測するに至る筋道を明らかにする上で最初に注目できそうなのは,ベルクソンの「筋肉努力」の示唆するものであり,注意の大きさの計測,努力の量の計測,意識の量の測定=身体表面の筋肉緊張の面積を測るという物理計測との照合を極める方法を極めることには魅力があふれている。
 この『筋肉努力』に関して,一つ非常に面白いエピソードがある。室伏広治選手に「意識の直接的与件論」を差し上げる機会があった。その折に筋肉努力の話を紹介したところ,「それは面白い」と興味を引かれたようで,彼は意外なことを言い出し,また驚くべきパフォーマンスも見せてくれた。私の嘗を握手のようにして強く握りつぶしながら,「肩から上腕,二の腕に触ってみてください」と言う。その言葉に従い上腕に触れると,驚いたことにそれらの筋肉の緊張はなく,まるで柔らかいゴムひものようであった。なるほど,ハンマーの取手を掴む筋肉緊張は必須であるが,ハンマーを遠くに届かせるために邪魔な筋肉緊張をそぎ落とした,集中意識と技と身体の裁き方という意味において,超一流アスリートの心技体の極め方はこういうものかと思った。

4.2 古典学問からのメッセージのこと

 現代科学思想が発露した時代のさらに前の時代へも視線を向けて,本課題に取り組む姿勢や学問の方法を見出すことに躊躇する理由はない。そうすることで,近代では民俗学という人の情報科学の源泉に触れようとした柳田國男6)の学問の方法論に出会うことができる。さらに遡って,古学へ生涯をかけた本居宣長が学問した「古事記伝」を上梓した直後に著した,学問指南書とでもいうべき「うひ山ぶみ」7)にみる学問法・研究法を瞥見してみると,本総論の課題,ひいては情報科学という学問は何であるかということを教えられることはとても多い。拾い始めたら際限のないことないことなので,思いとどめたことをそのまま未整理のままで記して,この章の課題にこれから長い時間を怠りなく取り組む上の重い教訓,毎日の警句,深い指南として聴きたい。

(1)うまずたゆまず

 『詮ずるところ学問は,ただ年月長く倦(たゆま)ずおこたらずして,はげみつとむるぞ肝要にて,学びようは,いかやうにてもよかるべく,さのみかかはるまじきこと也。いかほど学びかたよくても,怠りてつとめざれば,功なし。』(文献4)のp.15 :以下同様)

――「学問せよ,何かを学び続けてまたそれを深く問い続けよ」という。宣長は『古事記伝』を35年もの年月を掛けて仕上げ,この間それへの関心と情熱を倦まず弛まず持ち続けた。『紫文要領』に至っては,30歳頃から講義し始めたというので,やはり40年余り倦まず弛まない学問をしつづけたのである。情報科学という学問は生まれて一体何年たったか。デジタルコンピューターを基礎とするデジタル情報科学は,一体何歳になったのか。せいぜい50年に過ぎないではないか。広漠たる世界を見渡すのに息長く時代をつなぎ続ける広い視野と堅固な覚悟が要る。

(2)不才なる人も,…晩学の人も,…暇のなき人も

 『才不才は,生まれつきたることなれば,力に及びがたし,されど大抵は,不才なる人といへども,おこたらずつとめだにすれば,それだけの功は有物也。晩学の人も,つとめはげめば,思ひの外功をなすことあり。又暇なき人も,思ひの外,いとま多き人よりも,功をなすもの也。』(p.15)

――これはそのまま,この学者の言を真正面から励みにするかしないかは,一人ひとりの分別と決断に委ねられるべきことであろう。

(3)博識なるをよしとぜず

 『博識とかいひて,ずいぶんひろく見るもよろしきことなれども,さては緊要の書を見ることの,おのづからおろそかになる物なれば,あながちに廣きをよきこととのみもすべからく』(p.40)

――江戸中期の古学に取り組むそんな時代にして,つまりせいぜい漢学,儒学などの外国文化に影響を受けるほどの中で,きょろきょろするな,博識たらんとするを目的にするべからず,と宣長は戒めている。情報科学という科学の舞台自体にして現代人の私たちには,既に気の遠くなるような多様な小分野に小分けされてしまっていて,多くを俯瞰しようと,また博識たらんときょろきょろしている。宣長は,きょろきょろするのも毒ではないけれど,それよりも,わが目によく見え,深く含味できる「緊要の書」にこそ全身全霊を傾けよと言っている。私にとってそれは何かを徹底的に探求してそこに深く入ることを督励している。

 それでこの話題で思い出したが,ベルクソンという人物像を伺わせる面白い逸話があるそうだ。「ちょっとはにかみながら,『クローチェ君,実は私はヘーゲルという人の書物を読んだことがないんだよ。』と吐露したそうであるが,哲学者でヘーゲルを読まないなどとは全く奇跡的なことと言わざるをえないが,しかし逆説的に,ベルクソンは,脳という物質の振る舞いと精神の振る舞いとの関係に,そしてそれのみに彼の思索を沈殿させていたのであろうその姿とその佇まいが目に浮かぶようだ。(筆者要約1),DVD 第4巻小林秀雄)

(4)言の用ひたる意をしらでは,

 『古人の用ひたる所をよく考へて,云々(シカシカ)の言は,云々の意に用ひたりといふことを,よく明らめ知るを要とすべし。言の用ひたる意を知らでは,其所の文意聞えがたく,又みづから物を書くにも,言の用ひやうたがうこと也。』(p.41)

(5)真を信ずることと騙されないこと(間違えないこと)は異質なことだ

 本居宣長と上田秋成の論争は有名らしい。古学の世界に自然体で信じて接してこれを深く学ぶ宣長を,秋成が論理的でないとか,見識がないとか論争を挑んだというものらしいが,宣長は,上田秋成の小賢しさ(なまさかしら,小智をふるふ漢意の癖,なまさかしら心)振りに対して,贋物に欺かれないことと真物を信ずることとは別事であると語気を強めた。藤原定家の書の真贋のたとえ話をしたのはこのときである。そして,秋成はつまるところ古学(学問)へのこだわりは実は全くどうでもよかった,のだと断じている。(筆者要約5)本居宣長,小林秀雄)

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中京大学大学院 輿水 大和

1975年,名古屋大学大学院博士課程修了(工学博士)。同年,名古屋大学工学部助手に就任し,名古屋市工業研究所に所属。1986年,中京大学教養部教授に就任。1990年,同大学情報科学部教授。1994年,同大学院教授。2004年,情報科学部長。2006年より情報理工学部長, 2010年より大学院情報科学研究科長に就任。画像センシングや画像処理,顔学,デジタル化理論OKQT,ハフ変換などとそれらの産業応用の研究に従事。IEE,IEICE,SICE,JSPE,JFACE,JSAI/QCAV,FCV,MVA,SSII,ViEW,DIAなどで学会活動中。JFACE副会長,SSII会長,IAIP委員長など。仲間とともに,SSII2010優秀学術賞,小田原賞(IAIP/JSPE,2002,2005),IEE優秀論文発表賞(2004,2009,2010,2011など),技術奨励賞・新進賞(SICE2006,NDI2010)などを受賞。

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