セミナーレポート

― 「感性・技能を測る画像センシング」その解題と展望 ―中京大学大学院 輿水 大和

本記事は、画像センシング展2011にて開催された特別招待講演を記事化したものになります。

2. 感性センシングの解題 ― その課題の性質 ―

2.1 画像センシングの科学技術哲学への姿勢のこと

 本特集のキーワード,画像センシング(Sensing viaImage Information)システムのど真ん中にカメラという光学電子装置が座している。カメラは,人の出来事や実世界の出来事を光学的諸現象や電子物理的現象,つまり物質的諸性質として計測して記録する。このカメラで直接的に達成できることは物質現象の物質的記録以上のものではない。例えば,ハイビジョンは空間解像度という物理的な記録性能を画期的に伸ばし,高速度カメラは時間解像度という物理的記録性能を驚異的なものとし,サーモカメラは人の目の性能を越えた波長領域の出来事を記録できるようにした。
 このような次第で,画像センシングが担う課題の本質はその先にあると考えられる。高品質の画像をいかにうまく計測するかにとどまらず,この高品質画像を手掛かりにして,そもそもの画像撮影の動機や意図に迫らなくてはならないので,撮像意図である『何か(Something)』を計測することにかかわる科学技術の総体の中にあると見なければならない。つまり,画像センシングは,『Sensing Image Information』に自らを限定しないで,『Sensing Something via Image Information』に到る道筋をつける科学技術である。
 さて本誌特集号のテーマは,この『何か』を測るその対象として『感性と技能』を測るに焦点を当てている。それらは「おいしさ」という感覚,音と映像の共感覚,技能伝承,映像制作のリテラシー支援,野球や水泳選手の画像支援などに注目している。そして自然と明らかなように,感覚・感性と技能は専ら人の非物質的出来事の範疇に属するので,物質的現象の計測成果である画像自体からそれらを計測できるという原理的保証がない。さもなければ,非物質的現象は物質現象を還元的に扱えるというドグマに陥る。それにもかかわらず,画像センシングが自らに課したことは,その手掛かりとしての画像を取得しているだけであるのに,このような感覚や感性,技能を測り計測し測定しようというわけである。
 よって,まずは次の姿勢が重要である。無理やりにどちらか片方のドグマに逃げ込まないこと,しばらくは,そうおそらくは100年単位のスパンで画像センシングはダブルスタンダード(物質科学のもの,非物質科学のもの,そしてそれらの関係を綿密に調べることが必須)な科学技術であること,この二つを引き受ける必要がある。あたかも,ヒトの間断のない生命の営みが二大構成要素である,身体・肉体の物質的できごとと感性や意識というココロと精神のできごとを不離不可分に運用しているのであるから,まさにそれと同様にこの課題は扱われなくてはならないのである。
 H.ベルクソンは,『本書は精神の実在と物質の実在を肯定し,ひとつの明確な例,記憶という例にもとづいて一方から他方への連関を定めよう』(第7 版への序文/物質と記憶―脳・身体と精神の関係に関する試論―)という道筋に誘っている。私たちはこれについていこう。

2.2 物質科学とココロ科学の区別と関係のこと

 画像センシング技術や画像応用技術の根底は,どこまでが『物質計測,物性計測』で,どのあたりから『ココロ計測,感性計測』であるか。二つの事例を比較対照すれば,結論はほぼ自明である。同時に,H.ベルクソンの採用したダブルスタンダードな方針からしても明白である。つまり,「双方に双方が還元的に説明できるはずである」という性急な結論は下さない,これらの間の違いを受容するところからはじめなければならない。少し言い換えると,画像センシングという科学技術を,物質科学技術だけに自らを閉じ込める技術哲学から脱却して,ココロ科学技術にも正面から向かいあうこと,また物質科学と非物質科学の関係を丁寧に省察することが要請される。

(1)事例1 『距離画像のステレオ計測は,物質の性質の計測である』

 距離画像は,カメラからの空間上の点までの距離D,という物性を記録した画像である。これは,距離Dのステレオ計測は,空間内の点はどこから見ても照合できる(という物質空間の性質)こと,2台のカメラを空間内に配置したら厳密にその間隔は設定できる(基線長L)こと,二枚の画像の視差(disparity)ないし視線が作る仰角(q1,q2)は物理的に計測できることを基礎に成り立っている。3D画像センシングは,このような純粋な物理・物質的性質の計測の科学技術である。
H.ベルクソンは,人の身体という特別な物質系に対しても決して予断を持って臨んでいない。『脳のほうが物質的世界の一部を成しているのであって,物質的世界が脳の一部を成しているのではない』(物質と記憶,第1 章p. 11)という,極めて明晰かつ強い姿勢でこれを扱った。

(2)事例2 『似顔絵ロボットの画像センシングは,デジタル画像だけの計測ではない』

   一方,図1に,似顔絵ロボットと計測した画像と画像を画像処理技術で観察した結果得られた似顔絵を示す。来場者の顔情報としては,そこで撮られたデジタル画像だけである。この物質計測だけを基礎にして図のようなデフォルメした似顔絵を描くロボットCOOPERは,どのような科学技術を基礎に実装したものか,瞥見(べっけん),考察する。
図1 似顔絵ロボットCOOPER(万博2005) の画像計測と作品

図1 似顔絵ロボットCOOPER(万博2005) の画像計測と作品

 精密な3D距離計測も精細なデジタル画像計測も邪魔ではないが,その画像を観察して得た似顔絵(線図形)のもつ『そっくりと感じる人の感覚』はそのデジタル画像という物理計測の中に存在しない。つまり,その感覚を直ちに計測していないし,その感覚を誘発する似顔絵品質評価法も直ちに実装していない。
 この問題をH.ベルクソン(意識の直接的与件論―時間と自由―)は,「空間を占めない現象」と呼んだ,深い感情,美的感情,筋肉努力,注意と緊張,…,熱と重さの感覚などを,物質現象に還元しえないココロの現象としてこれらを直視する哲学的観察の姿勢から猶予されない。無自覚に猶予することは独断的哲学に自らを置くものである。また,H.ベルクソンは,『乗り越えがたい困難の原因は,本来は空間のうちに場所を占めない現象を,空間のうちに執拗に併置しようとする点にあるのではないだろうか。』(序言/時間と自由)なる着想と思索の道筋を,このような課題に対して指し示した。
 それでは早速,画像センシング科学技術の具体例に身を置いて,それらはどのような科学技術的課題なのかを看破してみよう。スローガン的に言えば,「画像の計測か?/画像で計測か?」を厳密に区別する画像センシング技術論について議論を深めたい。

2.3 画像の標本化,量子化というデジタル計測の話題

 一息入れるため論旨の流れを少し乱すが,デジタル計測という,実世界の出来事を計測するここ60年来の新種の基本問題について触れておく。その理由は,ルネサンスを起年としても500年の物質計測も,実はデジタル計測の理論的脆弱さを免除されないことの備忘のためである。もちろんデジタル計測は,すでに物質計測に不可避的に付帯するものであるばかりでなく,非物質計測問題においても事情は同様であるからである。
 画像のデジタル物質計測は,空間の離散化と値の離散化の二つである。前者の理論的基盤である標本化定理(C.E.Shannon,1948年)は,その画像の空間周波数に遮断周波数Vc が見つかれば,Æx~0.5(1/Vc)で離散化すればアナログ画像は完全に復元できる保証を与えた。ところがデジタル画像もCD音響もそのデータf(x,y)において,量子化というその値の離散化Æf の決め方を支える理論的基盤がない。1)~ 3)
 上記の理論ではこのデジタル画像の一つ一つのピクセル値は,その明暗がアナログ指標で記録されていることが前提である。しかし市場に溢れているコンパクトデジカメのピクセル値は,最も明るくて255,暗くて0という離散値で記録されていることは,これが量子化と呼ばれている計測操作であることと併せて周知のことであるが,256階調で濃淡現象を表してよいという理論的な裏づけがないのである。
 筆者らが,OK量子化理論と呼んでいる量子化理論は,この基本問題に対して,アナログ計測値の確率密度関数という一統計物理的性質の復元性を一必要条件として保証するにすぎないが,これがあるのとないのとでは,雲泥の差がある(『経験に頼っていた量子化間隔の決定問題に,輿水らによって新しい光が与えられた』)。1)
 かくして,標本化と量子化という二つのデジタル計測操作を無難に乗り越えて初めて真の「デジタル」計測に達することになるのであるから,いまだそれらはその草創・黎明の時代にあるというべきでる。市場に溢れるDVDデジタル映像やCDデジタル音楽を始め,まさしくこの世のすべてのデジタル計測データは,このように歴史的に初期里程の中に置かれているのである。
 この辺りの基本問題は,生活感覚では次のような実体験にかかわると思われる。
 何が課題か?画像のサイズ,つまり画像解像度は凄まじい速さで向上した。BS・地上デジタル放送で楽しんでいるハイビジョンは縦1,080画素,横1,920画素,愛知万博で公開されたスーパーハイビジョンは,縦4,320画素,横7,680画素で,一画面あたり縦横ともハイビジョンの4倍,つまり16倍の湯水のような膨大な情報量を含有しているにもかかわらず,「何かが違う」,「何か不自然」な感覚に襲われることが多い。例えば,極めて逆説的にも,高解像度テレビ映像に触れて,まるでCGで作った人工的映像を前にしたときの感覚に襲われることが多い。特に人の顔にはCGキャラクタに接したような感覚が起きることがあって,これは容易ならざることである。ここで重要なことは,画像フレーム一枚一枚ごとに,その映像コンテンツにふさわしい適切な画像サイズ(解像度,シャノン・染谷の標本化定理)があるように,適切な濃度階調数が存在することをうかがわせる結果であることである。上記のCG映像に近い違和感は,必要以上の過度な解像度を作りすぎていることが原因である可能性,もしくは,そのような高解像度が必要な映像には256濃度階調数ではいかにも過少である可能性が示唆されている。
 空間を占めない諸現象,「嬉しい」「悲しい」という感覚,感性,ココロの現象を計測しようとする画像センシングという情報科学も,物質計測に既に付帯するこのようなデジタル計測問題にどっぷりと浸かっているのである。

<次ページへ続く>

中京大学大学院 輿水 大和

1975年,名古屋大学大学院博士課程修了(工学博士)。同年,名古屋大学工学部助手に就任し,名古屋市工業研究所に所属。1986年,中京大学教養部教授に就任。1990年,同大学情報科学部教授。1994年,同大学院教授。2004年,情報科学部長。2006年より情報理工学部長, 2010年より大学院情報科学研究科長に就任。画像センシングや画像処理,顔学,デジタル化理論OKQT,ハフ変換などとそれらの産業応用の研究に従事。IEE,IEICE,SICE,JSPE,JFACE,JSAI/QCAV,FCV,MVA,SSII,ViEW,DIAなどで学会活動中。JFACE副会長,SSII会長,IAIP委員長など。仲間とともに,SSII2010優秀学術賞,小田原賞(IAIP/JSPE,2002,2005),IEE優秀論文発表賞(2004,2009,2010,2011など),技術奨励賞・新進賞(SICE2006,NDI2010)などを受賞。

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