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第29回 パリとニューヨーク

ニューヨーク・アートグラント


 同年の9月に同じ作品展がニューヨークでも開かれ,17年ぶりにニューヨークにも訪れることにした。会場はこのアートグラントの運営を担ったHoloCenterの建物であった。
 NYのHoloCenterは1998年にAna Maria Nicholsonのパルスレーザースタジオを母体としてAna MariaとDan Schweitzerによって設立された。当初はハドソン川をはさんでマンハッタンの対岸のコートスクエアーにあった。ラボがスタートして間もなくの2000年12月,筆者はHoloCenter Awardを授与されて,スタジオに1週間通ってパルスのマスターホログラムを制作した。ブルックリン地区に宿泊していたので,毎日地下鉄でワールドトレードセンターの下を通ってラボと宿を往復していた。翌年の2001年9月11日のワールドトレードセンターのアタックのニュースは驚愕であった。以後,アメリカに行く機会は多々あったが,マンハッタンへは感情的に近づくことができなかった。南北に走る大通りに立つと,どこからでもツインのワールドトレードセンターが見えて,摩天楼ジャングルの中で方角を知る道標となっていた。惨劇を思い出させる建物が消えた変わり果てた風景を私は長い年月のあいだ見る勇気がわかなかったのである。
 この時制作したマスターホログラムをもとに,2年後,バーモント州バーリントンのHolographic Northで大型のレインボーホログラムに変換した(図17 ,図18)。図17は布をまとった人体,図18はポップコーンを空中に投げたシーンで構成されたイメージである。いずれもパルスレーザーでなければ記録できないシーンで,1枚のレインボーホログラムには10数枚の異なるマスターホログラムの画像が記録されている。
 Holocenterは2009年からはMartina Mrongoviusがディレクターを務め,撮影装置や展示スペースも当初の場所から移転された。パルスレーザー装置一式はオハイオ州立大学に移管され,HoloCenterは新しい体制でホログラフィーアートグラントをスタートさせた。新体制のHoloCenterから筆者は再びパルスホログラムを制作する機会を得るのだが,この時の話は本連載の第1回(本誌2018年1・2月号)に記載されている。

ガバナーズ島


 IRIDESCENCEが開催された2017年当時,HoloCenterは展示スペースとしてガバナーズ島(Governors Island)に構えていた。マンハッタン島の南端からフェリーで7分のところにある島で,自由の女神像のあるリバティ島は隣りの島である。今までニューヨークには何度も行ったが,この地名はまったく知らなかった。新しい場所にも興味がわいたし,9.11以後のニューヨークもそろそろ見たいと思った。ガバナーズ島は長い間米陸軍の駐屯地であったため,一般には解放されていなかったようだ。それが2000年代はじめに軍事基地としての役割を終えて自治体に移管された。再開発計画として,夏季には芸術イベントが催され娯楽体験施設が整えられ一般開放されるようになり,いまでは人気の季節観光地になっているようだ。HoloCenterもその一環としてここに移転した。島にはかつて陸軍の士官学校があって,高位の士官の邸宅跡がHoloCenterに使われていた(図19)。玄関脇の壁に面白いものを発見した(図20)。パネルには1988年12月7日,Reagan-Gorbachev会談に先駆けて,Gorbachevが準備のため執務室として使われたと記されている。しかし,この記念すべき歴史的な建物も30年が経過し,お世辞にもメンテナンスは良いとは言えない状態であった。彼らの会談は冷戦の終結のはずであったが,今ロシアはウクライナに侵攻し世界は新たな冷戦時代をむかえようとしている。この原稿を書いているあいだにも終結の立役者だったGorbachevの訃報がとびこんできた。
 建物内の一角にHolocenterと創始者のAnna Maria Nicholsonのこれまでの歴史が展示されていた。ストリートアートの寵児としてアメリカを代表するアーティストに駆け上ったKeith Haringのポートレートホログラムが掛かっていた(図21)。ラボでAnna Mariaが彼にホログラムを見せている写真もあった(図22)。図23は展覧会オープニングの風景である。アメリカの住宅様式がうかがえよう。各部屋はこじんまりとした展示スペースとなっていた(図24)。
 展覧会開催の時期は,島ではアートフェスティバルが催されていた。アートギャラリーとして開放された建物だけでなく,屋外の緑の中には実験的でエネルギッシュなオブジェたちが自由奔放に並べられ,映画などが上映され,島を訪れた多くの観客たちは夏の終わりを楽しんでいた。マンハッタン島の摩天楼を背景に記念撮影(図25)もした。9.11の1週間前であったためか,夕刻にはグランドゼロから空にむけて光の線が演出され,空を行きかう多くのヘリコプターを見かけた。記念日に向けてテロを警戒してのことであろうか,のどかな島にも緊張感が伝わってきた。グランドゼロを見学した後,ニューヨークを訪れるときに必ず立ち寄る美術館と博物館を回り,9.11を避けて筆者は早々に帰国したが,ガバナーズ島の体験は世界の歴史を身近に感じた瞬間でもあった。
 2020年HoloCenterはMaritinaから新しいディレクターにかわりこの島からも退去したようだ。現在Web上でバーチャルのMuseum of Holographyなどホログラフィーの情報発信を続けている。
 海外との交流が途絶えて早3年が過ぎようとしている。つい先日のことだと思っていた展覧会IRIDESCENCEはすでに5年前の出来事とは驚きである。パンデミックによる行動制限はますます時間の流れを加速し,誠に残念で実に困ったことである。

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