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第28回 香港と深圳の旅

新しい動き


 この会議では,ディスプレイホログラフィーの分野にもデジタル化の波が押しよせていることがひしひしと感じさせられた。展示は特にアート展というものではなく,発表者が各自持参して展示するという形式であったが,目を引いたのはやはりCG処理された画像からのカラーホログラム(反射型)であった(図9,図10,図11,図12)。また,高品位のフォトポリマーのカラーホログラムが展示されていたことも印象に残った。英国Monforte大学のMartin Richardsonはビデオ映像をもとにCG画像を作りホログラムに変換している(図9)。図10はNicholas J. Phillips(イギリスで高品位の反射型ホログラムを生成する感材の研究者,ディスプレイホログラフィー分野に大きく貢献した)の肖像である。実はこの会議の1か月前に逝かれ追悼の展示であった。図11はGeola lab.製作のモバイル画像数枚からCGでカラーの3次元画像を生成し,ホログラムに変換したものである。カナダのアーティストJacque Desbiensは1枚の中に1から9までのナンバーが視点を変えると見えるホログラムのイメージをすべてCGで生成した(図12)。彼はデジタル技術を携えてはじめてホログラフィーの分野に入ってきた新しい世代のアーティストである。
 会議に参加する楽しみの1つは,遠く離れた地に住む知人たちに再会できることである。展示室で,会議の運営責任者のFrank C. Fanと記念撮影した(図13)。彼とは海外ですでに何度か会っているが,ホログラフィー技術の研究者で,自らもホロのベンチャー企業を立ち上げている。深圳の会議では八面六臂の活躍ぶりで,向上心とエネルギッシュな活動ぶりは現在の中国を体現しているそのものだと映った。深圳会議の半年前,2008年12月にHODIC in Taiwanが国立台湾師範大学で開催されたとき,師範大側からの招待予定講演者名簿に彼の名前があったが最終的に欠席であった。そのことをたずねたら,中国では年間に国外に出る回数が制限されているという。台北に出席したかったが,そうするとあとの重要な海外出張ができなくなってしまうので断念したとのことだった。そういえば80年代前半のころ,旧東欧圏の研究者が国際会議に家族を連れての出席の許可はおりないと話していたことを思い出した。そのまま国を出て海外に住んでしまうことを恐れていたのであろうか。海外に行くのに回数制限があるなんて筆者には想像もできなかった。

エクスカーション


 宿と会議場を往復する毎日では,中国の“リアルな今”を知る機会は皆無であった。国際会議の“お楽しみ袋”であるエクスカーションはどこかと思ったら,これまた「世界の窓」というテーマパークの観光であった(図14)。東京ドーム10個分の敷地に世界の有名建造物のミニチュアが建ち並んでいた。縮小サイズに統一性はないらしく,大きめの模型を見ているようなものから,パリのエッフェル塔は縮尺3分の1で塔の高さは約100メートルだとか。しかし,実物を眺めて暮らしたことのある者にとってはやはり迫力に欠けて物足りない。それでもなかなか海外に出られない中国の人たちには世界一周の旅気分が味わえる観光地なのだろう。
 しかし,一般の人たちと触れ合う機会がまったくなかったが,ある意味2009年のリアルな中国を体験した旅ともいえよう。幸か不幸か,ショッピングをする機会もまったくなかった。  帰路香港で1泊, 観光に羽を伸ばした。一世を風靡した香港映画を記念してつくられた水辺の遊歩道(図15)には多くのユニークな銅像が置かれ,散歩する人たちを楽しませている。そして,いつのまにか記念撮影に収まっている(図16)。また,外せないのが香港島の夜景だ。夜景を楽しむ夜のクルージング観光も体験した(図17)。
 これらは12年前の話である。現在の中国の急激な成長ぶりは目を見張るばかりだが,そのなかでも特に深圳はわれわれの想像をはるかに超える変容ぶりと聞く。そして,香港はそれとは対照的に文化や思想的に難しい時代を迎えようとしているようだ。もう一度訪れてみたいかと問われたら,残念ながら今はどちらもノーである。

後日談


 会期中に提出されたpaperはproceedingとして配られることはなく,後日送付されるということであった。
 Proceedingはそれから3年後,次の回のISDH(MITで開催)の時に配られた。会期の最終日であった。立派な装丁というか,分厚いしっかりしたハードカバーに総フルカラーページで,使用されている紙は美術印刷用のようなしっかりした紙質で全体の厚さは2センチを超えてかなり重かった。これまでのproceedingとはずいぶん趣が異なっていた。旅先での本の荷物はあまりうれしくないが,郵送する手間を惜しんで結局スーツケースに押し込んで持ち帰ることにした。これがことのはじまりだった。
 珍しくアメリカから羽田着の便を利用した。夜遅い便であったが家に帰るだけなので良しとした。羽田に着き,やっと無事に帰ってきた安堵感と疲労感とともに,いつものように荷物が出てくるのを待っていた。ベルトコンベアーが回りだしスーツケースを待ったがなかなか出てこない。受取人のいない荷物はベルトコンベアーの上を何度も回っている。ふと目立つ荷物に気がついた。半開きのまま茶色のガムテープでグルグル巻きになっているスーツケースだ。目を凝らしてよく見ると,それはなんと私のものではないか! 慌ててひきおろし,何が起こったのかわからず,とりあえず急いで航空会社のカウンターにクレームを言いにかけつけた。何しろアメリカからの便である。途中乗り継ぎがあったし,何か抜き取られているかもしれない。よく見ると鍵の部分はバールでこわされていた。カウンター前の床の上でガムテープをはがしてスーツケースを開いた。すると,そこに1枚の紙きれが…。Transportation Security Administration(アメリカ運輸保安局)からで{荷物の中をチェックしました}という内容の紙きれだった。アメリカでは全荷物を検査しているわけではなく,抜き打ち検査になっていて,どうもこの荷物が引っかかったらしい。“Heavy 注意”というタグが付いていて,見た目よりかなり重いことやTSAロックでない古いスーツケースにうっかりと鍵をかけてしまったことも不運を呼び寄せたようだ。中身はひっくり返されただけで何も抜き取られた気配はなかった。ぎゅうぎゅうに整然と詰め込んだ状態は,一度バラしたらもとに戻せなくなり半開きのままガムテープでグルグル巻きにしたようだ。保安局がらみの破損(バールで鍵を壊す)は航空会社の関与することではないと言われ,旅行保険で補填申請をするため破損証明だけを発行してもらった。中身を整頓し半開きは解消したが,ロックがかからないので困っていたら,スタッフがだれかの遺失物のベルトを奥から出してくれ,それをかけて家路についた。だいぶ時が過ぎていた。このひどい体験は,あの重い中国のProceedingがそもそもの根源ではなかったかと,私は今もそう思っている。

<次ページへ続く>

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