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大学の先生になったら,絶対ちゃんと教育するぞと思っていた
学生は場さえ与えれば自分で育つところがすごいと思った科学技術振興機構 研究広報主監 佐藤 勝昭

工学部だけでなく理学部の量子力学や文学部のロシア語の授業にも出て,すごく積極的だった

聞き手:工学の道に進んだきっかけをお聞かせください。

佐藤:私は京都大学工学部電気工学科で,電気・電子工学を学びました。とにかく電気工作が好きなラジオ少年でした。『無線と実験』といった本を高校時代に読んでいました。ですから,回路のことは大学に入る前に知っていました。複素数を使った難しい数学は別として,基本となるところは大体分かっていましたから,大学の授業はつまらなかったです。
 私の卒研・修論の指導教員は「驚異のチタバリ 世界の新材料・新技術」という本(村田製作所編)にでてくる田中哲郎先生でした。強誘電体のチタン酸バリウムの研究を行い,村田製作所のもとを作った先生です。その田中先生のもとで,電気電子材料の結晶成長,物性評価など応用物性の道に進みました。田中先生は「既に分かっているようなことは決してやるな」という先生でした。1960年代はまだ真空管時代でしたから,先生も一生懸命勉強しながら半導体のお話をされていました。私はその授業も聞いていましたが,「佐藤が一番前にいると怖かったな」と,後になって言われました。私は本質的なことを突っ込むものだから,先生はすごく嫌がっていました。あの頃は,みんなで勉強して作り上げていたと思います。そういう研究室にいて,輪講でキッテルやシッフを読むなど,物理学になじむ環境がありました。
 学部のときも,工学部にいながら大学院でも,理学部の授業はいろいろ受けました。基礎に当たる授業は,何かに使おうという気持ちでしたので,すごく積極的に聞いていましたね。ですから,マスターを出たときには「固体物理大体分かったな」と思いました。その後,私の恩師の田中先生が,NHKの放送技術審議会の委員を務めていたこともあり,その紹介で推薦でNHKを受けたのです。
 科学というのは,人文科学も自然科学もやっぱり根は同じです。好奇心があって,そしてそのことを極めるという意味では全く同じなので,むしろ今それを分けてしまうのがよろしくないと思います。京都大学は哲学も伝統がありますよね。非常に豊かな教養教育の環境があるという点が,恵まれていたなと思います。ともすれば縦割りになってしまうなかで,工学部だけど理学部の授業も聞いたし,その当時はスプートニクの打ち上げもあり,ロシア語も勉強しなければということで,文学部にも潜りに行きました。勉強,勉強というのではなくて単に好奇心からでした。

学生に教えられるのは,机の引き出しの取っ手とラベルだけ

聞き手:実際NHKではどんな仕事に携わられていたのですか。

佐藤:私がNHK大阪放送局に配属された66年のころに,ようやくニュースがカラー化したのですが,大変でした。ニュースのフィルムを1分半で現像する,私はそのダッシュもやっていました。真っ暗な現像室で現像して,それをすぐに報道部に届けるわけです。そうすると向こうで見ながら切っていって,つないで。そしてそれをフィルム送像室に送って。例えば12時5分前ぐらいに屋上にヘリコプターでフィルムが届き,それをエアシューターで落として,それを現像,編集して12時10分からローカルニュースに間に合わせていたのです。まさに戦場でした。秒単位の仕事をしていましたから,本当に忙しかったです。そのときの話をすると,学生は喜びますね。
 私が大阪放送局に行って1年ぐらい経ったころに,トランジスタ化された機器が導入されました。その当時は大学卒は少なく高専か工業高校の出身者が多かったのです。それで上司に「お前は電気の大学院出ているんだろう。これを若手の職員に説明するためのセミナーを開け」と言われました。実際は大学で物性をやっていたので電子回路は専門外ですから大変でした。
 大学でも電子回路についていろいろと学びましたが,その時にどの本を読んだとか,あの先生がノートのどこでそういう話をしていたか,ということも覚えているわけです。それを思い出して,その時のノートを見たり,レファレンスで出ていた本を買い,セミナーをしました。
 ですから,大学教育で私たちが実際に学生に教えてあげられるのは,机の引き出しの取っ手とラベルだけだと思っています。学生は中身を自分で引きだして見るしかありません。それでもそのことを知っているだけで違います。それで安心できるのです。大学しか知らない先生は,自分でやっていたことが金科玉条ですから,それ以外が見えておらず,学生たちが知らなかったら,アホか,バカか,となりがちですが,そうではないのです。実際のところ,教えたことそのものが役に立つことはほとんどないかもしれないですが,あとから「ああ,あの先生が昔ごちゃごちゃ言うてたな」と思い出してくれればいいわけです。教育というのは,そういうものではないかと思うのです。 <次ページへ続く>
佐藤勝昭(さとう・かつあき)

佐藤勝昭(さとう・かつあき)

1942 兵庫県生まれ 1966 京都大学大学院工学研究科修士課程 修了 1966-1984 NHK(日本放送協会)勤務 1978 工学博士(京都大学) 1984-2005 東京農工大学 2005-2007 同理事副学長(教育担当) 2007東京農工大学名誉教授 2007-2010東京農工大学工学府特任教授 2007-2013科学技術振興機構(JST)「革新的次世代デバイスを目指す材料とプロセス」研究総括 2007-2012 JST基礎研究制度評価タスクフォース(兼務) 2008- JST研究広報主監 2010- JST研究開発戦略センター(CRDS)フェロー(兼務)
●研究分野
磁気光学,半導体光物性,近接場光学,結晶工学,高温超伝導,磁性体ナノ構造
●主な活動・受賞歴等
2015 応用物理学会 業績賞(教育業績) 2014 日本結晶成長学会 貢献賞 2007 応用物理学会 フェロー表彰 2003 日本磁気学会 業績賞 2003 応用物理学会 JJAP編集貢献賞 2001 日本磁気学会 論文賞 2001 Int. Superconductive Electronics Conf. 2001 (ISEC'01) Excellent Poster Award 2000 Materials Research Society Best Poster Award 1997 日本磁気学会 出版賞
●画歴
1950-1954 小学生時代, 伊藤継郎(新制作)の児童画教室に学ぶ 1953から油彩をはじめる 1957-1960 大阪府立北野高校で美術選択 岡島吉郎(国画会)に学ぶ 1968-1984 NHK技研美術部で樋渡涓二(日府展前理事長)に師事 1970日府展に出品。中島哲郎に学ぶ 1974 ぎゃらりー渋谷で第1回個展 1978-2001銀座詩季画廊で個展(第2回?10回)二人展3回開催 現在 一般社団法人日本画府理事(洋画部審査員) 日府賞,記念賞,愛知県知事賞等受賞 2007- 麻生区美術家協会事務局長,麻生区文化協会総務 2008- アルテリッカ新ゆり美術展実行委員長

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