セミナーレポート

感性・意識の画像センシングは可能か? ~画像センシング技術試論~中京大学大学院 輿水 大和

本記事は、画像センシング展2010にて開催された特別招待講演プレインタビューを記事化したものになります。

熟練工と室伏選手,そしてアンリ・ベルクソン


輿水:私の研究室は豊田市にあり,その豊田市にはトヨタ自動車の上郷工場という工場があります。そこでは車のエンジンブロックの鋳造品を造っています。ここ2年くらい,その鋳造品の検査ロボットを開発しています。上郷工場には,40数年間,鋳造品の検査をやり続けてこられた検査員の方がいます。この熟練検査員のやっていることをロボットにやらせたいと考えました。トヨタ自動車という会社は,ある意味,一部の隙もない会社です。この検査ロボットを開発する先には,検査すべき欠陥が起きないような生産システムがあるのです。検査ロボットを作れば,そのすぐ先にそうしたシステムが見えてくるはずだと。
 私たちは,その熟練検査員がやっていることすべてを把握しようと考えました。もともと輿水研究室は画像処理をやっていますから,依頼主であるトヨタの最初の思いつきはだいたい想像できます。まずは,ロボットに目を付けて映像を取り入れようということになりました。確かにそれは間違っていない。でも私は「検査員は映像を自分の脳の中にただ入れているだけですか」,「ぼんやり見ていても,神経を張りつめて見ていても,レンズを通して入ってくる映像は変わらないじゃないですか。その問題はどうするのですか」とトヨタの人に聞きました。

聞き手:確かにカメラによってとらえられる映像は同じですね。

輿水:そこで,「意識のセンシングをちゃんと考えないと,このロボットの目は単なる節穴にしかなりませんよ」と言ったのです。でも,とにかく目を付けないことには始まらない。だから,まずはそこから始めようということになりました。

 話が突然飛ぶようですけれども,アンリ・ベルクソン(1859~1941年)というフランスの哲学者がいます。国際連盟設立などにもかかわった人間で,1927年にノーベル文学賞を受賞しています。この人の著作に,「時間と自由」というものがあります。そこでベルクソンが問題にしたのは心身二元論――心身哲学です。私たちはなんだかんだ言っても宇宙の物質の一環です。死んだら灰になっていく。しかし,哲学者たちはギリシャの昔から,物質のさまざまな動きを逐一すべて把握したら,人のココロが分かるのだろうか,喜怒哀楽が解明できるのだろうか,すなわち意識やココロをセンシングできるのだろうか,ということに悩み続けてきました。
 ベルクソンはこれを彼の生涯の課題として,4つだけ本を公表しました。その1冊目が「時間と自由(Time and Free Will)」です。副題が「Essay on Immediate data of Consciousness(意識の直接的与権論)」,あるいは「与権試論」。そこで彼は「意識というものは直接存在するものであって,物質からやってくるものではない」ということを言っている。そのタイトルがもともとは「意識の直接的与権論」だったのを,のちほど英訳するときに「Time and Free Will」という副題を付けてもいいと本人が許可を出したそうです。

聞き手:そうなんですか。

輿水:どうしてそういうタイトルを付けることを許可したのか,私は最近,このように思い始めました。物質科学的に言うと,人間は,物質と物質のかかわりの体系の一部である以上は,自由意思なんていうものはそもそも入る余地がない。私が今朝ヒゲを剃ろうかなと思ったときに,「今日は面倒くさいからやめよう」というような自由意思は入り得ないのです。しかしながら,私たちが自由意志(つまり,肉体に縛られることのない意思やココロ,精神の活動)をイキイキと実感しているのですから,その裏には,身体と精神は二元的に存在するものであって,身体をいくら詳細に区分けしても精神の記述はできないという心身二元哲学があります。
 そして2冊目。これがさらに面白くて,「物質と記憶」という本。英題は「Matter and Memory」です。1冊めの本は心身二元をマクロに論じてるような感じですが,2冊目の物質と記憶は,英語のタイトルを見ると「Essay on the relationship between corpus and spirit」。「corpus」というのは肉体という意味です。「肉体と精神の関係について」というタイトルです。これら以外に,進化論や道徳・倫理・宗教に関係しているのが3冊めと4冊目で,このベルクソン哲学の道筋が続くことになります。
 私が非常に強い衝撃を受けたのは,物質科学と物質センシングの話や,精神あるいはココロセンシングの話を寸分の隙なくベルクソンという人が議論していたことです。特に1冊めの中で面白い話があって,それが「筋肉努力」というキーワードで表わされています。それが何を言っているのか説明します。まず,この名刺を左手に持って「2倍の力」で押さえみてもらえますか?

聞き手:2倍ですか。

輿水:はい。2倍です。

聞き手:それでは。(2倍の力のつもりで名刺を押さえる)

輿水:いいですか。

聞き手:はい。

輿水:じゃあ,今度は「10倍」で。

聞き手:え? 10倍という感覚は分からないのですが……。

輿水:ええ,確かに分からないんです。ところが私たちは,子どもに「もっと努力しろ」,「さっきより2倍努力しろ」,「10倍努力しろ」と言いますね。紙を「もっとしっかり持ちなさい」,「10倍力を入れろ」と言うと何が起こるかわかりますか? 指先に10倍の力がかかるのではなく,筋肉の硬直する面積が10倍になって,その硬直した筋肉体表面積に誘起された10倍の感覚が交感神経系を経由して10倍に知覚されるのです。

聞き手:へぇ,そうなんですか……。

輿水:それで10倍努力した気になってしまう。この話は,物質的な指標はココロの指標に何かの関係があるかもしれないという話で,ベルクソンはそれに「筋肉努力」という言葉を使いました。実はこの話には非常に面白いエピソードがあります。先に出てきた室伏広治選手との共同研究の打ち合わせの折に,彼にベルクソンの筋肉努力の話を説明したところ,何と言ったと思いますか。「輿水先生,僕,面白いことができるんです」といって私の手を握りつぶすほど思い切り握り,今度は「僕の腕にもう一方の手で触ってみてください」と言いました。触ってみたら,驚くことに腕の筋肉はフニャフニャだったのです。

 腕の筋肉をカチンカチンにして物を投げるなんていうのは最悪なんです。筋肉はしなやかな紐であった方がいい。ハンマーに付いているワイヤーは紐みたいなものですよね。だから,その延長線にある腕の付け根から先をソリッドな物にしてしまっては,しなやかさもなにもない。彼は,アスリートは普通の体と意識の関係を克服するようなことを自然とやっているということを見事に見せてくれました。
 先ほどの熟練検査員に話を戻すのですが,その方の集中意識の度合いというのを測って,それをロボットに反映させれば良いということになりました。具体的にやったのは,その検査員にアイカメラを付けるということでした。それと頭部にマーカーを付けて,モーションキャプチャー装置を設置して,検査対象となるワークと頭部の位置関係の時間的変化を全部記録しました。そうすると,先ほど室伏選手がハンマーを投てきするときに前駆運動があると言いましたよね,これと同じことが起こっているのです。検査員は検査のときに軍手をはめた手でエンジン鋳造部を指さししていきます。これと同時刻に眼球はどこを見ていると思いますか。

聞き手:指がさそうとするその先を見ているのでしょうか。

輿水:ここまで言えば分かりますよね。その通りです。明らかに視点が指先を前駆しているのです。前へ前へと。そのときの目は何を見ているのか,それが問題ですね。眼球の前駆運動時の画像処理で不良を発見し,指さし時の画像処理で欠陥を確認,あるいは精査していると思われます。怪しいところを発見するのは眼球の方で,指さしで後追いしているのは,怪しいところがあれば眼球が再びそこへ戻るため。すなわち,再度見て精査するためです。指さし部分を再度見ることで,意識のアラームを解除したり,欠陥となる「テカリ」やゴミを確認したりという精査です。こうした発見と精査を眼と手が絶妙にやっているということが分かりました。

 このようなことから,検査ロボットによるセンシングの手掛かりとして,「発見と精査は別のタスクが働いている」ということが言えます。そうであるならば,ロボットの画像処理の仕組み作りは,単純なカメラと画像処理の組み合わせとは決定的に違うということになる。例えば,早く発見するためには,最初の画像は解像度が高くなくてもよいことになります。そして,いざ怪しいとなったら,そこの部分の解像度を上げて精査すればよい。指さし状態の精査のプロセスを最初の画像取り込みと分けて作って,その関係を照合して進行させるという仕組みは,検査員の注意意識をモデル化したようなものです。
 それとこの注意意識は,鋳造のプロセスを知っている人がやるかやらないかで全然違います。例えば,金型に湯(溶かした金属)が下から流れてきて上に到達するようなプロセスで,湯の流れが良いところと悪いところを知っている人が検査するかどうかで結果が大きく異なります。経験40年の検査員はそれをよく知っている。これはロボットにとっては,注意意識を喚起すべきところはどこかという教え込むべきデータになります。

聞き手:習熟した検査員と室伏選手,そしてアンリ・ベルクソンの教えるところが見事につながりますね。

輿水:もう一つ面白い研究としては,錯視が挙げられます。同じ長さのマッチ棒を,遠近法で表示されたような2本の斜めの線の上下に置くと,明らかに上(遠くに見えると思える場所)の方が長く見える。これは「ポンゾ錯視」と呼ばれる錯視です。また,線の両端に矢印の頭のようなマークを普通に付けたものと逆に付けたものの長さを比べる錯視,これは「ミュラー・リヤー錯視」といったかな。こうした錯視では,脳の中でどんなことが起きているかを調べるのが心理学の研究テーマです。
 カメラで撮って通常の画像認識をすれば,どれも同じ長さとして認識されるのに決まっているけれども,「こういう『地』を付けるとこう見える」ということを測るのは,すなわち,物質的に存在しないものをセンシングするということです。このように,感性や意識のセンシングには手掛かりがいっぱいあるはずなので,画像センシングではいわゆる物質科学的に精力を注ぐのみならず,「感性科学的に何に取り組まなければならないか」というテーマの本質を見極める態度が必要であるわけです。

聞き手:もし,こういう錯視をカメラで撮って測ったら人間と同じように「違う」と解釈するシステムがあったらすごいですね。

輿水:そう考える画像の研究者もいます。「図と地」の問題として。ちょっとずるいかも知れませんが,システムに「これが図でこっちが地」と教え込んでおくのです。例えば,このマッチ棒の「ハの字」をもっと開いた「ハ」にしたり垂直に近くしたりして,「錯視量」というようなものを「ハ」の開き角度の関数で書こうとする試みです。同時にそれを人に見せて,2つの線のなす角度がゼロのときは同じ長さに見えて,角度が45度くらいのときが一番大きく違うように見えるというような判定をしてもらう。そんな方法です。
 ところが,突然,どれが図でどれが地か教えずに,いきなり「上のほうが長く見えるけれども,実はそうではない」ということを理解するロボットを作るのは大変難しい。心理学ではせいぜい,今言ったような心理実験をして,角度に対する錯視効果はどのぐらいになるかという結果を得る程度です。でも,それは本質ではない。一般の人から「そうですか。そういう関係があるんですか。僕たちの持っている感覚と似ていますね」と言われるのが関の山です。

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中京大学大学院 輿水 大和

1975年,名古屋大学大学院博士課程修了(工学博士)。同年,名古屋大学工学部助手に就任し,名古屋市工業研究所に所属。1986年,中京大学教養部教授に就任。1990年,同大学情報科学部教授。1994年,同大学院教授。2004年,情報科学部長。2006年より情報理工学部長, 2010年より大学院情報科学研究科長に就任。画像センシングや画像処理,顔学,デジタル化理論OKQT,ハフ変換などとそれらの産業応用の研究に従事。IEE,IEICE,SICE,JSPE,JFACE,JSAI/QCAV,FCV,MVA,SSII,ViEW,DIAなどで学会活動中。JFACE副会長,SSII会長,IAIP委員長など。仲間とともに,SSII2010優秀学術賞,小田原賞(IAIP/JSPE,2002,2005),IEE優秀論文発表賞(2004,2009,2010,2011など),技術奨励賞・新進賞(SICE2006,NDI2010)などを受賞。

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