光をどう使うかということを考えるような“本当の光学工業”の到来を期待したい。東京工業大学 像情報工学研究施設 辻内 順平
☆レンズがかわいそう。
それでパリの光学研究所のマレシャル先生のところで実験をやったんですけど,その頃は,何となくボケた写真を少し鮮明にする程度で,もっとボケた写真がなおらないかと思ってたんです。そんな時,またちょっとひらめいたことがありまして,要するに画像のフーリエスペクトルの位相をπだけ変えればよいわけで,薄膜をある特殊な条件で一部分だけつけるというやり方だったんです。同じ研究所にいた薄膜の大先生のアベレスさんところへ相談に行きましたが駄目だと断わられたんです。それで日本にいた時キヤノンの伊藤さんに紹介されたフォトエッチング屋さんを思い出して,手紙でやり方を書いて注文したら1ヵ月くらいでできてきまして,それでやったら,それこそバッチリでね,うまく行ったんです。それがピンボケの写真を修正した最初のpaperになったんです。
その頃の私の一つの考え方は,レンズというのは完璧に作ることはできないんだというです。設計がむつかしいし,それ以上に加工もむつかしい。新しい研摩法もでてこない。だから像が悪い責任をレンズだけに背負わせるのはかわいそうだと思ったんです。レンズに半分やらせて,後の半分を何かの方法で像を良くすればいいんじゃないかと。
ネガを見て,どうのこうのという人はいないわけなのに,現在ではネガにうつされた写真を最大限忠実に紙に焼こうとだけ考えています。ですがフィルムにとったものを,また引き伸ばすんですから,その時に何かやったっていいわけです。それでレンズが安くなるなり,作りやすくなるなり,あるいは性能がもっと上がるんなら,その方がずっといいじゃないかと思ったんです。レンズ自身を後の処理がやり易いような恰好に作っておけばいいのではないか。そういうレンズを作りませんかという提案をしたこともあったんです。
ですから画像処理というのは特殊な技術でもなんでもなくて,映像システムの中でのレンズの性能なり記録材料の性能なりを最大限に発揮するための一つの過程だと考えませんかということです。私の一つの夢は,不鮮明な像を画像処理で鮮明で極めていい像にする技術をきちんと確立させることです。おそらくできないかもしれませんがね。そのために提案されている方法は干渉縞のアィルターからコンピューターまで全部やったような気がします。それぞれいいところと悪いところがありますからね。どれが一番いい方法なのかをはっきりさせて,一番いい方法が決まったら,それだけを一生懸命やろうと思ったんです。……まあ最近はコンピューターを使うのが一番いいらしいですけど……これは大変つまらない結論でして……ね。
☆ホログラフィは幻どころではなかった。
最初のホログラムーー例えばリースのpaperなんか見ると,あれは私が使ってた装置をちょっとひねってるものでして,ですからホログラフィの研究に取りかかるのに全然抵抗がなかったんです。ホログラフィというのは前から知ってたんですけど,私は実用にならない技術だと思っていたんです。20年ぐらい前東大の講師を頼まれまして>フーリエ光学を講じたときもホログラフィの話をしたことがあるんです。非常に面白いけど実用にはならない。あれは幻の技術だと講義で言ったことがあるんです。嵩をくくっていたわけです。それで62年にリースのpaperが出て,なかなか面白いな程度しか感じなかったですね。あの頃は情報通信理論を光学に導入するというのが流行りでして,その一つとして読んだんですが,写真を見て安心したんです。大したことはないと……。ところが,その翌年ですが,すごい写真が出たんです。まだ今でも憶えているんですが,大変なジョックだったですね。幻どころじゃなかったわけです。
リースが最近書いた本を見ると,彼はかなりの期間レーザーと水銀燈の両方でやってたんです。つまりレーザーでやってそんなにうまくいくかどうか疑問を持っていたようですね。
ですから当時はこんなすごいのができるとは誰もが思わなかったですね。……あれはショックでしたね。
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