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斎藤弘義先生の思い出~科学者の楽園にて~谷田貝 豊彦(筑波大学名誉教授/宇都宮大学名誉教授)

 本年4月17日,理化学研究所名誉主任研究員斎藤弘義先生が逝去されました。満97歳でした。心よりお悔やみ申し上げます。
 斎藤先生は,1947年東京大学第二工学部精密工学科を卒業され,東京大学生産技術研究所の助手を勤められ,その後,理化学研究所光弾性研究室に勤務されました。1967年,同研究所光学計測研究室主任研究員として独立,研究室を立ち上げられました。当時,新しい光学技術として注目されていたホログラフィーの工業計測への応用研究を推進されました。最初の研究員は山口一郎氏(理研名誉主任研究員)で,その後,中島俊典氏,谷田貝,中楯末三氏,伊藤雅英氏が加わりました。ホログラフィーによる精密光学部品の形状・変形・振動計測,干渉計測の自動化,スペックルの計測応用など多岐にわたる成果を挙げられました。大学や企業からの多くの実習生,研修生,共同研究者を受け入れられました。研究の芽は現場からがモットーで,理論的な研究の上に現場に役立つ研究を推進する理研魂をもとに,斎藤先生は1985年の定年まで光学計測の研究を指導されました。
 斎藤先生が研究室を主宰されていた時期は,戦前の財団法人理化学研究所,そして戦後,株式会社科学研究所となり,特殊法人理化学研究所として再出発して,ようやく研究体制が整った時期と重なっています。再出発後すぐに,旧科学研究所から37の研究室に,マイクロ波物理研究室(霜田光一),情報科学研究室(高橋秀俊),理論物理研究室(湯川秀樹),理論有機化学研究室(長倉三郎)が加わりました。当時としても,最高の科学者の招聘でした。東京の駒込から埼玉県大和町(現在和光市)に移転したのが1966年です。広大な敷地に研究本棟,サイクロトロン棟,農薬研究棟,事務棟,そして工作棟が点在していました。理研の特徴の一つは,強力な工作部隊があったことです。非常に高度な実験装置の設計・試作を担当していました。もちろん簡単なミラーホルダーや光検出用器のアンプなど何でもただのような料金で制作してくれました。当時は,小回りのきく業者はおりませんでしたので,研究者にとっては大変ありがたい組織でした。また,大学で問題となっているいわゆる研究室の壁はまったく存在しません。自由に別の研究室に出入りし,議論・装置の貸し借り,共同研究も可能でした。いわば研究者の「楽園」でした。戦前の理化学研究所が「科学者の楽園」(宮田親平,「科学者の楽園」を作った男 大河内正敏と理化学研究所,河出文庫(2014))と言われていますが,私にとっては,斎藤先生の時代の理研は「楽園」でした。
 私が,斎藤先生の光学計測研究室に加わらせていただいたときのエピソードを少し紹介させていただきます。大学の研究室(東京大学工学部物理工学科田中俊一研究室)の先輩であった中島俊典さんからお誘いを得て,理研の入所試験を受けることとなりました。試験会場は東京駒込,蝉時雨の古びたレンガ作りの研究棟でした。面接は和光の事務棟,面接官は副理事長の一宮虎雄先生でした。大柄の一宮先生から,「君の長所は何かね」との質問を受けました。「いろいろなことに興味があり,何にでも挑戦することです」と胸を張ってお答えしたところ,「そういう奴は研究に一番向かない」と大声で怒鳴られたことは,はっきりと覚えています。面接後,気落ちして,斎藤先生のお部屋に伺ってこのことをお話しすると,笑顔で「合格ですよ」とのこと,なんのことかわかりませんでした。後で話を伺うと,一宮先生の大声はOKだとのこと。
 このような経緯で,斎藤先生のご指導を仰ぐことになりましたが,すでに先輩方が輝かしい業績を上げていましたので,自分の研究テーマについて悩んでいました。ホログラフィーは当時の学会での主要なテーマでしたが,何か自分なりの方向性をもちたいと思っていました。そんなとき,斎藤先生から,こんな論文があるよと手渡されたのが,J. Wyant 氏(後にアリゾナ大学オプティカル科学センター(OSC)に移り教授に。干渉計のメーカーWyko社を創業した。OSCは現在James C Wyant College of Optical Sciences となっている。)の計算機ホログラフムを用いた非球面の測定に関する論文でした。Iteck社のプレプリントで,まだ学術論文に掲載される前のものです。計算機ホログラムのことはすでにいくつか実験しておりましたが,干渉計測に使えるとは思っていませんでした。早速追実験に取り掛かることにしました。幸いなことに,隣りの研究室が情報科学研究室(後藤英一主任研究員)で,ホログラフィックメモリーの研究,超高精細CRTの研究などもされていて,私も自由に出入りしていましたので,協力を仰ぐことにしました。当時の理研は,大型計算機が1人当たり1時間自由に使えることになっていました。その代わり1人ですべての操作を行わなければなりませんでした。また,夜間は翌朝まで独占して使用可能でした。 1枚のホログラムを描くのに数時間を要することもあり,徹夜で操作し,途中でXYプロッターのインク切れのトラブルもありました。多分,大型計算機の利用に関して日本で最も恵まれた環境であったと思います。このような幸運もあって,計算機ホログラムの応用研究,計算機画像処理技術を用いた干渉縞自動解析,モアレトポグラフィの医学応用の研究などを進めることができました。
 斎藤研究室の研究員は研究テーマを自由に決めていました。斎藤先生は,各人の研究の進め方に注文をつけられたことはなかったように記憶しています。いつもニコニコして,陰で研究を支えてくださっていました。当時としては大変高価だったレーザーもミニコンピューターもいつの間にか使えるようになっていました。
 理研に入りびっくりしたことは,テニスをやっている限りは誰にも文句を言われないことでした。これは寺田寅彦以来,戦前の理研からの伝統だと聞いたような気がします。研究室の窓の外には,6面のテニスコートが見え,いつも誰かがプレイをしていました。研究者も事務員も工作部員も。昼休み時間は,事務と工作部員の時間で,研究者はテニスコートの使用を遠慮して,それ以外の時間にプレイするのが暗黙の了解でした。夕方近くになると,斎藤先生から声がかかりテニスコートを走ります。理研テニス部は,夏に四万温泉に合宿をしていました。多くは家族連れで,斎藤先生もよくお嬢さんを同伴されておりました。
 また,斎藤先生とは山登りもご一緒させていただきました。理研山の会によく参加されておりました。足腰を鍛えるため,ご自宅から理研まで自転車で通勤されておりました。夜間の自転車は事故も多く心配しておりましたが。いつの頃からか理研の食堂に夕方バーができ,仕事が終わるとヒラの研究者も主任研究員も事務の方達も集まる団欒の場となりました。斎藤先生もその有力メンバーでした。
 まだまだ斎藤先生の理研での思い出はつきません。理研を定年退職されたあと,斎藤先生は文教大学で教鞭を取られ,その後はご自宅で悠々自適の生活を送られ,年に1,2回は電話でお元気なお声をお聞きしておりました。突然のご訃報に接し,優しいお顔が浮かび,時代が大きく変わったことを実感しました。「楽園」での研究生活を送ることができたのは先生のお陰です。
 安らかなご永眠を心からお祈り申し上げます。

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