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限界は打ち破ることができないが壁は皆が協力すれば乗り越えられる日本電信電話株式会社(NTT) 篠原 弘道

朝令暮改と言われながらもGE-PONへの大転換を決断

聞き手:FTTHの取り組みをされていくなかで,壁にあたったり,なかなかクリアできなかったりしたとき,どのようなことを意識していましたか。

篠原:今から振り返ると,当時の私には焦りがありました。今の環境の中でとにかく入れなくてはいけない。しかし,そこにもともと答えはなかったのに一生懸命やろうとしていたのです。そうは言いながらも,皆が1つの目標に向かっていましたので,デバイスの部隊もケーブルの部隊もファイバーの部隊も,必死に研究をしていたという意味では,技術は90年代でかなり大きく進みました。
 そして,2000年を迎えるか迎えないかの頃,インターネットが出てきました。まさに待ちに待ったキラーアプリケーションです。そこで,10メガのPONシステムから,電話の部分などを全部外してシンプルにして,インターネットだけが提供できるものを開発し,2000年に商用導入しました。
 そのころ,われわれからすると非常にショックなことが起きました。ADSLが始まったのです。これまで電気通信事業者というのは,必ず約束した品質を保証するというギャランティサービスの世界でした。しかし,ADSLは,距離によってもお客様によってもスピードが違うというベストエフォートと呼ばれるサービスでした。私自身は,そんなサービスはお客様が受け入れないだろうと思っていましたし,当然ながらそんなサービスを提供してはいけないという思いがありました。ところが,ADSLは非常に広がっていきました。そこでの反省点は,提供者側の論理が強かったことと,技術的に光のほうがいいという技術優位の過信があったことです。
 ADSLは急速に普及し,同時に1.5メガから,8メガ,12メガと,スピードも速くなっていきました。12メガになった途端,10メガのFTTHの速度の優位性がなくなりました。2000年過ぎには,FTTHなんかいらない,ADSLで十分だという大合唱が起きました。しかし,私自身は,ADSLは暫定解でしかないという確信がありました。銅線は表皮効果(Skin Effect)があり,高い周波数を通すことができず,原理的な限界があります。ところがFTTHは原理的な限界はありません。コストは工夫すればなんとかなる。ですから,私がそのとき言っていたのは,「ADSLには限界がある。FTTHには壁がある。限界は打ち破ることはできないけれども,壁は皆が協力すれば乗り越えることができる」でした。
 そうは言っても,われわれが提供していたのは10メガのPONシステムですから,10メガ,12メガのADSLとでは話になりません。そこで,100メガのPONシステムに移行しました。当時,企業が専用線で使う155メガのPONシステムがあり,それを改良して一般家庭向けに155メガのPONシステムを2002年に導入開始しました。並行して,さらに高速な622メガのPONシステムの開発をスタートさせました。
 しかし,驚いたことに,当時異業種から参入してきた人たちが,ビル内のLANに使っていたメディアコンバーターによる100メガのFTTHサービスを始めたのです。われわれ通信事業者からすると,LANで使われているものは保守や運用の機能がなく,サービス提供するのは考えられないことでした。これで155メガのPONの優位性がなくなりました。
 155メガ,622メガというのはあまり聞いたことがないと思いますが,これは通信事業者にとって,昔の電話時代からの速度のハイアラーキーです。しかし,インターネットの世界のL2スイッチやルーターなどは100メガの次は1ギガであり,155メガや622メガではありません。それは標準化している母体が違っていて,155メガや622メガというのは昔からの通信事業者の集まりであるITU-Tが標準化しており,LANの世界はIEEEの世界なのです。 そこでの反省点は,顧客視点が十分ではなかったことに加え,通信キャリア独自の発想があったことです。
 そこで,2002年にスタートした622メガのPONシステム開発を1年で中断し,1ギガのGE-PON(Gigabit Ethernet-Passive Optical Network)に移行しました。同時に,ITU-TからIEEEの標準化に移しました。
 このときは,皆から朝令暮改だと言われましたが,大転換を決断しました。従来に比べ圧倒的な速度を提供し,速度競争に決着をつけたいと思っていました。それから,日本の場合,競争相手は通信事業者だけではないので,通信事業者独自の価値観から離れ,誰もが理解しやすい価値観に変わっていこうとしました。
 開発した製品をグローバルに展開したい思いもありました。2003年にGE-PONシステムの開発を開始して,IEEEに日本の研究者を派遣し,国内メーカーとも連携しながら標準化を進めました。また,グローバル展開をしていくために,通信用のLSIについてはシステムベンダーから切り離し,チップベンダーに別につくらせるチャレンジもしました。さらに,それまでは電話局に置く装置と宅内の装置をセットにし,同じメーカーの装置にしていたものを,インターオペラビリティが取れるようにマルチベンダー化する新たな取り組みをしました。宅内側に置かれるONU(光回線終端装置)は,単に光から電気に変換するだけでなく,将来的にはここにいろいろな機能が載ってくる可能性があるので,そのときにお客様が装置を選べるようにすれば,サービスの発展につながると考えたのです。
 新しいマーケットをつくっていくために,どのようなシステム開発目標を立て,どのように動いていけばいいのか,非常に苦労して大変でしたが勉強になりました。GE-PONは2004年に導入を開始できました。14年経っていますが,昔のような激しいスピード競争もなくなり,いまだに1ギガのPONシステムが動いています。


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篠原 弘道

篠原 弘道(しのはら・ひろみち)

1954年生まれ。1978年 早稲田大学大学院・修士課程修了。同年,日本電信電話公社(現 NTT)入社,光アクセス技術の研究開発に従事。アクセスサービスシステム研究所長,情報流通基盤総合研究所長,研究企画部門長を経て,2014年 代表取締役副社長。2018年6月より取締役会長。

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