【重要】技術情報誌『O plus E』休刊のお知らせ

光の幅広い応用の可能性を信じ,研究を通じた人材育成と成果の社会貢献(女子大発ベンチャービジネス)で次世代にバトンを渡す日本女子大学 小舘 香椎子

人間関係が難しくても,光の研究に集中できる環境と温かいサポートが救いとなった

聞き手:東大での5年間の研究を含め,研究されていく中でご苦労されたエピソードなどございましたらお話しいただけますでしょうか。周りの方にご相談なさって,すぐに解決できてしまったのでしょうか。

小舘:いやいや,そんなことはないです。非常に順調にきたような感じをお持ちかもしれないのですが,5年間東大に行って勉強して,東大紛争もあったので,研究に対する考え方や姿勢,研究の社会貢献のあり方や価値観など,生き方も含めて議論しながら,女子大にいた時よりも明確なビジョンを持つことができたと思います。ただ,母校に戻った後は,とても大変な経験もしました。日本女子大は非常に歴史のある大学ですから,上下関係にも厳しく,何かにつけて生意気になって戻ってきた,と思われたようです。
 特に,昇任人事において,そのことが顕著に現れました。母体となっている「物理」では,相変わらずの年功序列型の人事体制であるのに対して,ポスト拡大の駒として所属させられた「一般教育」教授会は,業績主体の人事体制でしたので,この間に齟齬が生まれたようです。一般教育の先生方は,「小舘さんはこんなに論文があるのだから,早く助教授に昇任したほうがいい」と推してくださったのですが,物理では,「まだ先輩が助教授に上がれていないのに,あなたを先に上げるわけにはいかない」と言われました。それでも出した昇任自体は,全学教授会でも認められたのですが,今度は…今でいうパワハラですね。その後7年間は,物理の卒論の担当からはずされてしまったのです。
 とにかく,研究や教育の前に,こうした独特の「人間関係」に悩まされました。でも,「暗幕の中の定盤とレーザー光」の物で形づくる空間が大きな救いとなりました。難しく考えることはやめ,研究を第一に頑張るのみと決めた時には,「一般教育」所属の先生方を始め,数学など学問・研究に理解のある先生方の存在をより強く認識して,落ち着いて自分の研究成果を上げる環境を得ることができました。また,引き続き共同研究を進めてくださった東大の神谷先生は,回折光学素子に関心がある中国人留学生2人も一緒に研究をやったらいいよ,とご紹介下さいました。卒業生も研究生として戻ってきてくれて,一緒に実験データを上げたりするような時代もあったのです。そして,東大や企業の研究所などと共同研究をすることで,寸断することなく,研究を続け,成果を上げることができました。こういう事実を知っている方は非常に少ないと思います。
 それから7年後には,卒論生が戻ってきて2年目頃に,ぜひ光をやりたい,ホログラフィーは面白いし,光の研究を卒論からこの研究室でやりたいと,学生たちが集まりだして,ようやく日本女子大で光の拠点をつくるような環境が見え始めてきました。そうして,1992年に向けて理学部を設立するための委員に推薦されました。東大で学位も取り,研究業績も充分でしたから,物理分野の存続を託されるように「小舘さん頑張ってね」と急に周りも変わってきました。ある種の時代の流れ,タイミングもあったでしょうか。

光のバトンをリレーする女性研究者の育成

聞き手:女性研究者の育成については,どのように推進なさいましたか?

小舘:私が教授に昇格したときに神山先生は,「これからは女性研究者育成を頑張ってほしい」とおっしゃいました。辞めないで継続しなさいと励ましてくださった先生から,今度はあなたが次世代を育てる番だと,はなむけの言葉をくださり,とてもありがたく受け止めました。そして,先ほど述べた通り,退職までに小舘研究室から光のバトンを受け取れるドクターたちを14人出すことができました。
 勤務する大学以外でも,女性研究者の啓発と育成を図るような会を作りたいと考えていたところ,一岡芳樹先生(大阪大学名誉教授)に背中を押していただき,1993年にコンテンポラリー・オプティクス研究グループを日本光学会の中にスタートさせたことも大きな意味があったと思います。
 そして,その会をベースにして,応用物理学会が2001年に女性研究者ネットワーク準備委員会を設立し,さらに,2002年に大規模学会として初めて男女共同参画委員会が理事会の承認を得て発足しました。ですから,男女共同参画の活動の初めの一歩として,実は日本光学会が非常に大きな役割を果たしているのです。
 私は,応物の初代委員長として,副委員長の遠山嘉一さん,事務局次長の伊藤香代子さとともに,理工系分野を横断する男女共同参画学協会連絡会の設立に貢献しました。設立後は,応物学会が初代の事務局を担当しましたので,その委員長として,20,000人から回答を得た大規模なアンケート調査を実施し,理系女性の研究環境や男女共同参画に対する実態を明らかにするとともに,さまざまな施策へ繋がる端緒を切り拓いていきました。この活動が,2006年からの文部科学省の女性研究者支援事業の開始にも繋がっています。政府のこの支援事業は,内容や焦点に変更はありましたが,現在も継続されています。また,初年度に採択された日本女子大学の「女性研究者マルチキャリアパス支援モデル事業」のプロジェクトリーダーを務め,2011年からは電気通信大学で特任教授として,女性研究者支援事業コーデネータを務めています。なお,2008年からの6年間は,当時の故 北澤宏一理事長の要請を受けて,JST(科学技術振興機構)の男女共同参画主監として,女性研究者を取り巻く課題解決やすそ野の拡大に向けて,ロールモデル集の発行などの活動を展開しました。
 また,退職時の基金などをもとにして,女性としては初めて副会長を務めた応用物理学会に賞(女性研研究者業績・人材育成賞(小舘賞))も創設(2009年)しました。学会活動を通じて顕著な研究業績を上げた女性研究者・技術者,そして,女性研究者の人材育成に貢献することで科学技術の発展に寄与した男性も含んだ上司が対象です。学会は,大学だけではなく,企業もつなぐリサーチ・コミュニティが集う場所ですので,そこで女性研究者をサポートする制度作りをしていくことはとても大切だと思っています。
 このように,研究生活の終盤には,女性研究者支援を中心とする人材育成が活動の柱の1つとなっていました。現在,浜松ホトニクス(株)の社外取締役もやらせていただいているのですが,浜ホトでも,女性同士のネットワークをしっかり作ろうということで,女子会を立ち上げて,これまでも数回実施しています。やはり,卒業生の会とも共通するのですが,こういうネットワークは大切ですね。欠席者も少なく,「次回が楽しみ」という方が多いようです。

<次ページへ続く>
小舘 香椎子

小舘 香椎子(こだて・かしこ)

1963年 日本女子大学家政学部家政理学科一部卒業 1988年 日本女子大学一般教育課程教授 1992年 同理学部数物科学科教授 2009年 日本女子大学名誉教授現在 ㈱Photonic System Solutions(電通大認定ベンチヤー)代表取締役会長,浜松ホトニクス㈱社外取締役,㈳日本国際協力センター理事,応用物理学会フェロー, SPIEフェロー,他 歴任 日本学術会議会員(第21期・22期),応用物理学会副会長,(独)科学技術振興機構男女共同参画主監,電波監理審議会委員(総務省),総合科学技術会議専門委員(内閣府),外部評価委員(日本学術振興会),他
●研究分野光エレクトロニクス(回折光学素子の基礎と応用,光情報処理),物理教育
●主な活動・受賞歴等
文部科学省「ナイスステップな研究者」選定, 文部科学大臣表彰 科学技術賞,内閣総理大臣表彰「男女共同参画社会つくり表彰」,応用物理学会業績賞, 櫻井健二郎記念賞,他

本誌掲載号バックナンバー

OplusE 2018年9・10月号(第463号)

特 集
空間分割多重光通信技術の進展
販売価格
1,500円(税別)
定期購読
8,500円(1年間・税別・送料込)
いますぐ購入

私の発言 新着もっと見る

本誌にて好評連載中

私の発言もっと見る

一枚の写真もっと見る