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日本の光学産業が沈黙した羊の群れのように見える矢部 輝

不安を感じても意味がない

聞き手:退職と同時にドイツへ引っ越されましたが,将来への不安などはありませんでしたか?

矢部:不安を感じても意味がないので,不安は感じませんでした。レンズ設計ソフトの開発者として雇われる可能性はなかったので,レンズ設計者として生活する必要がありました。設計のためには設計ソフトが必要なので,パソコンを1台買って地下室の仕事場に置きプログラムを書き始めました。会社で私は最適化プログラムの担当でしたが設計ソフト全部を自分で書くのもよいもので,会社で使っていたものより性能のよいソフトがそれほど時間をかけずに動くようになりました。私は適当なテストデータを見つけて設計を行い,その結果を学会で知り合った人たちに送りました。例えば非球面を多く含んだマイクロリソグラフィレンズをフォーブズ氏に送りますと,彼は「非球面の位置はどうして決めたのか」と質問してきました。この質問がきっかけになって私は非球面番号を実数に拡張する方法を考え出して2005年に論文発表しました。彼はまた1985年のIODCのレンズ設計問題に関連した興味深い問題を紹介してくれましたが,私はその問題をきれいに解くことができて,レンズ設計者としての能力を直接に示す効果もあったので,2005年にイエナでの学会で発表しました。これがヨーロッパでの学会デビューとなりました。学会に出席すると多くの研究者と知り合うことができます。私の事情を知ると多くの人は同情してくれて,いろいろな助言を与えてくれます。一人の人がウェブページの開設を助言してくれましたが,私が古いhtmlでのウェブページを公開すると,別の人がボランディアですぐにxhtmlに書き換えてくれました。レンズ設計者を必要としている企業に私を紹介してくれることもあったようで,仕事の話もちらほらと出てきました。  私が学会に初めて出席したのは1998年でした。1995年に一色真幸先生がエスケープ函数によるグローバル最適化を発表されて,私はそれをすぐに採用しました。私はその少し後で,オプトメカトロニクス協会の光学系設計技術部会に会社を代表して出席するようになり,技術部会の部会長であった一色先生へのごあいさつでエスケープ函数が大変に有効であることをお伝えしました。
 1998年のIODCで一色先生の招待講演が決まった時,その適用例を紹介する意味で私も発表することを先生は会社に依頼されました。会社もそれを認めて私は発表することになりましたが,ありがたいことに発表の準備について会社からは何の干渉も受けませんでした。私は初日の最初のセッションで一色先生の後で発表しましたが,発表の後で学会全体のチェアーであったフォーブズ氏が”Congratulations”と言って握手を求めてきました。これが彼との最初の出会いでした。その後も先に紹介したドイツやオーストリアの研究者の他にも何人かのアメリカの研究者と知り合うことができました。私はそれまで日本国内では学会発表をしたことが全くありませんでした。自分も会社も学会発表に関心がありませんでしたが,ハワイに来てみると自分がとても居心地の良い場所に来たことを感じました。IODCは4年ごとに開催されます。2002年は9.11の翌年でしたので日本全体でアメリカへの出張を抑制していた時期なのですが,特にお願いして出席させてもらいました。 <次ページへ続く>
矢部 輝(やべ・あきら)

矢部 輝(やべ・あきら)

1953年岩手県生まれ 1978年東京大学物理学科卒業 1978年富士写真光機入社
2003年富士写真光機退職 現在は,独立のレンズ設計者として活動
●研究分野
応用光学,光学設計

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