【重要】技術情報誌『O plus E』休刊のお知らせ

研究というのはできないことに挑戦していくほうがいい東京電機大学 工学部 機械工学科 先端機械コース 教授 堀内 敏行

模型工作好きから進んだ工学の道

聞き手:工学に進まれたきっかけをお教え下さい。

堀内:そうですね。今皆さんが遊びというとスマートフォンとかゲーム機なんかがが多いと思うんですが,我々のころはそういう物はなく,模型飛行機ですとかプラモデルとかがすごくはやっていました。あとはそこら辺の木切れや,やぶへ行って竹とか葦とかを取ってきて,そういう物でいろいろこしらえて遊びました。そういう工作の面白さがずっと続いていて,大学を選ぶときも科目の得手不得手以上に技術に興味がありましたので,理科系に進み,学科に分かれるときも,機械に一番興味があったので,そこへ進んだ感じです。
 就職も機械関連に進みたいと思っていました。さきほど模型飛行機の話をしましたが,実は乗り物の中では船が一番好きでした。商船会社の就職試験を受けて,今でいうと内々定をいただく寸前まで進んだのですが,仕事の中身をいろいろ話していただいているうちに, 船を造る仕事や学究的な仕事はあまりなくて,ほとんどが船の運用や保守関連の仕事とのことで,これはちょっと違うと思いました。そのため,紹介してくださった先生やお世話になった会社の方には大変申し訳ないことを致しましたが,辞退させていただきました。次は,当時三鷹にあった船舶技術研究所を受けようと思ったのですが,研究員は公務員なので,希望は出せても必ずしも行けるとは限らないという話でした。その三鷹に見学に行ったときに,武蔵野にNTT(旧電電公社)の研究所があることを知りました。その後,お話をお伺いすると,ものすごく進んでいる研究所だと大変感銘を受けました。今考えれば,各企業の就職担当の方のお話をお聞きすると,どこの方もみんな学生が感銘するようなことをおっしゃるんです。私はまだあまりあちこち聞いて回っていない状態でしたから,うまく口車に乗せられました(笑)。
 就職の時は学園紛争の激しいときでした。安田講堂事件があり,卒業できるかどうか分からないぐらいの状況でした。就職活動を行ったのも時期はずれで,公務員試験とか中途採用みたいなことを行っている企業しか,受けられませんでした。結局NTTに就職しましたが,3月31日が卒業式で,卒業証書を持ったままNTTの入社教育の集合場所へ行ったことを覚えています。次の学年の方は,3月には卒業できなくて,夏に卒業式を行っていました。我々のときは幸いにも3月には卒業できましたが,授業もまともに受けられず,勉強しないで卒業したという不安がありました。大学がこの状態では居てもだめだと思い,大学院へは行かずに外に出ましたが,私の年までは,幸いなことに学部生も研究専門職に採用してくれたんです。次の年からは,ほとんどの大手企業で院生以上でないと研究職では採用されませんでした。そういうわけで,NTTの研究所にお世話になったのですが,後からは院生しか入ってこなくなったので,しばらく学卒の中では最年少でした(笑)。
 配属になった武蔵野電気通信研究所には,非常にたくさんの分野があり,いろんな研究者の方がおられました。研究も多岐にわたっていまして,自分でもできるようなことが幾つかありましたし,大変楽しく,27年間勤めさせていただきました。最初は,海の話をいろいろしていたせいか,海底中継器のきょう体(海底に沈めて使うための圧力容器)のセクションに配属になり,2年くらいで電話線を地下に埋設する地中掘削機のセクションに移りました。若いときにいろいろなことをやらせてもらえたので,本当楽しかったですし,その経験が後でとても役に立ちました。
 その後リソグラフィの研究分野に配属になりました。リソグラフィといっても,リソグラフィ用の装置を研究開発するセクションでしたが,オーダーが大きく変わって,急激に視力が落ちたのにはまいりました。一種の望遠鏡であるトランシットの傍らで働いていたのに,一転,顕微鏡が仕事の道具になったのです。地中掘削機は,スタートから地中を目的の場所まで掘り進んでいき,最終的な到達地点での誤差をプラマイ20cmぐらいの精度にするような研究でしたが,露光用の装置では一気に2μmとか5μmとかのオーダーになったんです。友人には「マンホールからコンタクトホールへ」と言われたりしました(笑)。
 それと,今うちの大学では鉄腕アトムがイメージキャラクターになっていますが,鉄人28号のようなものを作ってみたいというのがあこがれとしてありました。
 当時は,鉄腕アトムは空想のような感じでしたが,鉄人28号は作れそうな感じがちょっとしたんです。今やるんだったらアトムのほうがいいのかもしれないなと思います(笑)。もっとも,自分で作ってみたいと言っても,子供のころの夢の類ですけど。
 今,研究をしている露光機がちょうど28号ぐらいになっているんですよ。厳密に番号をつけてはいないんですけど,そのくらい作っています。ですから,何かいいものができたら28号と名付けたいと思っているんです(笑)。 <次ページへ続く>
堀内敏行(ほりうち・としゆき)

堀内敏行(ほりうち・としゆき)

1948年 神奈川県生まれ。1970年東京大学工学部機械工学科 卒業。1970年 日本電信電話公社入社。1997年 東京電機大学 工学部 精密機械工学科 教授。現在,東京電機大学 工学部 機械工学科 先端機械コース 教授。
●研究分野:光リソグラフィ,マイクロ部品製作技術,小型飛翔ロボット
●現在,電気学会 リソグラフィ次世代技術調査専門委員会 委員長。応用物理学会 シリコンテクノロジー分科会 幹事。精密工学会 代議員。国際シンポジウム フォトマスクジャパン 組織委員会 委員長。

私の発言 新着もっと見る

本誌にて好評連載中

私の発言もっと見る

一枚の写真もっと見る