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世に出ていない最先端の技術と装置の創出を目指して(株)フォブ(FOV) 代表取締役 大出 孝博

「常に最前列に立て」の言葉を胸に

聞き手:大出社長にとって,恩師とはどなたになりますか。また,その恩師からはどのような影響を受けられましたか。

大出:恩師と言っても学校の先生ではなく,私に最も影響を与えてくれた方はレーザーテック創業者の内山社長です。私は,内山社長からいろいろと薫陶を受けていますが,特に印象に残っているのは「常に最前列に立て」という言葉です。「何か発見があったとしても,最前列に立っていればそれを見つけられるが,後方ではそれを見過ごしてしまう」ということです。例え話として「大勢の行列や群衆の中にいるとき,もしお金が落ちていたら,最前列に立っていれば小学生でも拾うことができるが,後方にいたのではお金が落ちていることすら気づかない」とよくおっしゃっていました。
 内山社長は,大変ユニークな発想や着想を持ち,他の人には真似できない独自性を備えておられました。1992年に内山社長が逝去された時,幾人かの方に逝去の通知をお送りしたところ,シドニー大学教授のColin Sheppard氏から届いた弔電には「彼の会社経営の仕方は他の経営者とは全く違った」との記述がありました。英国人,とりわけ研究者が“different”と形容するのは最高の褒め言葉です。
 このことを象徴するエピソードに,東京・青山の表参道沿いに開設したレーザーテックの研究所があります。この研究所は普通の研究所とは趣が異なり,グランドピアノが設置されていて,いろいろな人たちが気軽に集まってディスカッションできる,まるでサロンのような空間を実現し周囲の人たちを驚かせていました。私はここを何度も訪れる機会があり,大学や国立研究所,それに企業からさまざまな研究分野の方々が集まっておられた様子を覚えています。この研究所は新しい着想や考え方,技術のアイデアを生み出す“土壌”として機能していました。

聞き手:内山社長ご自身は,どのようなバックボーンを持っていた方なのでしょうか。

大出:学歴では,陸軍の最高エリート教育機関である陸軍幼年学校のご出身です。終戦を迎えると同時に幼年学校は閉鎖され,広島大学工学部に入学して電気工学を学ばれて,その時肺結核で確か7年の療養生活を余儀なくされています。その後,松下通信工業(松下通工)に入社されています。そのため,松下通工入社時の同期社員とは年齢が6,7歳上でした。「これだけ遅れをとっているのだから,今後サラリーマンとして一生懸命頑張ってみても同期に追いつけないかも知れない」との思いがあったようです。このことを憂いて当時の部長,後に松下通工社長に就任された小蒲秋定氏に相談されたところ「もし独立するなら,松下通工から仕事を出すから頑張ってみろ」との助言を受け,内山社長はご自分での起業を決意し独立されたようです。
 独立後もそれまでと同様に,松下通工に出社し仕事をする時期が何年か続き,1960年に(有)東京ITV研究所を設立されました。ITVとは,Industrial televisionの略で,工業用テレビのことです。工業用テレビとは,放送で使用する放映用途以外のカメラシステムの総称です。当時は電子画像そのものが黎明期でしたので,わざわざこういう呼び方をしていたわけです。当時は「胃カメラ」としてX線カメラによる人体の透過観察がスタートした頃ですから,高感度のITVはまさに時代の寵児であったはずです。
 実は,私は当時のX線カメラを知っているのです。まだ,私が若い頃,レーザーテック時代に大掃除で捨てられそうになっている荷物の中にひときわ古い機械が目に入り,興味をもってよく見てみると,洗面器のようなカメラヘッドにCマウントが装着されているものでした。「もしや」と思い手持ちのレンズを装着して通電したところ,画像がきちんと映し出されたのです。その画像が感度も解像力も高く素晴らしい性能でしたので,舌を巻いたことを覚えています。
 会社経営は,おそらく独学で習得されたと思います。東京ITV研究所をスタートされた当初は,松下通工で仕事をする一方,自社製品の独自開発を進めるために,下請けのような仕事もこなしておられたようで,必ずしも会社経営は楽な時ばかりではなかったようです。それでも,内山社長は“常に最前線”で仕事に取り組まれていました。そうした内山社長の経験に裏打ちされた「常に最前列に立て」の言葉に強く感銘を受けた私も,現在起業して最先端の顕微鏡関連技術・装置の開発に携わっているわけです。

聞き手:最先端の技術や装置の開発で“常に最前列に立つ”には,その過程で厳しい局面や苦難に遭うこともあると思われますが,それらを乗り越える秘訣がありましたらぜひ教えてください。

大出:フォブは最先端専門で活動していますから,開発の過程で日々悩んだり苦しんだりすることばかりです(笑)。装置の開発では,完成形として「こうしたものが製作できる」と目標を設定し,その上で開発に入っていくわけですが,実際には1回目の動作試験でその装置が設計通りに動作することはまずありません。大概,最初は全く動作しないとか,当初想定した性能に遠く及ばないなどと思うことが多いわけです。しかし,そこですぐに諦めてはいけないのです。なぜなら,もう少し頑張れば上手く作動するものでも,そこで中断すればすべてがおしまいになるからです。「絶対これで作動するはずだ」という強い信念をもって,一つひとつ物事を解決していかなければなりません。なぜなら,これは経験上から言えることですが,懸命に取り組むことで大抵のことは解決できるからです。例え,かなり根本的で深刻な問題であったとしても,気持ちを取り直して「絶対にできるはずだ」と諦めずに信念をもって研究・開発を進めていけば,新たな解決策が閃いたり,気づかされたりすることがあるものです。厳しい局面に立ったときに,そこで意地を張って「この研究・開発をなんとか実現して世界初の製品として世に送り出したい」との強い思いで踏み止まり,そこから邁進できるかがとても重要なところなのです。
 最近の仕事の話ではまだ生々しくてお話しできませんが,少々古い話ではかつてレーザー顕微鏡のOBIC(optical beam induced current)※像が必要になり,そのようなイメージングシステムを組んだことがありました。ところが例に漏れず最初は上手く動作しないのです。実は,当時私たちが採用していたAO(acousto-optics;音響光学)偏向器を使ってOBIC像の撮像システムを開発するためには,VCO(voltage controlled oscillator;電圧制御発振器)の直線性の問題やAO素子のチャープの問題,それに低雑音・高速・微少電流増幅器の開発など課題が山積していたのです。当初それらをすべて無視して相当楽観的なシステムを製作したものですから,最初の動作試験ではまるで焦点の定まらない低画質のOBIC像が映し出されました。そこから,改めて問題を一つひとつ解決し,最終的にOBIC像を鮮明に映し出せるレーザー顕微鏡システムを開発することができたのです。このように,開発の過程では困難な問題に直面することも多く,精神的に辛くなることもあります。しかし,その問題にとことん対峙した末に解決策を見い出したとき,私はそこに開発での大きな醍醐味を感じるのです。
 一方,会社経営については「明日には仕事がなくなるのではないか」と心配になることもあります。それでも,レーザーテックを退職してから10年以上,幸いにもなんとか続けてくることができました。安定性を求めるのであれば,起業はリスクが大きいのでお薦めはできません。自分で好きなように会社を運営できるものの,その分責任もすべて負わなくてはならず,そこに起業の大変さがあります。いろいろな困難もありますが,今取り組んでいる開発案件をなんとか製品化したい,実用化したいという思いが勝るからこそこれまで続けてこられたと思っています。言い方を変えると,日々の仕事が忙しくて,悩んだり心配したりする余裕がなく,目の前の仕事を懸命に片付けていって,気がついたら会社が継続していたというのが正直な印象です。

※逆バイアス状態にあるPN接合に,光が照射されたときに発生する光誘起電流のこと

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大出 孝博(おおで・たかひろ)

大出 孝博(おおで・たかひろ)

1978年北海道大学 工学部 電気工学科卒業。1978年日本無線(株)入社。1980年信州精機(株)〔現セイコーエプソン〕入社。1985年日本自動制御(株)〔現レーザーテック(株)〕入社。1991年米マサチューセッツ工科大学海洋工学科客員研究員 兼務。2002年大阪大学フロンティア研究機構ナノフォトニクスプロジェクト特任教授に就任。2003年ナノフォトン(株)設立,代表取締役に就任。2006年(株)フォブ(FOV)設立,代表取締役に就任。
1988年神奈川県工業技術開発大賞受賞(受賞対象:走査型カラーレーザー顕微鏡)。1998年神奈川県工業技術開発大賞受賞(受賞対象:広視野コンフォーカル顕微鏡)。2006年第18回中小企業優秀新技術・新製品賞中小企業庁長官賞(受賞対象:レーザーラマン顕微鏡)。

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