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光学技術発祥の地・板橋で,次世代へつなぐ「人づくり」を!板橋区長 坂本 健

「イタバシブランド」のネットワークでさらなる飛躍を

聞き手:ご出身は板橋で,ちょうど「メイドイン板橋」の製品が製造されている時期にお生まれですよね。光学にどんなイメージをお持ちでしたか。 坂本:昭和34年生まれですので,テレビでいえば白黒からカラーテレビに変わった時期を知る世代です。カメラで言いますと,国産一眼レフが各社出そろってきたころですね。中学生のころには,父親が持っていた一眼レフカメラを時々貸してもらっていました。また,祖父が海外に行ったときに,ミノックスの小型スパイカメラをお土産でもらったこともありました。小学4年生ぐらいのことですかね。ですから,自分でもカメラをいじるのに何となく関心がありました。大学では建築学科に進みましたので,二川幸夫さんの写真集(建築専門誌GA)などを結構買いました。また,お気に入りの一眼レフカメラと28ミリワイドレンズを持って,あちこち海外にも行って建築写真を撮っていました。撮った時は結構いいものが撮れたと思うのですが,焼いてみると駄目なんですね(笑)。さらに,設計課題提出用模型の写真撮影では,対象物が非常に小さく,接写が難しくて苦労した思い出もあります。

聞き手:区長になられた後,光学産業の方々とお会いになる機会が多いと思いますが,光学のイメージは変わられましたか。

坂本:望遠鏡や一眼レフカメラだけが板橋の光学でないことを知り驚きました。そして,光学技術というのは非常に汎用性があって,例えば内視鏡のカメラのように小さい物だったりとか,あるいはいろんな物品の選別機のセンサーだったり,非常に汎用が幅広いことにも,さらに驚きました。光学技術を応用した技術を持った企業が板橋にたくさんあるということが分かり,これは大変なことだと思いました。ODF国際会議の誘致を決断したのも,区内光学関連企業の技術がさまざまな分野に展開できる可能性を秘めていることに気付いたことが,大きな理由のひとつです。

聞き手:最後になりますが,光学精密機器産業の方々に向けて,メッセージがございましたら。

坂本:光学・精密機器産業は,板橋区における近代産業発展の黎明期から,そして現在もなお,産業文化都市板橋区を支える最も重要な産業のひとつであり,かつ,必要不可欠な要素です。そして,今や産業としての側面のみならず,文化そのものと言っても過言ではないと思っています。言うまでもなく,全世界的な視野において,光学技術は従前のカメラ技術や計測技術のみならず医療分野への応用をはじめ,環境や生物・生命工学,宇宙開発などおおよそ人類の営みの隅々まで関わっています。板橋区には,確かに光学精密機器を製造する大規模な工場は数少なくなりました。しかし,いまだにオンリーワンなど極めて高い技術を有した光学精密機器を研究,開発,製造する多くの企業さんが集積されており,日々努力を重ねておられます。まず,もってこのことに対しまして板橋区政をお預かりする区長として,感謝と敬意を表したいと思います。そして,高い技術力や開発能力を持つ個々の企業さんが,「イタバシブランド」の下に,有機的な連携を深めることによって,その発展は無限大であると確信しているところです。区としましては,操業環境の整備をはじめ,ネットワークの結節点になるなど,各企業さんといっしょに軌を一にして,光学精密機器産業のさらなる発展に寄与していきたいと思っています。

聞き手:ネットワークづくりが肝要ということですね。

坂本:もちろんすべてではありませんが,「イタバシブランド」の下に,ネットワークを築くことで,「1+1」が10にも100にもなると思います。少し大袈裟かもしれませんが,こうした取り組みが,人類のさらなる発展の一助になることを期待するものです。
坂本 健(さかもと・たけし)

坂本 健(さかもと・たけし)

1959年,板橋区生まれ。1985年,日本大学大学院生産工学研究科博士前期課程建築工学専攻修了。1986年,日本設計事務所?[現・?日本設計]入社。1999年,特別養護老人ホーム ケアタウン成増設立代表者就任。2001年,社会福祉法人みその福祉会理事長就任。2003年,みその幼稚園設置者就任。2005年,日本大学大学院理工学研究科博士後期課程建築学専攻単位取得退学。2005年,東京都議会議員初当選。2007年,板橋区長初当選,現在二期目在任中。

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