【重要】技術情報誌『O plus E』休刊のお知らせ

“汽水”には面白そうなテーマが集まる電気通信大学 教授 武田 光夫

“物の科学”と“事の科学”の間で

聞き手:大学にお戻りになって,どの学科にご所属されたのですか?

武田:所属は電波通信学科で,そこで電磁気学を教えることになりました。学科が昔の趣味の世界に近い“電波通信”なので,結像理論や光学設計をテーマにしてもなかなか学生は研究室を志望してくれません。一方で,情報系の科目の信号処理や画像処理については勉強している学生が多いので,光と情報を融合した研究テーマにしようと考えました。
 当時は光コンピューティングの研究の興隆期でしたので,「光計測」と「光情報処理」をキーワードにして,そちらに軸足を移すことにしました。そうすると,学生たちが研究室に集まるようになり,後のスタイルがそこで確立していきました。最初の大学院生だった稲秀樹君や小林誠司君と一緒にフーリエ変換縞解析法の研究を開始したのはこのころです。恩師の佐藤先生は電通大に電子計算機学科という学科を新設されて,計算機科学の分野の輪講会を開いていました。わたしもその輪講会に参加して,チューリングマシン,グラフや計算量理論,巡回セールスマン問題,ナップザック問題などの組み合わせ最適化問題という計算機科学を学び始め,“情報”の重みが増えていきました。

聞き手:海外でのご活動もあったと聞きましたが。

武田:もちろん海外の学会誌に論文を出していましたが,当時は1ドルが270円の時代で,今のように気軽に国際会議に出席できる時代ではありませんでした。わたしは無線少年時代から外国に興味を持っていたので,学生時代に名著「Introduction to Fourier Optics」で学んだ米国スタンフォード大学のJoseph W. Goodman先生のところで研究してみたいと思って,当時の文部省の長期在外研究員派遣制度に応募しました。運よく採択され,1985年の早春にスタンフォード大のGoodman先生のグループに加わることになりました。

聞き手:スタンフォード大ではどのようなご研究をされたのですか?

武田:当時は光コンピューティングやニューラルネットワークなどがブームになっていました。わたしはGoodman先生から,HopfieldとTankが巡回セールスマン問題をニューラルネットで解いたという論文を手渡されて,興味を持ちました。もちろん近似解です。論文を読んで原理はすぐに理解できました。佐藤先生の輪講会で得た知識からすぐに他の組み合わせ最適化問題への応用を思いつき,ヒッチコック問題などの輸送問題への解法を見いだし,論文として発表しました。また,ニューラルネットを光学的に実装するための光インターコネクションについても研究しました。こうした情報系の“事の科学”を研究する一方で,物理系の“物の科学”ではGoodman先生の統計光学の講義を取りました。テキストに使われた先生の「Statistical Optics」という本を通読し,いろいろ学ぶところが多かったので,帰国後に「グッドマン統計光学」という翻訳書を丸善から出版しました。
武田 光夫(たけだ・みつお)

武田 光夫(たけだ・みつお)

1969年,電気通信大学 電気通信学部電波工学科卒業。1971年,東京大学 大学院工学系研究科物理工学専門課程修士課程修了,1974年,同博士課程修了(工学博士)。同年,日本学術振興会 奨励研究員。1975年,キヤノン(株)に入社し中央研究所と本社光学部に配属。1977年,電気通信大学電気通信学部講師。1980年,同助教授。1985年,当時の文部省長期在学研究員として米国スタンフォード大学 情報システム研究所客員研究員。1990年,電気通信学部教授に昇任。現在,大学院情報理工学研究科教授。専門分野は応用光学と情報光工学。現在の研究課題は,光応用計測や光情報処理,結像光学と画像処理など。応用物理学会理事や評議員,日本光学会幹事長,SPIE理事などを歴任。SPIE Dennis Gabor Awardや応用物理学会量子エレクトロニクス業績賞(宅間宏賞)など多数受賞。OSA Fellow, SPIE Fellow, 応用物理学会Fellow。

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