【重要】技術情報誌『O plus E』休刊のお知らせ

世界の耳目が日本に集まっているこの時期に,日本は何を発信できるのか(株)グローバルプラン 岡村 治男

標準化とビジネス,2足の草鞋わらじ

聞き手: NTTのあと,どういう道を歩いてこられたのですか?

岡村: NTT研究所は卒業する年齢が早いのです。NTTに就職するとき,辻内先生に「NTTの研究所はいいけれど,あそこへ行くと2回就職することになるよ」と言われました。確かにその通りで,私も2回,いや結局3回就職し,4回目(笑)はグローバルプランというコンサルティング会社を設立しました。
 まず,NTT研究所を卒業して,私はNECの海洋光ネットワーク事業部に入れてもらいました。当時,NTTからの再就職先というのは4つほどパターンがありまして,1つはNTTの子会社へ行くこと。また,学位のある人は多くが大学へ。それから,いわゆるメーカーですね。そして4番めは,自分で何かを始めること。ほとんどの人がNTTの関連会社に入るか,大学の先生になりました。メーカーに行く人はたぶん100人中3~4人だったのじゃないでしょうか。
 私はその3番めのパターンですが,NECでは半年くらいしてからラインの部長をやらせていただき,これは大変有難かったですね。NTT研究所を卒業したあと,メーカーのラインで多くの部下を持つようなことはなかなか経験できないですから。ただ,かなり忙しかった。この時期にも,標準化の仕事は続けていました。
 NTTを卒業するころには標準化への関与もだいぶ進んで,ITU(International Telecommunication Union)とIECの両方に関係していました。IECは電気・電子製品の世界標準をつくる機関,ITUはいわゆるインターネット網などの通信システム関係の世界標準を作る国連の専門機関です。NECに移った当時,IECでは光増幅器のワーキング・グループ議長,ITUでも光部品や光増幅器を扱うグループの議長でした。ですから,この2つとラインの部長の兼務はなかなか忙しいんですよ。

聞き手:確かにそれは大変でしたね。

岡村:それで,結局,仕事をやり過ぎて,だいぶやせてしまいました。寝る時間が減ってしまったのです。海底ケーブルシステムの新しい技術を開発する部門から不具合が出たりすると,とにかく土曜だろうが日曜だろうが呼び出しがあるんですよ。しかしそのころには,2つの標準化会議の責任者にもなってしまっていて,これを投げ出すわけにもいかなかったのです。
 このままではちょっとまずいなと思っていたところに,アメリカのコーニング社にいた標準化関係の友人から「おれのところへ来ないか」とオファーをもらいました。ちょうど大きなプロジェクトの受注がうまくできたタイミングだったことと,コーニングはNECの海底ケーブル向けの光ファイバーを作っている協力会社だったので,両社の連携を強化できればということもあって,うまく出してもらえたのですね。標準化も大変熱心に進めている会社でした。
 先の友人とは,標準化作業の中で10年近い付き合いがあって,人間の中味から技術まで全部分かっていましたから,お互いにその気になれたわけです。NECには少々申しわけないという気持ちがありましたが,標準化のキャリアも大切にしたかったのです。コーニングに移ってからは寝る時間も増えました(笑)。
岡村 治男(おかむら・はるお)

岡村 治男(おかむら・はるお)

NTT,NEC,米コーニングで光通信の研究とビジネスにたずさわり,1990年ごろから国際標準化に関わる。2003年,技術や考え方を世界標準にするお手伝いをする(株)グローバルプランを設立。光通信,地球環境,情報格差,国際人材育成などで積極的に発言している。また,2002年から有名なデミング博士の高弟である米国カリフォルニア州立大の吉田耕作名誉教授に師事して,人間尊重・協調・全体観によるサービス業の向上セミナーを展開。日本経済再生の強力なテコと考えている。最近は国際人材の素養について東京大学大学院非常勤講師や経済産業省の出前授業講師などにも従事。日本ITU協会顧問,コーニングアドバイザ,情報通信審議会専門委員,工学博士,経営学修士。

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