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これからの時代は光学やエレクトロニクス中心の物理教育であるべきではないでしょうか。東京大学 名誉教授 霜田 光一

メーザーからレーザーへ

 そのようにマイクロ波分光を研究していましたが,マイクロ波を使った分光では吸収スペクトルしか観察することができません。そこで自然な流れとして,可視光線での分光のようにマイクロ波においても発光スペクトルを観察できないかと考えるようになったのです。
 このマイクロ波を使った発光スペクトルの観察のために考えられたのがメーザーでして,最初に本格的に研究に取り組んだのはアメリカやソ連です。私がメーザーを初めて知ったのが昭和28年で,日本で開かれた理論物理学国際会議でのことです。アメリカのメーザー研究の第一人者であったタウンズが講演後の質疑応答でメーザーについて語ったのです。メーザーは後にレーザーの発明につながり,タウンズは昭和39年にノーベル物理学賞を受賞しています(図2)。
 私は,その時の発表に非常に興味がありましたから,いろいろと質問をし,彼が帰国した後もメーザー開発に関するアドバイスや質問を手紙でやりとりしていたのです。そのようなことがあり,その翌年にはタウンズから招聘され,米国コロンビア大学の彼の研究室へポスドクとして行くことになったのです。
 彼の自伝にもありますが,実はその頃,理論物理学者や実験物理学者の間で「メーザーは成功の見込みがない」ということが囁かれており,タウンズの研究はそのような逆風下にありましたから,私のアドバイスや質問が非常に嬉しかったようです。
 タウンズがアンモニアによるメーザーの発振に初めて成功したのが昭和29年の4月で,私は1年間彼の所でメーザーのコヒーレンスについて研究を行いました。
 日本に帰国してからもメーザーの研究は続けました。改良したアンモニアメーザーを使って高分解能のマイクロ波分光を行い,昭和36年には高精度な原子時計を作りました。
 改良型のアンモニアメーザーによる原子時計を開発している同時期にメイマンがルビーレーザーの発振に成功し,われわれもルビーレーザーの開発に挑戦しました。当時のルビーレーザーは出力が非常に不規則で,これをどうにかしてコヒーレンスの良いものにできないかと,当時助手だった矢島達夫君や大学院生の清水冨士夫君らと共に取り組んだのです。
 ルビーロッドや反射鏡をいろいろと改良した結果,非常に綺麗な緩和発振を実現し,さらには減衰しない緩和発振も観察することができました。
 このようにして昭和40年代に入るとレーザー分光や非線型光学などを研究し,レーザー中心の研究へとシフトして行ったわけです。
 日本国内のレーザーの研究者も増えてきて,レーザー加工やレーザー通信の研究も盛んになってきました。レーザーの応用にはそのような工学的応用だけでなく,理学的応用もあるので,工学的レーザー応用は他の方々にまかせて,私は物理学や化学へのレーザー応用を主として研究することにしました。いろいろな新しいレーザー分光法とそれによる分子構造の研究を始めとして,レーザーの周波数安定化と周波数測定,それを利用した精密計測,光速度の測定とメートルの再定義の研究までも行いました。
 文部省の科学研究費の特定研究では,昭和43年度から3年間「量子エレクトロニクス」を推進し,昭和52年度から3年間は物理と化学へのレーザー応用を中心に「レーザー分光による励起状態の化学」の特定研究を推進しました。また,理化学研究所では昭和52年に「レーザー分光」,「レーザー光化学」,「新レーザー技術」の3部門からなるレーザー科学研究グループを設立して,理化学研究所におけるレーザー同位体分離を初めとして,物理的,化学的および工学的レーザー研究の発展に寄与しました。

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